Quantcast
Channel: 帝國ノ犬達
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4169

12月22日の犬たち

$
0
0

『東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正12年12月22日診察 

 

 

我等の主張

以上が今回の事件の荒筋である。雨降つて地かたまる。これが動機となつて協會が益々健實に發展せんことを衷心より希望するが、それと同時にこれまで屡々協會理事者に語つたことであるが、協會に對し註文したいことがいろ〃ある。

第一は屡々述べた對立氣分の一掃である。其神経質さへなければ協會の絶對性は自他共に認めるであらう。

第二は併合の立前を統制の立前に転向されたいことである。併合しやうとするから無理が出來る。又さうした氣持で立つから協會人以外は敵のやうに見える。一人で總べてのことをしなければならぬので、奔命にも疲れる。

第三は衆知を集めることである。理事者はそのためにも努めて犬界人と接触すべし。ところが例の對立氣分に災ひされて、個人なら下げられる頭も、協會の理事者としては下げられぬと云ふ風があつた。これでは自ら障壁を設けるもの。協會は趣味團體ではないから私情を捨てゝ大目的の達成に努められたい。

第四は會費の低減。現在の十圓は如何にも高過ぎる。小數有産階級の場合なら別だが、殊に将來は地方人により多く期待をもたなければならぬ軍犬の會であるから、乙種會員と云ふ名目でもよい、もつと安い會費でも入會の出來るやうにしたい。

第五、會報の刷新。こゝにも對立の幽霊が躍つてゐるやうに思ふ。又今迄會報の編輯をごく単純に考へた理事者の認識不足も改められたい。この點は今迄編輯に當つた田島理事に多大の同情を持つ。しかし既に二千の會員に配るのであるから、何も営利雑誌のやうに無闇にお化粧する必要はない。實質本位、内容本位で行つたら、経費も相當節約出來るであらう。

第六、研究部門の新設。既に衆知を集めよと云つたが、その衆知を努めて利用することである。一般犬界人も協會が真の使命に目覚めれば、喜んで協力する氣持の濃厚であることが観取される。それ等の人々をいろいろの研究部門に配属させる。或は研究の諮問機関を作る。協會の事業は漸く緒に就いた許りであり、殊に研究方面は殆ど未だ手を染められてゐないのだから、是非に實現したいもので、これが出來れば會報の記事には困らぬであらう。

第七、畜犬商も會員にすること。今日の制度では協商會が必要であり、協商會が存在すれば聯絡係りが要つて、何時も今度の築山氏のやうな犠牲が出ることになる。今日では既に會員二千人以上の大協會であるから、この方面にも襟度を廣くして、禍根を除かれたいものである。

第八、これは稍老婆心に過ぎるが、協會幹部は出處進退を明にする事。努めて己を空しくして協會のために盡す一面、協會幹部である以上は身を堅持すること。自分の金で遊ぶのだから何等やましくないことでも、各方面にいろ〃のデマがとび、協會の大目的達成に障害になつてゐる。實例を往々耳にするので、特に附加した。

犬界の大同團結

これらの要求は、しかし速急に出來るものとは我等も思つてゐない。徐々に改善され、或は他山の石とせられゝば本懐であるが、最近協會は著しく寛大となり、廣く犬界の意嚮の上に立つて、協會を愈よ強固に導かうとする態度が察知される。その第一の現れは本社が次號のために十二月廿二日夜催した軍犬報國座談會である。出席者の顔触れは、協會から大島會長、牧田理事、佐々木主事、有坂大尉(※有坂光威騎兵大尉。後にJSVへ転籍)。

陸軍省から栗林中佐(※栗林忠道)、田村少佐、川並二等獣醫正、加藤三等獣醫正。

日本シェパード犬研究會から浅田甚右衛門、中島基熊、相馬安雄(※新宿中村屋社長)、関信止、松本有義氏の五氏。

日本犬保存會から板垣博士(※板垣四郎帝大教授)、齋藤弘(※斎藤弘吉)、北村勝成の三氏。

エアデール協會から進藤光之助、由井彦太郎、中元銀弘氏の三氏。

かくて協會陸軍側は今迄比較的接触しなかつた犬界人から、この機會にいろ〃腹蔵のない意見をきいたのである。将來この催しが機縁となつて犬界に真の大同團結が成れば「犬の研究」が愛犬家に贈る第一年最後の、又最大の贈物となるであらう。

白木正光『犬界時事解題・帝國軍用犬協會の不正血統證事件 なぜ明るみに出たか』より 昭和8年

 

 

昨今、米炭の入手不自由な事夥しい。全國的國策型の波である。殊に米の不自由さは當地方昨今著しい。
其處で節米といふ事が喧しくなつてくると共に、飼犬といふものが、節米線上にクツキリクローズアツプされて來た。
或地方では飼犬を全然廃し節米しようと云ふ。
實際、私の家庭を例にしてからが、米俵の置物があるわけではなし結局、なくなれば又米屋さんにもつてきて貰ふと云ふ状態。所が最近米屋さんは、一俵と云つても持つて來ない。精々一斗といふ具合。
是れでは一家五人と犬とでは瞬く間に消化して仕舞ふ。
こうなると犬に食す米が惜しくなつてくる。こうかくと彼奴は愛犬家ではない、むしろ犬を飼ふべき人間ではないといふ話にもなるかもしれないが、事實は相でない。
米は人間の主食である以上、國策的に節米が行はれて居る。犬に食はす米は、即我々の主食物である。
此點を考慮し、全國の飼育者から節し得る米の量は蓋し相當なものであらう事が想像され得る。
之即國策に順應したものであらう。
為めには白米に代る食品を、犬の物めに考へてやり、且其を普及徹底さすべく務めなければなるまい。
敢て云ふ。
本部の面々須く此點に留意して貰ひ度い。呵々。
私の友人は、犬に専ら二番米と称すものを與へて居る。低廉な値段と節米を相平衡した方法である。
彼の飼犬は立派に育て居る。
永岡恒雄「DER WURF」より 昭和14年12月22日

 

帝國ノ犬達-リタ

三郷の停留所へつくと、平田さんは『ベンチ』と命じた。リタはベンチの所へ導いた 之は珍しい訓練だゾと私は驚いた。こゝから電車に乗るのだが、中々混んでゐる。その人混みの中へ平氣でリタは主人を導いて行く。足を踏まれやしないかとハラハラしたが、何ともなかつた。
リタは吊皮に下がつて立つて居る人々の脚の間に埋まつてゐる。尾は相変らず挟んでゐる 併しシヤイらしくは見えない。
突然窓に飛びついて驚いた。蝿を見つけたのであつた。JSV誌の記事を思ひ出して微笑が湧いた。
乗合の人は、赤十字のついたハンドルを見て盲導犬だと知つて色々勝手な噂話をしてゐる。犬の頭を撫でる人もあつた。リタは大抵黙つてゐたが、時々低く唸る事もあつてあぶないナと思つた。併し幸ひ事なく済んだ。
汽車では犬箱に入れねばならない。犬を離れてポカンと突立てゐる平田さんの手を引いて汽車に乗せる時、遠くでリタの悲しい聲が聞えた。平田さんも暫しの別れが淋しかつたらう。
金澤の驛で平田さんをホームに待たせてをいて私はリタをつれに行つた。リタは夢中でグングン綱を引いて行く。平田さんは元の所に立つてゐる。一歩も動けないのだらう。犬がすぐ傍まで來ても解らないらしい。首環の鈴を、も少し大きくしなけりやいかんと思つた。主人を見つけるとリタは狂喜して飛びつく。縁なき人々の目にも痛ましく美しい光景で多勢立留つて見てゐた。
學校につくと、生徒達は講堂の席について待つてゐた。新聞で見て盲唖學校の盲生全部がきゝに來てゐた。會員の他有志の人も集つてゐた。演壇へ犬をつれて上るのも美しい光景である。
講演は戦争の事とドイツ盲導犬の事と、そして自分とリタのお話であつた。お話もしんみりした調子でよかつたが、演壇に立つ人とその傍の犬。其の形が感傷の強い八百の乙女達に少なからぬ感激であつたに相違ない。とりわけ先日ブリンノ(※金城校で飼っていた犬です)の葬式をすませたばかりであつただけに、女學生への大きな刺戟であつた。あとで、先生あの犬の仔を貰つて下さいと攻められて困つた。盲生の中でも、此の犬の仔を欲しいと云ふものが幾人も出てきた。盲導犬の仔なら、すぐこんな作業をすると単純に考へてゐるらしい。
講演が終つて拍手が鳴ると、リタは作業の終つた事を悟つたと見えて停留場の時と同じ様に又平田さんに飛びついて喜び狂ふ。演壁の上で平田さんも少々之に辟易して居られた。應接室には各新聞社の記者達がつめかけて色々質問をあびせ、カメラを向けた。翌日の新聞には一斉に派手な記事が出た。

座談會の會場までは十町ばかり街を歩いた。リタは例によつて左側を導いて行く。そして電柱や(かなり道の中央近くに立つてゐるが)ポストの所はアツと思ふがうまく右へよけて行くのは鮮かであつた。座談會の魚半食堂はエレベーターに乗つて、それからデパートの食堂のやうな中を通つて別室へ行く。其の乱雑に並んだテーブルや椅子やお客の間をうまく縫ふてリタは行く。平然として平田さんも行く。私はあの大胆な歩き振りに驚いた。新宿辺りの人混みの中でも歩けると平田さんは云つて居られた。座談會には會員の他、盲學校の先生も列席された。楽しい犬談に時の移るを忘れた。私達は盲導犬の豫想外の實用價値を認識した。そして此の訓練に少なからぬ興味を持ち始めた。
日本で一番先にZpr(※種族訓育試験)をとつた、そして最初のSchH(防衛犬試験)をとつた金沢支部として、之は當然の事だらう。MH(伝令犬試験)は既に阿部さんのボドがとつた。HP(牧羊犬試験)は北海道のエツがとつた。私達は更に此の訓練を研究して見やうと新しい勇氣が湧いた。
「どうも犬は高さの観念がないので目をつむつて行くと看板に頭をうつてね……」と松本さんが云つた所を見ると、もう既にとりかゝつてゐるらしい。尾を挟む事、應接室で不用意な新聞記者を襲ひ而も歯を立てなかつた事などが、問題としてで議された。之は後日私達の手で研究して見やう。私は―私個人として―かねて家庭犬としての訓練を主張し、考へ込んで來た私は盲導犬とまで行かなくても、誘導犬として幼稚園へ行く子供の送り迎へ位はしたいと思ふ。之位の訓練は是非やらうと思ふ。そこそこに出來てゐたブリンノが死んだのが新に愚痴も出た。
だが今更、死んだ子の歳を數へて何になろ。私は又何やら新しい希望の曙を見た。残り惜しい思ひの中に私は再び停車場へ平田さんを案内した。平田さんも私達に別れる淋しさ―假令一夜の友であつても犬の友達は懐しい―感じて居られたらしい。
汽車が動いた。「さようなら」「お達者で」と云ひ交して汽車が走つて行つた。一番あとに貨車が通りすぎた。其の中でリタが啼いてゐた」
加藤二郎『盲導犬を迎へて』より 昭和14年12月22日

 

見渡す限り唯廣漠の天地凡寒く、精気冷朗に空晴れ渡る此の處、江南の戦線に暮れ行く晩秋の名残り惜しむかの如く、可憐な野菊の花が枯芝の波間に漂ひ、晩寒き歩哨の銃剣に霜白く光る頃と相成りました。
貴會御一統様には其の後益々御隆盛の御事と拝察この上もなき御事とお喜び申します。
不肖我々軍犬班全員元気旺盛にて、榮ある聖戰に捧げし身、御奉公第一と勤務に励んで居ります。落陽赤く霜枯の野に實戰そのまゝの猛訓練を続けて居ります。
全身を緊張させて激しい訓練を終え無言の戰友と共に、宿舎に向ひ何處ともなく流れ來る哀愁の情をたゝえた柳の蔭の異境萬里の戰場に淡い郷愁を誘ひます。
暖い皇軍の慈愛の手に蘇つた支那民衆は日章旗に護られて嬉々として生業に励んで居ります。今や新生の喜びに溢れる大陸の空に、興亜の明けの鐘高らかに響く時、民族の血は暖く一つに結ばれて共に手を取り榮行く日も又遠き日の夢ではないでせう。
先般當部隊に於て軍犬軍馬軍鳩の慰霊祭を執行され、部隊長以下多數の参集にて厚く其の霊を弔ひました。
慰霊祭當日の部隊長殿の御心情厚き祭文を別紙に記載致します。
二千六百年も残り幾日もなく、御稜威輝く興亜の新年を三度戰場に迎へんとして幾萬の尊き英霊の前に尚一層の御奉公を誓つて居ります。
寒さに向ひます折柄、會員御一同様には戰捷の初春と目出度くお迎へあらん事を朔風荒ぶ戰場の彼方より遙お祈り致して居ります。
先は乱筆にて近況傍々時候御見舞まで。不一
十二月二十二日(昭和15年) 
中支にて 高垣 巽拝

 

犬


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4169

Trending Articles