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Channel: 帝國ノ犬達
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7月10日の犬たち

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敷地の奥に百古里(スガリ)と云ふ山里がある。

 

其處にはJと云ふ猪打専門の猟師が居る。仁田の四郎の再來とでも云をうか、時々猪と組打をする。先年大きな手負猪に追はれて大木を中心に七廻りも逃廻つて居りながら、隙を見て射止めてしまつた手腕には敬服したよ。

足の強い事天下一品、谷にかゝると犬の與太〃するのを面倒臭くて引抱へて歩く。つまり犬より足が達者だと云ふ事を證明する。

此の地方では狐狸は鐵砲では捕らぬ。皆毒薬或は爆發薬で捕る。

いくら猪追の名犬でも根が畜生の悲しさ、山へ這ひ入れば置き忘れの御馳走に欺されて、狐狸と同様の最期を遂げる。

昨年の如きは生き残つた猪犬は主人公の留守番に家を守り、人間同士が犬の代りに猪の足跡から寝巣迄探し廻り、犬以上の能率を上げて澤山の猪を捕つた。

やれウインチエスターだブロニングだなどと十連發や五連發をかつぎ廻る、否供に持たせて猟をする人々は猪の跡を打つ衆の事、此のJの様に腕と足で猪を捕る衆は肉を賣つて職業にするだけの事。此の二つの理由がわかれば、猪打なんぞは楽な物だよ。

場面は一變して三方原に移る。

旦那欺されたと思つて稲が刈られてしまつた時分に一度來て御らんなさい、鶉がぶる〃出ますよ。そうですね!弾は一日百發では足りますまいよ。旦那の腕前なら一發で二羽宛落とせばば二百羽は確實ですとの事。

話半分と聞いて五十發の弾丸を用意して案内人をすつぽかしにして単獨目的地へ向ふ。

口留されて居る爲め目的の地点の發表が出來ぬ。只濱松を去る二里以内の地にて、三方原の一部と御推察を願ひたい。

小松原を別けて障害物も無き野原に出る。ことわつて置くが、小生の犬はポイントするのダウンするのと云ふ様な名犬では無い。仔犬の時、腕白小僧が縄をつけて水葬にしやうとするのを氣の毒の至りと貰ひ受けた日本犬。俗に云ふ、かめ犬だよ。ゲームに近づけば尾の振り方が猛烈になる。全身此れ力と云ふ様な緊張振りを見せる。動物電氣の一種で、主人の吾輩にも直に感電してゲームの舞立ちを直覚する。

犬がポイントする。日頃高價な犠牲を拂つたクレー打の腕前は、此の時とばかり柄にも無い大聲でどなつた爲に肝心のゲームはする〃と這ひ逃げて、っても方角違ひの遠方から舞立たれ、打つは打つたが跡を打つて罪もな犬を𠮟り飛ばす様な殿様藝とは一寸違ふよ。

さて此の草原へ來た犬の動作でゲームの飛び立を直覚した。ブル〃と鶉が出ると思ひの他、じいーと田鴫が舞立つた。をや飴の中から金時さんじや無いが、乾いた草原から田鴫が出るとは驚いた。田鼠化して鶉となるではなくて、鶉化して鴫となるか。世も文明進化したものさ。

兎に角五十發を射ち盡し腰は軽くなるし、相對性原理に従つて獲物は重くなつたわけだよ。何羽打ちましたかと、馬鹿にするない。憚りながら静岡縣の非天狗だ。などと云つた所で鶉だ〃と思つて居た内は残念ながら見事失中さ。聊か修養の足らぬ感がしたよ。後で聞いたら此所は濱松のY等の秘密猟場との事。氣の毒の事をしたと思つた。

其れに付ても他人の大切な猟場を荒すのは宜い氣持の物ではないよ。吾輩だつて、たった一個所田鴫のつく山中の秘密猟場があるよ。此處は始めから鴫が出ると云事が明らかだから、一發でも無駄矢はないよ。

天気の都合で百羽位の大群にぶつかると云ふ始末さ。其の時の腕前を見せてやりたいよ。然し此處を公開すれば吾輩の狩猟の生命は零さ。鐵砲をやめたら必ず公開するよ。まー時節を待つて貰つて、此處らで筆を置く事にする。

大正十五年七月十日

非天狗「猟界雑話」より

 

 

十日
滿二十二ケ月(昭和9年7月10日)

曇、同上、但し途中より發作を起し歸宅の後、暫くして苦悶、午後二時より約三十分連行、發作の徴あり但し無事。
深澤政介「愛育日記」より 昭和9年
 
犬
 
壮快なる近代的スポーツとしての登山熱に就ては、敢て私などが出る幕ではない。
然し犬好きの人間が、愛犬とアベツクの登山なら多少はやきもきして「ようし、それなら俺もやつてみやう」などゝ云ふ人がないとも限らぬ。
関西で犬の四十キロ足力テストを試みた直後、私は高山に於て犬にどれだけの耐久力があるか試してみたいと思つて、富士の開山式の當日登山することに決心して、諸般の準備を進めた。

たゞ問題は天候である。
私は心密かに快晴を祈つた。天候さへよければ頂上まで登つて下山することは、さして困難ではあるまいと豫想したからである。
そこで、山の主中央気象臺富士山頂観測所嘱託の梶房吉君や、御殿場驛前の田口館加藤正路氏らに山の状況、登山と犬との関係などに就て一應の豫備知識を得たいと思つていろいろの質問をした。
すると、猟犬などで稀に足から血を流し乍ら登つて來ることもあるが、最初から登山が目的ではなく、登山にまぎれ迷ひこんで登つて來たらしいと云ふことであつた。

猟犬と云へば俊敏果敢、足が達者で焼石(※溶岩のこと)の上を歩いても平然たるものゝやうに考へる人が多いが、いくら猟犬でも焼石やガラスの破片の上を飛び廻つたのではたまらない。
概して、鳥獣は霊峰富士の如き砂山石山には棲んでゐない。必ず森や林などのある鬱蒼たる樹木の葉蔭に身を忍ばせてゐるのであつて、猟犬の飛び廻るところ必ずしも石や岩ときまつてゐないのである。否、寧ろ足あたりのよい場所ばかり疾駆してゐると云つた方が適切であらう。
もしも、堅い平地の道路を疾走した場合には、シエパードやドーベルマンと果して何れが優劣であるか、私は今尚ほ疑問を抱いてゐる。

なにしろ一萬二千餘尺の高峰を征服しやうとするのだから、私も些か不安であつた。
登りは左程でもあるまいが、下りの疲労を懸念したからである。

然し私の懸念は全くの杞憂であつた。梶房吉君は人も知る砂走りの名人で、二間から二間半位楽々と飛ぶが如くに下るのであるが、愛犬ドルフ號も梶君と競争して山を下つた。
この砂走りで犬が後脚を傷めるだらうと心配したけれど、足の皮膚が少しばかり赤くなつた位で、何等の傷跡ものこさなかつた。
これはドルフが名犬だと云ふのではなく、何んな犬でも登山は出来ると思ふ。
只、眺めるだけに飼育してゐる愛犬では多少困難かも知れないが、シエパードとしての運動をしてゐる犬で、主人に度胸さへあれば大抵大丈夫だと云つてもいゝ。

愛犬をつれて登山を試みる人々は、薬品まで用意する必要はないが、水は必ず持参し、登降の際に一合目一合目で飲まさねばならない。殊に砂走りは口中に砂(焼小石)が入り、舌の先から出血をみることがある。但し、砂走りには剛力の力をかりて二間づゝも飛ばないやうにすれば砂が入るだけで出血はない。
水の與へ方は、登山者が口中に水を含んで犬の舌の砂を洗ひ落すやうにしてやる。
太郎坊まで來たら充分に水で口を洗つてやり、牛乳でも與へて早く自宅か、宿屋へ引揚げることである。疲れてゐても途中で長い休憩をとることはなるべく差控えた方がいゝ。

最後にドルフ號の登山試験についてみると
六合目で人體飛越三回
頂上九合目往復物品運搬、一米のジヤンプ弐回、人體飛越一回

右は何れも久順志神社前、順走頂上口、御殿場口頂上にある神社、何れも神官及び中村主典御立會の上で施行したものである。
これより頂上オハチ廻り(噴火口内外一周)をし、更に最高峰剣ケ峰、大澤の地獄谷の親知らずの鉄梯子二十一尺を登り切つたが、写真は其の時の記念撮影である。同處は奈良女学校の生徒が八名も遭難即死せる富士山中唯一の難所と云はれてゐる。

第一回の登山成績は以上の通りであつたが、七月十日更に第二回の登山を試み、一合目あたりより暴風雨となつて寒気と戦ひ、雨中の登山を決行して無事下山したが、ドルフは非常に元気で平素と何ら変ることろなかつた。
たゞ二回共、一日五六回の下痢を見た。原因に就いてはまだ調べてゐない。

吉川静松「愛犬ドルフ號との登山記」より 昭和9年

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