拾はれた名犬の落し主が五人も現れたが、毛並にも體躯にも何一つ取立てる特徴もないので、さすがの警察官も飼主選びに面喰つた珍事件が、大の犬好き巡査の奇智で、圓満に一ヶ月振で元の飼主に返されたといふ今様大岡裁き―。
去る七月九日午後一時半ごろ、西淀川區姫島町市道路工夫家田秀雄君が阪神國道道筋鷺州第三小學校前で晝弁當を開いてゐるところへ慕ひよつた一匹のシエパード種牝犬が、どうしても離れず首輪もないのでテツキリ盗まれたものか迷ひ犬と見て、福島署へ届出たが、同署でも保管の處置に困り、同君が愛犬家で預かつてもよいとのことに保管を依頼すると共に、同署前に掲示したところ、一ヶ月後の八月十三日午後に至り私の犬だと名乗り出たシエパード紛失者が五人も現れて、生育年月といひ、毛並といひ、皆一様の申立てゞ、當の係官もサテ誰が本當の飼主やら判定に苦しんでゐた時、居合せた愛犬家の同署會計係巡査和田義盛氏が大岡判官にならつたのではあるまいが、去月九日午後零時ごろ西淀川區浦江北五丁目省線ガード下附近で飼犬を失つたといふ浦江北大工職長谷川義之さんほか四名を、十三日午後同署裏の操車場に集め、その場へ家田君が右のシエパードをひき入れて、一人々々に犬の名を呼ばせて近づけ、あるひは遠ざけなどと試みたところ、四氏はほえられ、その中の某氏のごときは、すんでのことに頭をガバと咬まれさうになつたくらゐで、一町も離れた長谷川さんが口笛を吹いてローザと呼ぶと、右のシエパードは一目散にかけつけ尾を振り首をなすりつけて大喜びで、長谷川さんも目を細めて口をなめさせてゐる親愛ぶりに、遂に同巡査の判定によつて長谷川さんの所有と軍配が上げられ。
大阪毎日 昭和11年