事少しく舊聞に属すれども、犬の訴訟は本邦に於ける空前の判決例なるを以て茲に其の顛末を記さんに、明治二十九年十一月中古川鎔銅所々長福岡健良氏は猟犬一頭を神奈川県川崎市の矢戸多平方へ預け置きたるを、時の警視総監園田安賢氏は福岡氏より承諾を得たる旨を以て右多平方より自宅へ連れ帰り飼養中斃死せしめたる旨を以て、其後矢戸多平なる者非常の貧苦に陥り、且つ重病にて死に瀕するの有様なりしより、福岡氏自ら相當の手當をなし尚ほ園田氏に對して之れを告げて何分かの救恤の手當を為さざるより、福岡氏は大いに無情を怒り遂に園田氏(訴訟代理人弁護士小島忠里氏)に對し弁護士森肇、朝倉外茂鐵、廣岡宇一郎、天野大蔵、町井鐵之助の五氏を基礎代理人として二百五十圓の損害要償の訴を提起せるが、第一審に於ては原告の敗訴となり、原告は之を不服として控訴せるに、三十一年六月十四日原告の勝訴となり、被告亦更に上告せるに後一年許を経て右上告は棄却されたり。
茲に第二審の確定判決を掲ぐれば左の如し。
右當事者間の明治三十一年の第七十三號損害賠償の控訴事件に付き、當院に於て判決する。
原判決中被控訴人園田精一に関する部分を左の如く変更す。
被控訴人園田精一は控訴人に對し金弐百圓を支払ふ可し。
原判決中、被控訴人園田安賢に関する部分に付ての控訴は之を棄却す。
訴訟費用は第一二審の分共に之を二分し其一部は控訴人に於て之を負担し、其余は被控訴人園田精一に於て之を負担す可し。
事實及争點
控訴代理人は原判決の全部を廃棄し、被控訴人両名は連帯して控訴人に對し損害金弐百五十圓を支拂ふ可し。
訴訟費用は第一第二審共被控訴人連帯負担すべしとの判決を求むる旨申立被控訴人代理人は控訴を棄却せんがを求むる旨申立たり。
控訴代理人の事實上の陳述は第一審判決に摘示する處と同一なるを以て採用す。
而して控訴代理人は本訴の原因は被控訴人が控訴人所有の犬を不注意を以て死に至らしめたる不法行為を原因として損害金を求むるにあらずして、控訴人の所有なる犬の返還を求めんとするも、其犬は斃死したるを以て之が代価を求むるに在りて、控訴人は自己の所有権を原因として本訴の請求を為すものなる旨申立、且つ被控訴人両名は父子の関係を有するものなりとの陳述を為し立証として甲第一號を呈出し、尚ほ第一審に於ける証人は小川松五郎同丑之助及矢戸ヒサノ訊問調書を採用したり。
被控訴代理人は控訴人が訴の原因を変更したるをがを抗弁となし、且つ第一審判決に摘示すると同一の事實上の陳述を為したり。
本訴の争點は第一控訴人は訴の原因を変更したるものなるや否や、第二甲第一號証に記載しある犬は控訴人の所有犬なりしや否や、又其犬は控訴人に於て之を被控訴人へ返還するの義務を有せしものなるや、及其犬の代価へ幾何のものなりしやを判定するにありとす。
判決理由
第一
訴状に第一審に於ける第一回の弁論調書に依れば、控訴人は被控訴人の不法行為を原因として損害賠償を求めたるものなるが明かなり。
然れども第三回の弁論に於て控訴人は所有権を害されたるに付賠償を求むるものなる旨申立たることは第一審の明治三十一年二月十二日の弁論調書に依り明かなり。
而して其申立たるや所有権を害されたることを原因としたるものにして、不法行為を原因となりたるものにあらずと認む。
然るに被控訴人は此點に付き異議を申述たりとのことは第一審の弁論調書に何等の記載なきを以て本訴の原因は巳に第一審に於て有効に変更せられたるものと認む。
而して控訴人は當控訴審にて曩きに第一審に於て変更したるの同一の原因を主唱するものなるが故に、之を以て訴の原因を変更したりと云ふことを得ざるものとす。
第二
控訴人の採用したる第一審の証人小川松五郎の訊問調書に依れば、控訴人は明治二十七年五月中小川松五郎に對する貸金六十圓の代りに「シド」と称する白黒斑の犬を取得したることを認むるに足る。
又第一審に於ける証人矢戸ヒサの訊問調書に依れば、証人は明治二十九年五月一日、「シド」と称する白黒斑の犬を控訴人より預りたること其后同年十一月初旬被控訴人園田精一は其犬を連れ行きたりとのことは充分之を認むるに足る。
然るに控訴人の主張する犬は其名を「シード」と称するも「シド」と「シード」は其音調の長短あるのみにして控訴人の称する「シード」と称する犬も其毛色は白黒斑なりと申立つるを以て見れば、前掲両証人が「シド」と称する犬と控訴人の主張する「シード」と称する犬は全く同一のものなりと認定す。
而して被控訴人が飼養したる所の犬は其名を「シド」と称し、白黒斑のものなりしことは被控訴人の争はざる處なるのみならず、園田精一と園田安賢とは父子の関係を有するものなりとの控訴人の申立に對しては被控訴人の何等の陳述を為さゞるを以て被控訴人両名は父子の関係ありと云はざるを得ず。
以上の事實に依りて之を推定するときは被控訴人が飼養したりと称する「シド」なる犬は控訴人の處有に属するものなりと認定するは事理の尤も穏當なるものとす。
然るに被控訴人園田安賢は甲第一號証を援用して「シド」なる犬は安賢の處有なりしことを証せんとするも、該証は犬の斃死したるをことを証するに足るも、之を以て其犬の處有主を証するに足らざるものとす。
如何となれば該証に於て畜主として園田安賢の使命を記載したるは安賢の申立てを記載したるに過ぎずして、其畜主の何人なるやは東京家畜病院の証明したるものに非らざればなり。
又た被控訴人は「シド」なる犬を達磨定事小松松五郎より購求したることを主張し、控訴人に於て其事を争ふに拘らず、被控訴人は何等の立証をなさゞるを以て其事實は之を認むることを得ず。
之を要するに被控訴人の主張は毫も前掲の認定を妨ぐるものに非らざるなり。
然れども控訴人の所有すに属せし犬は被控訴人園田安賢に於て之を飼養したりと認むることを得ずして、被控訴人園田精一に於て之を飼養したるものなりと認定す。
蓋し第一審に於ける証人矢戸ヒサの訊問調書に依れば、犬を連れて行きたる者は精一にして、安賢毫も其行為に関係を有せし事實を認むることを得ざるのみならず、前掲説明の如く「シド」なる犬は安賢の所有に属せしものなりとの事實を認むる能はざる以上は控訴人の所有せし「シド」なる犬を飼養したるは精一なりと認むるは事實の認定上當然の結果と云はざるを得ず。
前掲認定の事實に依れば控訴人の所有に属せし「シド」なる犬は、被控訴人精一に於て之を飼養し居たるが明かなり。
随て被控訴人の請求に応じて之を返還するの義務を有せしものなることは法理の尤も見易き處なりとす。
然るを其「シド」なる犬は明治二十九年十二月十日東京家畜病院に於て斃死したるものなることは當時者間争なき處なるを以て被控訴人精一は控訴人に對し其犬の斃死の時に於ける相當代価の弁償を為すの義務を免かれざるものとす。
随て被控訴人園田安賢は其弁償の義務を有せざることも亦明かなりとす。
而して被控訴人精一に於て其義務を免かれんとするには控訴人の所有に属する犬を飼養するに拘らず被控訴人は其犬を返還するの義務を有せざりし事實を証するか、又は其返還の義務は被控訴人の過失に帰すべからざる原因に依りて不能に関せし事實を証せざるべからず。
然るに其點に関しては被控訴人は毫も立証を為さゞるに依り、被控訴人精一は到底弁償の義務を免かるゝを得ざるものとす。
「シド」なる犬の代価に就ては、控訴人が援用したる第一審の証人小川丑之助の訊問調書に依れば、明治二十九年にありては百五六十圓以上弐百五六十圓位の價ありとの証言あり、
當院は其証言を信認するに足ると認むるを以て「シド」なる犬の斃死の當時に於ける相當代価は之を弐百圓と認定す。
訴訟費用に付ては園田安賢に生したる費用は控訴人に於て之を負担し、園田精一と控訴人との関係に於て控訴人に生じたる費用は精一に於て負担するを相當なりとす。
故に結局全訴訟費用を二分し一分を控訴人に於て、一分を被控訴人精一に於て負担せしむるを相當と認む。
前掲の理由に依り民事訴訟法第四百二十条及第四百二十四条に従ひ主文の如く判決す。
東京控訴院民事第二部
裁判長判事 前田孝階
判事 羽生顕親
判事 塩野宣健
判事 中島正司
東京控訴院判事代理
判事 瀬場善一郎
原本に依り此正本を作るものなり
明治三十一年六月十四日
茲に第二審の確定判決を掲ぐれば左の如し。
右當事者間の明治三十一年の第七十三號損害賠償の控訴事件に付き、當院に於て判決する。
原判決中被控訴人園田精一に関する部分を左の如く変更す。
被控訴人園田精一は控訴人に對し金弐百圓を支払ふ可し。
原判決中、被控訴人園田安賢に関する部分に付ての控訴は之を棄却す。
訴訟費用は第一二審の分共に之を二分し其一部は控訴人に於て之を負担し、其余は被控訴人園田精一に於て之を負担す可し。
事實及争點
控訴代理人は原判決の全部を廃棄し、被控訴人両名は連帯して控訴人に對し損害金弐百五十圓を支拂ふ可し。
訴訟費用は第一第二審共被控訴人連帯負担すべしとの判決を求むる旨申立被控訴人代理人は控訴を棄却せんがを求むる旨申立たり。
控訴代理人の事實上の陳述は第一審判決に摘示する處と同一なるを以て採用す。
而して控訴代理人は本訴の原因は被控訴人が控訴人所有の犬を不注意を以て死に至らしめたる不法行為を原因として損害金を求むるにあらずして、控訴人の所有なる犬の返還を求めんとするも、其犬は斃死したるを以て之が代価を求むるに在りて、控訴人は自己の所有権を原因として本訴の請求を為すものなる旨申立、且つ被控訴人両名は父子の関係を有するものなりとの陳述を為し立証として甲第一號を呈出し、尚ほ第一審に於ける証人は小川松五郎同丑之助及矢戸ヒサノ訊問調書を採用したり。
被控訴代理人は控訴人が訴の原因を変更したるをがを抗弁となし、且つ第一審判決に摘示すると同一の事實上の陳述を為したり。
本訴の争點は第一控訴人は訴の原因を変更したるものなるや否や、第二甲第一號証に記載しある犬は控訴人の所有犬なりしや否や、又其犬は控訴人に於て之を被控訴人へ返還するの義務を有せしものなるや、及其犬の代価へ幾何のものなりしやを判定するにありとす。
判決理由
第一
訴状に第一審に於ける第一回の弁論調書に依れば、控訴人は被控訴人の不法行為を原因として損害賠償を求めたるものなるが明かなり。
然れども第三回の弁論に於て控訴人は所有権を害されたるに付賠償を求むるものなる旨申立たることは第一審の明治三十一年二月十二日の弁論調書に依り明かなり。
而して其申立たるや所有権を害されたることを原因としたるものにして、不法行為を原因となりたるものにあらずと認む。
然るに被控訴人は此點に付き異議を申述たりとのことは第一審の弁論調書に何等の記載なきを以て本訴の原因は巳に第一審に於て有効に変更せられたるものと認む。
而して控訴人は當控訴審にて曩きに第一審に於て変更したるの同一の原因を主唱するものなるが故に、之を以て訴の原因を変更したりと云ふことを得ざるものとす。
第二
控訴人の採用したる第一審の証人小川松五郎の訊問調書に依れば、控訴人は明治二十七年五月中小川松五郎に對する貸金六十圓の代りに「シド」と称する白黒斑の犬を取得したることを認むるに足る。
又第一審に於ける証人矢戸ヒサの訊問調書に依れば、証人は明治二十九年五月一日、「シド」と称する白黒斑の犬を控訴人より預りたること其后同年十一月初旬被控訴人園田精一は其犬を連れ行きたりとのことは充分之を認むるに足る。
然るに控訴人の主張する犬は其名を「シード」と称するも「シド」と「シード」は其音調の長短あるのみにして控訴人の称する「シード」と称する犬も其毛色は白黒斑なりと申立つるを以て見れば、前掲両証人が「シド」と称する犬と控訴人の主張する「シード」と称する犬は全く同一のものなりと認定す。
而して被控訴人が飼養したる所の犬は其名を「シド」と称し、白黒斑のものなりしことは被控訴人の争はざる處なるのみならず、園田精一と園田安賢とは父子の関係を有するものなりとの控訴人の申立に對しては被控訴人の何等の陳述を為さゞるを以て被控訴人両名は父子の関係ありと云はざるを得ず。
以上の事實に依りて之を推定するときは被控訴人が飼養したりと称する「シド」なる犬は控訴人の處有に属するものなりと認定するは事理の尤も穏當なるものとす。
然るに被控訴人園田安賢は甲第一號証を援用して「シド」なる犬は安賢の處有なりしことを証せんとするも、該証は犬の斃死したるをことを証するに足るも、之を以て其犬の處有主を証するに足らざるものとす。
如何となれば該証に於て畜主として園田安賢の使命を記載したるは安賢の申立てを記載したるに過ぎずして、其畜主の何人なるやは東京家畜病院の証明したるものに非らざればなり。
又た被控訴人は「シド」なる犬を達磨定事小松松五郎より購求したることを主張し、控訴人に於て其事を争ふに拘らず、被控訴人は何等の立証をなさゞるを以て其事實は之を認むることを得ず。
之を要するに被控訴人の主張は毫も前掲の認定を妨ぐるものに非らざるなり。
然れども控訴人の所有すに属せし犬は被控訴人園田安賢に於て之を飼養したりと認むることを得ずして、被控訴人園田精一に於て之を飼養したるものなりと認定す。
蓋し第一審に於ける証人矢戸ヒサの訊問調書に依れば、犬を連れて行きたる者は精一にして、安賢毫も其行為に関係を有せし事實を認むることを得ざるのみならず、前掲説明の如く「シド」なる犬は安賢の所有に属せしものなりとの事實を認むる能はざる以上は控訴人の所有せし「シド」なる犬を飼養したるは精一なりと認むるは事實の認定上當然の結果と云はざるを得ず。
前掲認定の事實に依れば控訴人の所有に属せし「シド」なる犬は、被控訴人精一に於て之を飼養し居たるが明かなり。
随て被控訴人の請求に応じて之を返還するの義務を有せしものなることは法理の尤も見易き處なりとす。
然るを其「シド」なる犬は明治二十九年十二月十日東京家畜病院に於て斃死したるものなることは當時者間争なき處なるを以て被控訴人精一は控訴人に對し其犬の斃死の時に於ける相當代価の弁償を為すの義務を免かれざるものとす。
随て被控訴人園田安賢は其弁償の義務を有せざることも亦明かなりとす。
而して被控訴人精一に於て其義務を免かれんとするには控訴人の所有に属する犬を飼養するに拘らず被控訴人は其犬を返還するの義務を有せざりし事實を証するか、又は其返還の義務は被控訴人の過失に帰すべからざる原因に依りて不能に関せし事實を証せざるべからず。
然るに其點に関しては被控訴人は毫も立証を為さゞるに依り、被控訴人精一は到底弁償の義務を免かるゝを得ざるものとす。
「シド」なる犬の代価に就ては、控訴人が援用したる第一審の証人小川丑之助の訊問調書に依れば、明治二十九年にありては百五六十圓以上弐百五六十圓位の價ありとの証言あり、
當院は其証言を信認するに足ると認むるを以て「シド」なる犬の斃死の當時に於ける相當代価は之を弐百圓と認定す。
訴訟費用に付ては園田安賢に生したる費用は控訴人に於て之を負担し、園田精一と控訴人との関係に於て控訴人に生じたる費用は精一に於て負担するを相當なりとす。
故に結局全訴訟費用を二分し一分を控訴人に於て、一分を被控訴人精一に於て負担せしむるを相當と認む。
前掲の理由に依り民事訴訟法第四百二十条及第四百二十四条に従ひ主文の如く判決す。
東京控訴院民事第二部
裁判長判事 前田孝階
判事 羽生顕親
判事 塩野宣健
判事 中島正司
東京控訴院判事代理
判事 瀬場善一郎
原本に依り此正本を作るものなり
明治三十一年六月十四日
同月十四日(火曜日曇)
子を弄うとカメが怒り升よと、お母さんが云たけれども、少し弄つて見たがおこりもせずジツと見て居るばかり。
カメもお母さんになつたのでをとなしくなつたと見江る。
京都市下京區祇園新地切通シ冨永町下ル 梅村勝之助 明治38年6月