保安用犬として實験した實例も少なくなかつた。大正五年九月五日夜半、上野公園の山上にハルクエングレート種のスター號をつれて行くと、犬は公園内に人が居ることを教へてくれた。
そこで放して追跡して行くと、両大師前の草原に、一人の学生が毒をのんで苦悶してゐるのを發見し、直に警察につれて行つて救助したことがある。
それから大正九年の十一月の未明頃、矢張り上野の山へスター號をつれて行くと、又人の居る事を教へたので、尾行して行くと、手提金庫をマントに包んだ怪しい男が徘徊してゐたが、忽ちくはへて逃走を防ぎ、捕縛してしまつた。
『探偵犬の話』より もと警視廳警察犬係 荻原沢治
金子氏愛犬ロリー・オブ・ウエストヒール號は、一時由井氏の犬舎に在つて寵愛を集めて居りましたが、再び金子氏の許に戻つて居りましたところ、九月五日發病。フイラリアに依る腹水病にて同三十日六歳を一期として死亡しました。
『愛犬の噂』より 昭和9年
神宮の外苑にて自轉車にて牽運動をしてゐるシエパード犬を見る。
私は審査員ではなしまして犬に對する経験も浅いのであるが、その犬の體型ははつきりと速歩中で見る事が出來なかつたが、自轉車で紐付であつたが、その歩様は實に私の見たところでは素晴しいものの様に思はれた。後肢の踏込から前肢に移動する推進力は滑らかに地を滑る様に、所謂抵伸潤大とでも云ふ様な歩様を示してゐた。
又指導手の方もその自轉車に乗つて居乍ら無理する事なく、犬の歩度に調子を合せるが如くし、全く紐無しと同じ様な状態にあつたのには感心させられた。
笛木岳夫 昭和10年9月5日
構造を詳述すれば、場内建造物は北側入口より西側二階下勝犬票、福犬發賣所、無料両替、配當金支拂口
階上揺彩票抽籤場及特別観覧席の一棟を築造、東側には警察官詰所、事務室、宿舎、便所、自転車置場、それに南廻して湯呑場、賣店、其の前方に審判所、反對側に仮犬舎、スタンド、指導手控室。
直線走路三百米突、南側に發犬箱を設備し、西側は練兵場との隔壁の爲め木柵及アンペラ工事に依り観衆の立入を禁じた。
競走場内は直曲両線共百米毎に掲示標を樹て距離測定に便じ、構造としては深甚の注意と苦心が拂はれたものである。
此の工事は直営の下に加藤熊三郎氏をして行はしめ、康徳八年七月十三日に起工され、竣工したのは同年九月五日であつた。
競犬の出發に對しては種々の議論があり、従來の指導補助士を使つて犬を抱かして、命令一下放たせる方が良い等唱えられた中に、これも上海グレーハウンドの資料に暗示を受けた青木氏が、更に之れに獨創的工夫を施して作製されたのが、現在使用してゐる發犬箱で、更に之れに依つて競技は一段の進境を示したのは否めない事實である。
滿洲軍用犬協會史より 昭和16年