春が來た。陽氣にうかれる若人よりも先きに、犬どもが路傍に傍若無人な振舞ひをやりをる。
往來しげき舗道の眞中だらうが、女學校の門前だらうが、神社の神前だらうが、お屋敷の庭先だらうが、發情犬には凡てこれ天下晴れての和樂の床だ。風紀も糞もあつたものでない。
しかしそれは誰の罪だ。
犬はいくら悧巧でも、人のいふ風紀とは何んだか未だ知らない。犬の醜姿を見るのがいやなら、否見せるのが惡いのなら犬の放飼ひを人各々が自ら禁ずるがよい。
何故國家は犬の放飼を禁ずる法規を制定せぬか。
こんな簡單な、そして簡單に實行されうる法規はない。それを今日まで怠つて來た爲政者も爲政者だが、子女等の教育に無關心な一般國民のノンキさにも驚く外はない。
法規の制定が面倒なら、犬の發情期間約三週間ばかりの間、牝犬所有者がお互ひ少しく氣をきかせて、自發的に所有犬を自宅内に繋留することにでもしたら、社會は大分助かるわけだ。
一體、犬の放飼ひほど世間にとつて迷惑なことはない。日本は駄犬の數において世界第一ださうだが、それも放飼ひの結果である。
それに、恐るべき狂犬病をはじめ、ヂステンパーその他幾多犬の流行病の傳染が、放飼ひによつて一層豫防に困難となるは云ふまでもないことだ。その外どう考へても、犬の放飼いは百害あつて一利ない。政府はこの際、斷然犬の放飼ひ禁止令を制定すべきであらう。
『噫惱ましき春は先づ路傍の犬から(昭和10年)』
戦前の畜犬取締規則において、ペットに繋留飼育のルールは設けられていませんでした。咬癖のある犬や狂犬病流行時に繋留や口輪装着の命令が下される程度で、放し飼いが当たり前。
結果、明治初期から戦時中へ至るまで野犬や捨て犬が津々浦々に徘徊し、狂犬病やジステンパーは蔓延し続け、甲府へ引っ越した太宰治が犬との心理戦の末に『畜犬談』を書くに到ったワケです。
昭和14年、『文學者』8月号初掲載時の『畜犬談』。挿絵と内容が全く一致しておりません。
文学界編集部「實に愉しい」
太宰先生「諸君、犬は猛獸である」
観葉植物や金魚の交配作出技術はあったものの、江戸時代まで「家畜の去勢」「交配のコントロールによる家畜の品種改良」という発想がなかった日本。
その思考はナカナカ切り替えられず、明治になっても馬匹改良政策が難航する程でした。
近隣地域でも、古くから犬の去勢文化があったのは樺太あたりまで(蝦夷地については不明)。野犬頭数の抑制を目指し、近代に入ってから導入された措置なのです。
『北蝦夷圖説』で描かれた、樺太における犬の去勢手術。
犬の放し飼いが問題化した明治8年、無責任な飼主にブチ切れた京都府知事は京都府令番外第32號で邏卒(後の警察官)による悪犬打ち取りを通達。
しかし、義務化されたのは畜犬札の着用のみです。
そして明治後期に至るも、畜犬取締規則に繋留飼育の項目は追加されませんでした。
畜犬取締規則(明治四十二年五月六日警視廳 令第十六號)
![]()
第一條
犬を飼養するものは其頭數、名稱、種類、牡牝の別、毛色、年齢及特徴を記し三日以内に所轄署に届出べし。
左の場合にありても三日以内に所轄警察官署に届出べし。
一、畜犬の飼養を廃止したるとき
二、畜犬の所在不明となりたるとき
三、所在不明となりたる畜犬を發見したるとき
四、畜犬斃死したるとき
第二條
畜犬には其飼主の氏名を記したる頸環を附着すべし。
前項の頸環は前條第一項届出の際、所轄警察署に提出して左記雛の形刻印及番號の附與を受くる事を要す。
第三條
人畜を咬傷するの處ある畜犬は其の飼主に於て口網又は箝口具を施すべし。
警察官吏に於て必要と認めたるときは前項の施行を飼主に命ずることあるべし。
第四條
警察官署に於て逸走の畜犬と認めたるときは七日以内警視廳内に繋留し明治三十二年三月法律第八十七號遺失物法に依り處分す。
第五條
第一條届出は警察支署巡査派出所、駐在所又は交番所に之をなすことを得。
第一條第二項の届出は口頭又は電話を以てすることを妨げず。
第六條
第一條第一項、第二條、第三條第一項に違背したるもの又は第一條第二項第三號の届出をなさゞるもの若くは第三條第二項の命令に従はざるものは科料に處す。
附則
本令は明治四十二年五月三十一日より之を施行す。
本令施行前既に届出飼養するものは本令第一條第一項により届出をなしたるものと看做す。
前項に該當するものは明治四十二年六月三十日迄に所轄警察官署に頸環を提出して第二條第二項に定めたる雛形の刻印番號を受くべし。
我が国で犬の去勢手術が論じられるようになった時期は不明。大正の末頃から、各地で着手された模様です。
狂犬病(の管轄)が農林省から内務省へ移つてから幾分減じたかどうか、又野犬の數は減じたかどうかに就いては、私は寧ろ増加の傾向があるのではないかとも考へてゐる。
しかし警視廳管内は確かに近年になつてから狂犬病を減じた。これは毎年一斉に豫防注射をする爲と野犬の捕獲に依るものであらう。
野犬の捕獲に就ては人道上から感心しないように云ふ人が一部にあるが、今日の如く野犬の横行するに際しては是非ない手段であらう。
警視廳は本年から犬の去勢を實施するそうであるが、之は野犬を減じる上に必要の手段である。又各地方でも犬の去勢を段々に行つて居るが、その結果は確かに良いようである。
狂犬病の多發する所では犬の本病に對する抵抗力も段々高まる爲にか、病状を現はさない狂犬病のものを時に見ることがある。之に咬傷された人畜は發病するが、病犬の方は長い間健在である。
こう云ふ例が昔から多少はあつた。故に狂犬病が流行した場合は例へ健康犬にかまれても豫防注射を受ける必要がある。
然し警視廳管内の如く狂犬病が少なくなつて來ると、こう云ふ潜在性の病犬が殆んど居ないことになるので、以上のような危險は少なくなる。従つて健康犬に咬まれた場合には豫防注射をしないでも、恐らくは狂水病になることはないと云ふことになる。健康犬の如く見えて實は病犬であつた例は色々ある。之に就ては他日稿を改めて論じようと思ふ。
狂犬か否かの診定は易しいようで六つかしいものである。多くの病犬が狂犬病と誤診される例もあろう。
嘗て中央獸醫會に吉田雄次郎氏が「寄生虫に原因する犬の狂犬類似症の一例」を報じたことがある。今その症状を抄録すると次の如くである。
「營養佳良なるも被毛光澤を失ひ、眼球結膜は著しく充血し、絶へず地上を睥睨する如く、而して舌を吐き涎を垂れ、時々乾咳を催し尾は力なく垂れて股間に巻入し、音聲は嘶嗄して歴んど無聲となり、只一種異様の苦悶状ウメキを聞くのみ。全身戰慄、顔面頸部上肢の諸筋に發作性に時々波動状の痙攣を認む。興奮する時は俄に奔躍し、或は躁狂し頻りに咬噛す。
その症状は甚しく狂犬病に類してゐた。然し乍ら撲殺後に腦を檢査したが病状なく、且つ腸に條虫を發見した外に異状はなかつた。要するに條虫の多數寄生に依て病的興奮状態に陥つたものである。
この外にも病的に亢奮し、又は鬱憂する例は多數にある。その亢奮の場合に人を咬んで狂犬病とされ撲殺されることも随分多いように聞いてゐる。
小兒の惡戯を怒つて之を咬んだ犬は疑症として拘禁される。之は随分氣の毒なことである」
狂犬病豫防の爲に野犬を減じぜんとするには畜犬税を安くするを要する。畜犬税が高いとどうしても野犬の増加するのは防ぎ得ない。然し此畜犬税は府縣税であるから、色々な原因、條件を以て課せられるものと思ふ。
或地方は活花の師匠に對する免税の代りに畜犬税を増したなどと云ふ例もあるとか。
兎に角此減税運動は必要であると思ふ。
白井紅白『狂犬病の問題』より 大正14年
畜犬行政を管轄していた警察当局の、去勢手術に踏み切った事情はこちら(保健所へ業務移管されたのは昭和25年の狂犬病予防法施行時から)。
駆除しても駆除しても増えまくる、果てしない野犬対策に苦慮していたことが伝わってきます。
過般新聞紙上で、發情犬の街頭交尾が風紀上面白くないから、斷然犬の放し飼ひを禁止せよといふことが報導され、之に對して或外國婦人も外國の例を示して此の説を支持して居ました。
警視廳當局としても、野犬の掃蕩を年中行事としてから數年に及びますが、之の徹底的方策を講じない限り、真に其の實績を擧げることは困難であつて、今後何年之を行つても全く際限がないと考へるのであります。
然も近年、軍用犬又は警察犬、狩獵犬等の優良種犬の増加は實に目覺しいものがあつて、昨年などは畜犬數が平年より五千餘頭の増加を示して居りますが、尚野犬の捕獲數に於ても平年より約二千頭を増加してゐるのであつて、之は優良犬と駄犬とを交換して、前の畜犬が盛んに放逐せられてゐる傾向がある事を物語つて居るのであります。
現にシエパードがかゝつた雑種犬が野犬として、ぞろ〃捕獲されて來たばかりでなく、昨年の如きは此種の雑種犬から二頭迄も狂犬病が發生してゐるといふ有様です。
吾々は、愛犬家諸君の心情は充分諒としてゐますから、常に真面目な意味の動物愛護ならば勿論大賛成であつて、優良種犬の保護施設に就ては充分考慮してゐますが、以上の事實に徴しても野犬の掃蕩、駄犬の蕃殖防止に関しては、一般の理解と協力を俟つて是非とも効果を収めたい念願で、目下着々實行方法を考究してゐるのであります。
現在では狂犬病撲滅の爲めに豫防注射を励行して居るのでありますが、單に狂犬病に就いて云へば、官民一致協力して撲滅に努力した結果が酬ひられて、大正十三年には七百二十六頭の狂犬病が、昭和九年に至つては僅かに十頭に減少しました。
然し尚、人を咬傷する犬に至つては依然として多く、毎年三千頭乃至四千頭を下らないものであります。
之は洵に社會の平和な生活を営む上には困つた事でありまして、斯様な不安は一日も速かに除去せねばなりませんが、その原因は奈邊にあるかといふに、畢竟無益な犬が無制限に繁殖するからであります。
無益な犬の無制限に繁殖するのを防止する爲には、警視廳としては野犬の捕獲或は買上げを實施して來たのでありますが、何分にも警視廳管下で春秋二季に生産する仔犬が約四萬四、五千頭であつて、内三萬頭は大體野犬となるのでありますから、警視廳の一年の捕獲或は買上げる野犬が約二萬七、八千頭あるとして、此の状態で行くならば、前にも一言した様に、結局同一の状態を常に繰返して行くことになつて、この捕獲買上げの方法だけでは問題を解決し得ないのであります。
そこで今後は、現状を打開するに、一面には野犬の捕獲買上げを行ふと同時に、他面には去勢によつて、駄犬の繁殖を防止する事は勿論、目下問題になつてゐるところの道路に於て交尾するやうな醜態を減少させたく思ふのであります。
故にその實行方法としては
一、軍用犬、警察犬或は番犬として國防上、行政上漸く其の重要性を認められて來た優良犬に對しては勿論保護蕃殖に努めるが、
二、その他のものは成るべく去勢避妊法を實施すること。
三、それも最初は手術の簡易なる牡犬より開始し、漸次牝犬に及ぼすこと。
四、成るべく幼齢犬に實施する事。
五、警視廳及び開業獣医師の協力を得て去勢班を組織し、官民協力之に當ること。
等に就て考究を重ねて居り、近く之を實行に移したいと考へてゐるのであります。
大體の手術料は現在牡犬五圓、牝犬十圓位ですが、それも出來れば豫算をとつて狂犬病注射の如く、愛犬家の負擔を軽くしたいと考へてゐるのであります。
本邦に於ても、千葉縣外二、三の府縣に於て既に實行して好成績を収めてゐるのでありますから、數年後には吾々の理想が實現して、一般市民及び愛犬家諸君からこの施設が歓迎されるであらうと信じてゐるのであります。
警視廳衛生部獸醫課長 池上幸健『官民協力して野犬整理の一考察(昭和10年)』より
牡犬の去勢開始
警視廳の牡犬去勢手術は、去る十月一日から實施され、二十日までに既に二百頭餘りの去勢を見た。去勢施行の日割に當つた警察署構内には、十二畳敷きの天幕が置かれ、犬は診察後人夫の手で、臺の上に仰向けにされ、四肢を開いて、前肢は前肢、後肢は後肢で臺へ緊り結ばられ、胸には臺からバンドを締めつけ、これで犬は四肢を開いた儘全く動けなくなつてしまふ。
手術中、喰ひつかれては大變だから、口へは口輪を嵌めること勿論で、犬は暫く閉口の體だ。
去勢は警視廳出張の技術員の手により行はれるが、まづ毛を刈り、消毒を施し、局所だけ出る布をかけ、いよ〃メスが閃いて手術に取掛る。
手術の方法は血管と精系を結索して、精巣を割去するやり方で、出血は案外尠い。創跡の始末は、態と縫合しない方法によつてゐるため、一切縫ひ針等を用ひず、薬によつて處置をつけてをり、手術後の出血等も殆んどない。
この手術に要する時間は、二、三十分間で易々とやつてのけられるが、用意は周到なもので、技術員の外に獸醫の助手が一人、これは犬の脈を診たり、その他犬の状態を見てをり、傍には人夫が二人控えてゐると云ふ物々しさである。
手術を終つた犬は、何の苦痛の状態もなく、飼主に曳かれて、ピン〃歸つて行く。心配した程のこともなく、案外の面持ちで歸つて行く人が少なくなかつた。
警視廳に荒木獸醫(※黒ヒョウ脱走事件の記事で登場した警視廳獣医課の先生です)を訪ふと
「手術後の状態は、實際に觀察してみるに、最初一、二日は元氣も食慾も多少減退しますが、創面は四、五日で殆どよくなり、普通一週間で全治の状態となります。中には多少熱が出たり、創面が脹れたりして、一週間以上異状を呈する犬もありますが、永くて十日で完全に治つて仕舞ひます。
去勢を受けに來る方の中には、手術の様子だけ見て、こりや可哀想だ、止めて置かうと轉向しかかり、いや簡單で、然も犬に苦痛を與へやしないからと、係りに薦められ、そんならやつて見ようか、と手術を受け、思つたより簡單で、犬も平氣だと喜ばれる向もあり、序でのことだ、もう一頭牡がうちにゐるが、それもやつて貰はうと、直ぐ連れて見えたやうな方もありました。
こんな楽なものか、これで大丈夫なんですか、と念を押して歸られる方などもあつて、一般から非常に喜ばれてゐる有様です」
『警視廳 の去勢を見る』より 昭和10年
警視廳の去勢後の成績
警視廳の牡犬去勢實施は昨年十月一日より行はれ、申込犬數千頭に達し、着々手術を進めてゐることは既報の通りであるが、年内にまづ五百頭に達し、残り五百頭は昭和十一年廻しとする豫定であつたが、犬自體に色々異動があつたため、年内に豫定頭數に達することが出來ず、三百頭を以て、一とまづ打切りとし、本年は一月中旬から又復手術を開始、目下施行中であるが、本年度内(三月まで)に七百頭の去勢を行ふことになつてゐる。最近警視廳では、去勢實施後三ヶ月餘に及ぶので去勢の實施を見るため、既遂去勢犬百頭について、去勢後の状態は果して良好であるかどうか、統計の作製を急いでゐたが、この程愈よ統計が出來上り、發表の運びになつた。
その成績は次に示す通りであるが、結果は極めてよく、去勢前は興奮して咬み付くやうな犬も咬まなくなり、番犬は却つてその勤めに忠實さを増し、手術のために健康を増進した向もあり、又去勢のために變化を受けず、依然として獵犬の役に立つ等、吉報が多い。
畜犬去勢結果調査表
・種類
雑 九二、ポインター 三、テリア 四、セター 一
・用途
番 九七、愛玩 二、獵犬 一
・全治日數
三日 一、五日 一、七日 三七、八日 三、一〇日 一三、一二日 二、一三日 四、一四日 二一、一五日 二、一六日 二、一七日 一、二〇日 三、二一日 七、二八日 一、三〇日 二
・化膿の有無
したるもの 九、せざるもの 九一
・食慾の變化
最初不振後快復 三八、變化なし 六二
・斃死等の事故
なし
・獸醫師の治療を受けしもの
なし
・手術後の状態
肥滿 二九、削痩 一、普通 七一
・吠方の變化
吠え易くなる 一、變化なし 九九
・用途の變化
番犬として良 一〇〇、否 なし
牡犬に続いて、翌年から牝犬の去勢も追加されました。
牝犬の去勢開始
警視廳では曩に野犬撲滅の一方策として、牝犬の去勢に着手。着々好成績をあげてゐるに鑑み、去る四月から管下の牝犬の去勢にも乗り出すことゝなつた。
本年度の牝犬去勢の豫算は五千圓で、一頭につき五圓の補助とし、今年中に千頭の去勢を行ふ筈である。
牝犬去勢希望者は牝犬を獸醫の許へ連れて行けば、畜主は五圓を負擔し、警視廳が負擔する五圓と合はせ、十圓の實費で去勢が行はれるのである。
なお発情期間中、家畜病院は牝犬の繋留に応ずるが、この場合も警視廳が五圓を補助し、畜主は飼料の實費を負擔すればよい。
既に牝犬去勢希望者や繋留希望者は相當現はれてゐる模様である。
『牝犬去勢 四月から實施』より 昭和11年
昭和15年の東京オリンピック開催が迫ると、牛馬など家畜に対する防疫措置も強化されました。家畜伝染病は当時から脅威であり、東京五輪の馬術競技に影響しないよう感染症予防がはかられたのです。
また、畜犬に関しては去勢手術の励行が通達されました。
警視廳に於ては畜犬熱の旺盛につれて取締其他に民間と協力を要するもの多々あるに鑑み、一月十二日附を以て管下各警察署長へ左記の特命を發した。畜犬主等の一讀を要するものと認めて茲に載録する。
(中略)
四年後のオリンピツクに備ふる警視廳
一、狂犬病豫防施設の徹底に關する件
狂犬病は未だ根絶するに至らざるを以てオリンピツク開催前年度迄三箇年計劃を樹立し、國辱的存在たる本疫の根絶を期すると共に、野犬の徘徊を一掃せむとす。
計劃
イ、犬種の改良と其の飼養管理の改善を促進する爲、畜主又は畜犬商、犬種團體に對し注意を喚起すること。
ロ、畜犬の届出督励と豫防注射の徹底を期すること。特に警視廳定期注射後に飼養を開始するものは必ず自衛注射證を添へて届出しむる様励行せしむること。
ハ、咬傷犬の根絶を期する爲、咬癖あるものは永久的に解除せざる方針を確立すること。
ニ、去勢及避妊施術を督励し、發情期の繋留を嚴行せしむる様畜主の責任觀念を喚起せしむること。
ホ、牝犬の所在に付不要仔犬の収容を励行すること。
ヘ、野犬の掃蕩を期する總ての方法を更に徹底すること
『野犬捕獲(畜犬届督励ヲ含ム)施行方其ノ他ニ關スル件』より 昭和12年
平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より、昭和15年6月22日に去勢手術を受けた菊地さんの愛犬コリー(雑種犬)。この年予定されていた東京オリンピックは開催されず、翌年の太平洋戦争突入によって日本犬界も崩壊します。
今から80年前の今頃には、たくさんの犬が去勢されていたんですねえ。畜犬行政史に関する貴重な記録ですが、読んでるだけでムズムズしてきます。
捨て犬を防ぐため、警察による犬の去勢策は戦時中も続けられました。しかし、素直に応じた飼主は少なかった模様。
動物愛護家同士でも「去勢によって捨て犬を減らせる」「いや、去勢は自然に反する虐待行為だ」という意見の対立がありましたし、当時は当時なりに大変だったのでしょう。
イロイロあって現在へ至るワケです。