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5月19日の犬たち

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犬 

日本犬保存会・帝国軍用犬協会共催・第一回軍用犬耐久力試験 昭和10年


果して誰が本大會最高栄誉を担ふか。
本大會は第一回昭和十年五月十九日若松東山温泉にて開催。若松の大剣號對東京の阪龍號の三十分、闘技犬史上空前の大熱戦引分外、廿九組の好取組あり。
第二回は同年十一月廿四日、塩川町にて開催。新潟の虎徹號對増田の小鍛冶號の三十六分の激戦外廿一組の、是又闘技犬史上空前の平均闘争時間最大長の記録であつた。
本日は東北闘技犬界の恩人、土佐犬普及會長京野兵右衛門氏及び京都の里田原三氏の顔を見えたが、當會の重鎮林平蔵氏が急用にて上京中であつた事と、東北の代表犬新潟の雷光號、虎徹號、土崎の天龍號、上の山の丹下號等が不出場であつたのは遺憾であつた。
中島土佐犬普及會理事開會の挨拶を述べ、午前十時岡崎(郡山)、上原(東京)、永田(土崎)、東海林(増田)氏、何れも斯界の権威の審判にて決戦の火蓋は切られた。
土佐犬普及會記者「福島愛犬協會代表名犬闘技大會」より 昭和11年

 

「スグコイ」と、京都にゐる主人からの招電によつて、私は勘ちやんに伴はれ、五月十九日の夜汽車で東京驛を發ちました。
翌朝七時には京都驛へ着くと、プラツトホ^ムに主人が迎えに來てゐまして、輸送箱から私が出されるのを待ちきれず「どうだ、コンデイシヨンは……?」と訊いてゐる主人の聲が聞えました。
去る四月の展覧會に出場すべく、その用意とてか、三月のまだうすら寒い中旬の或る日、勘ちやんに洗つてもらつたのが原因で風邪をひき、腸加答兒を併發して、一時ひどく痩せ細つて元氣がなかつたものですから、主人はそれを心配してゐたものと思はれます。
「大ぶん恢復しました。もう少しです」と勘ちやんは答えてゐました。
その通りです。その後の勘ちやんの手あて宜しきを得ましたので、人前に出るのは未だ萬全でないまでも、元氣だけは充分といふところでした。
「今日はこれから撮影をやる」とのことで、主人の宿に三十分と落ちつく間もなく、自動車で比叡山の麓の八潮に行きました。東京附近ではちよつと味へない景色のいゝ、幽邃な地で、そこには、京都警察犬協會所属、高谷三平氏の愛犬アンテオス・バルダ號も來てゐました。
今日の撮影の應援出場だといふのであります。

新国劇「恐怖の家」撮影のエピソード 昭和11年

 

五月十九日

姫路の筑木氏から會費拂込についての問合せがあり、直に返辞を出す。

日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年

 

青葉薫る五月十九日朝からどんよりと曇りがちな蒸せる様な日の午後五時半でした。
まだうら若き身にて輝く将来に幾多の希望を抱きつゝ行年四歳を一期として愛犬ポーラー號は遂に長逝致しました。
生者必滅の譬がありと申しながら、愛する者との死別の悲しみ、思へば過ぎ来し二年有余の春秋、子供に恵まれぬ私共に取りては彼女こそ唯一の我生活の慰めであり、恵みでもあり光りでもござゐました。
終日夜もすがら私共の声を聞けば、姿を見れば耳をねかし尾を振り振りかだらをくねらして欣喜雀躍する彼女でござゐました。
全く彼女なしでは一日の日も過す事の出来ない私共でした。
ほんとに見るからは優しい人懐い理智的な眼ざし、漆黒な背の毛並、四肢のタンの濃さ、あらゆる美點を具へて生立ちし彼女でありました。
尚特筆すべきは母犬としての母性愛に富んでゐた事、涙ぐましい程よく子供を哺育し、又訓練犬としての資格も充分備へてゐました。
二階の出産に於て産まれし彼女の直仔は、各地展覧會にて入賞なし、犬界にワカヤマオオタ名声を挙げしは皆様の御記憶にも新らしい事と存じます。

彼病魔に犯されてより約一ヶ月余、其間獣医様の懇篤なる治療を受け、今一度元気な姿にせんものと全く寝食を忘れて看護に全力を捧げましたが、ああ運なるかな命なるかな、死の一週間前にフイラリヤ症と決定しましたが、最早手遅れでございました。
直ちに特効薬フアジンを注文しましたが品切れ、東京へスチオールを注文しましたが、それを試みる間も待たで私の手を枕に静に永眠したのでございました。
死の直前まで喜んで食事も摂りましたのに、一瞬にして急変したのでございました。
可哀想に適切なる處置を初期に於て施してやらなかつた私共の悔恨や亦深しでございます。
涙に暮れて涙に明かし、終日を在りし日の愛犬の追憶に過してゐます。

呼べばハウスに声あるかと思はれて、亡き彼女を日に幾度か呼びつづけて涙に咽ぶのでござゐます。
ほんとに諦め得ぬ悲嘆の日を送つてゐます。
世の愛犬家の皆様、今後は此哀れな私共の轍を踏み給はぬやう最善の御注意が肝要かと存じます。

目下私共の犬舎には去年十月家族の一員に加はりしライナルド・フオム・ハウス・シユツテイングとポーラーが遺児生後百余日を経しクノー牝犬、チラ牝犬あり、母親の死も知らずに嬉々としてすくすく生立つてゐます。
今や私共は薄命にして逝けるポーラー號に對してせめてもの報恩謝罪の意味に於て彼等三頭の飼育に全力を傾注し、日夜精進を怠らぬ決心でございます。
可憐のポーラー號よ、暗涙にむせびつゝ此稿を閉づ。

和歌山県 太田しげ子「愛犬ポーラーの死を悼む」より 昭和12年

 


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