◎ハシモト(橋) 浅草倶楽部飼犬
◎ハマコマ(駒) 同
◎イチ 辻氏愛犬
◎ウシヤ 加納徳氏愛犬
◎チマ川 片山氏愛犬
◎仁王 金子氏愛犬
◎桃田 中徳氏愛犬
◎クマ 加納徳氏愛犬
◎松本 加納徳氏愛犬
◎アヅマ 野村氏愛犬
何れも劣らぬ土佐の猛犬、右に左に取つては取られ、取られては取り、一上一下と戰つたが、體躯に於いて松勝り、アヅマは常に不利の地にあつたが、それも止むを得なかつた。次は評判の石黒と岡崎。
◎黒石 加納徳氏愛犬
◎岡崎 野村氏愛犬
御待ち兼ねの黒石と岡崎、記者も茲ぞと一生懸命息を凝して見て居つたが、戰ひ十二分と三十四秒で目出度千秋萬々歳。
速記が手帖に残つて居れども萬一誤つては相済まぬ。茲にて御免を蒙ることゝした次第。
浅草倶楽部 大正3年11月19日
滿洲國に時めく交通部總長丁鑑修が、世界的の愛犬家である事は日本の愛犬家諸君も餘り御存じあるまい。
彼は十數年來犬と共に食い犬と共に寝て、寸臥時行にもその身辺から愛犬を離した事はない。
記者は十一月十九日午後、新京場内の交通部に丁總長を訪問した。
先づドアを開けて驚いた。獰猛な鼻面物凄いブルが入口の両方に二疋頑張り、その又後方にシエパードの後續部隊が、イザと言へば一咬みにせんず姿勢でかまへて居る。
記者は思はずアツ!と二三歩後退りをした處、丁總長言葉柔かに「何うぞこちらへ」と勧められ、俄かに日本人の威容を示し、其の實オヅ〃と室内に入ると、例のブル君ノソリ〃と後足を嗅ぎつゝついて來ると言ふ始末。軈て話が始まり十分位経つと、鼾聲、雷の如きものがある。
何者と邊りを見廻すと、その主こそ誰あらうブル君。悠々と丁様の足下に心地よげに寝そべつて居る。
一寸日本では見られぬ情景ではありませんか。
日本シェパード倶楽部 藤井生「新京より」 昭和7年
犬の方の仕事は全然何にもしなかつた。どんな風に手をつけて行つたらよいか一寸困つてゐる。先づ沈思黙考と云ふ形である。
今年中に目鼻丈でもつけ度いと思つてゐたが、この分では出來さうにもない。春迄にとても延す事にするか。
まつたく當地方S犬界周囲の状況は一寸手出し出來兼ねる。
今度の會報を見ると會津の方から二名の入會があつた様だ。先月同地方から一名あつたと記憶してゐる。返つてこの中通りよりもそちらの方に手を出した方が楽かも知れない。
難しい事より楽な方が私は好きだ。
然し會津の方は私等が出シヤバラなくともチヤンと入會する人がある。矢張り私の足許から遅くとも地味にやつて行かねばならない。それに今度は一年や二年で引上げる土地でもなし、一生落着くところなのだから長期交戰の構へと行かう。
今月に於ける犬に関する出來事で考へさせられた事は、當地方で四五日前から行はれてゐる野犬撲殺だ。
野犬と云ふ。
然しそれは何んでもかまわない犬と云ふ犬。
放飼されてゐる犬は總てその場でノバされてしまふのだ。前以て通知でもしてくれゝば致方もあつたらうが、運悪く放してゐた犬はその初日に殆んど全滅した様だ。
勿論その大多數は皮にした方が有用なものだらうが、私の最も殘念なのは良種牡の無い當地方であつた一頭、これでもその邊のボロ牡を使はれるより幾何かはマシだと思つてゐた牡犬が、その日に限つて出てゐたのを早速やられてしまつた事だ。
其の他にもたつた一頭のドーベルマンや其の他の少數な良犬の大部分もやられた様だ。
殺されてしまつてから兎や角言つたところで致方もない譯だが、もう少し合法的にやつてくれても良さゝうに思ふのだが、長いものには巻かれろでは諦められない。長い方では自分も人には退をとらない心算だ。もう一寸五分で一間だ。ハバカリながらブランコ(吊し)の洋服等は着た事はないんだ。
幸ひ私のところは被害がないからこの位で我慢してゐられるのだ。
私は常々考へてゐる事だが、地方、殊にこの東北で今最も必要なのは、人々の研究心と犬では良牡犬だと思ふ。
良い犬が尠ない一つの原因として、種牡犬の無い事にあると考へてゐる。この東北でのS犬を有する人の中、良い種牡を求めて自分の牝犬を他の地方迄交配に送る人は、果して何パーセントあるかである。
殆んどは第一に手近にある事を條件として、次に毛色か、大きさが問題になるのではないかと思ふ様な傾向がある。
結局人々の自覚にも待たなくてはならないが、その手近にもつと良い種牡として役目を果し得る丈の犬を置かなければならぬ。そしてそれは刻下の急務だと思ふ。然しこの事は私の様な素寒貧が幾何思ぐたところで話は始まらぬのである。
先立つものを先立たせてからでなければ、何んとも仕方のない事なので、今迄黙つてゐたのだが、何時になつたら先立つか當もなし、年中この事を繰返して思つてゐると思想悪化と云ふ大ソレた結果にならぬとも限らぬので、止めに度いと思ふ。
秋田からの通信はその度毎に益々順調に進んでゐる事をしらせてくれるので、私としてこんな嬉しい事はない。
會員も次第に増して行く様だし、その態度もより研究的になつて來た一方、他日何れか大きな仕事の爲に餘力を蓄ひつゝあるとか。誠に結構な事である。
聞くところに依れば、他の團体も何かを作る様な形勢にあるとかである。
然し秋田グルツペ以外の人々はほんの二、三名に過ぎない筈だし、現在のグルツペの人々は絶對に秋田に於けるS犬の最上級の人々なのだから、彼等が若し何かをやつたところで指導者もなく、指導目標だつてハツキリ持つてゐないだらうし、始めの中は確かに御祭り騒ぎをやるだらうが、人を得れないだらう。
彼等には何にも出來る筈がないのだから、グルツペは冷静に自分の歩むところを進んで行けば決して大丈夫と考へてゐる。
生れて初めて自分のものと名のつくストーブを今日燃し初めをして、その側で書いて見た。良い氣持ちである。 11月19日
山邊久「身邊雑記」より 昭和11年