【寒さと英ポインター】
渡洋出獵は今回が初めてだ。一つは友人から聞いてゐた滿洲獵に對する憧憬と。一つは英ポ、スター號が寒さに對して如何なる耐久力、即ち耐寒の程度を知りたい希望もあつた。
滿洲獵は山地では雉子の雄は主として(時間の關係はあるが)中腹所に居て麓には雌が多い、といふことも聞いてゐたが、それを檢べるよりは寧ろ汽車時間の都合上、奉天よりは平地獵が先きである。奉天製麻の黑田氏に教へられて巨流河にと志した。
十二月七日
三日着奉以來、例年にない暖かさ(日中零度前後)と云つても内地のやうな車はない。
ホテルの二重硝子の外側はいつも曇つてゐて朝などは氷柱が下つてゐるから。
七日は特に寒いやうな氣がした。實際寒かつた。
市中と郊外はこんなに違ふのかと温度計をポケツトから出すと、驚くではないか零下十五度半(午前九時)。
犬にもしかの事があつたらと手製英ネルのオーバーは用意して來た。
自慢ではないがスター號は今迄寒さに困つたことがない。薄氷の張つてゐる池へ鴨獵をやつた時も、胸で氷を割り乍ら運搬して呉れる愉快を味つてゐたこともあるので。
英ポでもどれだけ寒さに強いのだらうかと自分で考へ込んだことが度々あつた。
【零下二十一度!】
滿洲の十二月は毎日のやうに晴天。今日は獲るぞー。
大坂人の面目もあるからと。
奉天獵友會のN氏とA氏は驛で輕装した私の姿を見て笑つた。そんなことでは寒からうと。澤山着ては肩付けが惡いからと思つて毛メリヤスシヤツ二枚を合せ着して其の上に英ネルのワイシヤツ。大阪人の面目もある。
變な撃ち方をして嗤はれたらと云ふ一心で。
左手の關節が動きにくゝなつた。
温度計をポケツトからとり出して土地の上に置いた。暫くすると零下二十一度まで降つた。
前の十五度半は體の温かみであつたことが分つた。
【征馬進まず】
線路を横切つて河(固く氷結)の右岸を進まんとした刹那!
約五十米位前方の叢の中から雄雉が四、五羽!續いて其の羽音に驚いて一群が五六十羽は下るまい。
アレ雉子だ!皆雉子だ!
急いで右へ、左へ、向ふへ。こちらへは一羽も來ない。
犬も私も友人も、それを見詰め居た。
せめて三、四十米位なら無駄でも一發彈つたかも知れないのに。静寂だ、嵐の後の静けさだ。その飛去つた後の原は。
けれども、スター號が元氣が鈍い。
到頭私の後について來て、哀調な姿を見せ始めた。
【群れ雉子】
オーバーを着た英ポ。
之れによつて幾分元氣をとり戻したが、其の格好に於ては惨めなものが伺はれる。
續いて又群れ雉子だ。水害の跡で苅取らない大豆畑の中から五、六十羽。
陽の光に映へて如何にも奇麗だが、何んだかうらめしい。
三人共一發も引かない。
家も無い、人も無い平野。
雲も無い。風も無い十一時。
吐く息は白く、人不語。
【高粱畑】
叢を追ふて居ては結局群れ雉子を追ひ立てるだけに氣が付いて、戰法を變へた。
高粱畑は平面に耕されず、一尺五寸位の間隔をもつ五寸高位の畝。此處を歩いてゐると、畝と畝との窪地にゐる雉子が足許近くから飛立つ。
ポン、コロリである。
四十發を撃ち盡して(午後二時半)
雉子三十五羽
兎 二匹
殆んど夫中無かつたやうに思へたが、それでも三發無駄になつたのか。二人の獵友も二十五羽と十一羽。
リユクサツクに入れた握り飯も水筒の水も悉く凍つて、驛へ辿り着いた時は三時半であつた。
大阪 岡本正清『奉天郊外出獵記』より
戦争真っ最中の時期にも、農林省は鳥獣毛皮献納のため猟友会へ狩猟を奨励していました。所謂「狩猟報国運動」です。
大義名分をいいことに、遠く満州国まで出猟していた人もいたんですねえ。
これから二年後に連合国相手の太平洋戦争へ突入しても、戦時下のハンターは敵国アメリカ製のウィンチェスター銃を使い、敵国イギリスのイングリッシュポインターを使い続けました。