前回は犬の飼育アルバイトである「犬ボーイ」を取り上げました。
だったら犬ガールはいたのか?というのが今回のお話。
女性ハンドラーは戦前の日本でも珍しくありません。「犬ガール」的な職業も同じです。
戦前の記録を読んでいると、女性の飼育係がちょくちょく登場します。
その大部分は飼主宅に住み込みで働いている家政婦さん。俳優犬ペッツェの記事で登場した女性もその一例です。
モチロン犬の世話はあくまで日常業務の一部であり、「犬ガール」などという洒落た呼名はナシ。
当時のヨーロッパでは「ケンネル・メイド」「ケンネル・ガール」という立派な職名があったんですけどね。
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畜犬の流行と共に、その飼育場が各地に設立され、従つて、専門の飼育係が要求されるに至るは自然の勢ひであるが、英國にぴては、それ等専門飼育者として所謂ケンネルメード(犬飼女)の新職業が隆盛を来たしつゝある。
若い婦人の間には、犬を愛し、犬と共に楽しむ為めにこの職業に身を寄せる者も相當多い。
彼等にすれば、給金は第二次的問題なのである。従つて彼等の間には教育も充分あり、相當の家柄の者が多く、未婚時代を何等か有益な、而かも健康なる仕事に費さうといふ健気な思ひつきまら出発する若い女たちがあるのである。
「ケンネル勤務の仕事で一番むづかしいのは犬のツリーミングです。
これはビーミツシユ・レベイ夫人が自ら鋏を握つて、エアデールのお化粧を始めるところ……」
他方また、生活の手段としてこの新職業に身を置かんとする婦人もかなり多い。現在では有能なるケンネルメードは一週五十シリングを給與されるから、能力次第で相當の獨立生活が出来るわけである。
だが、不幸にして今日のケンネルメードは、まだ甚だ不熟練の者が多く、犬を良くせずして却つて悪化する惧れあることは事實である。
犬の世話といふことが未だに軽く見られてゐて、寧ろそれが愚鈍な者に適當な仕事であるかの如くに一般に誤解されてゐる點に罪がある。
然し病犬に對しては無論のこと、健康犬に對しても、女の方が男より一層同情的であり、細かい世話に忠實である事は普通に認められるのであつて、そこに新婦人職業としてのケンネルメード進出の余地が充分にある。
ケンネルメードとしての能力の如何は、初期における教練の如何によつて定まる。
良き主人の下に良き召使ありと云ふが、正にその通りであつて、ケンネルメードの價値は、飼育場主の責任にかゝる問題である。
ケンネルメードの勤務状態は、各飼育場によつて異なるが、或處では朝六時起床、朝食前に犬舎の掃除を済ますことを励行してゐる。
これは特に夏期に於いて理想的であつて、午前中に一切の犬の手入れ及び運動を終ることが出来る。午後は犬の食器の洗浄及び夕食の仕度である。
その間にケンネルメードは尠くとも一時間の休憩時間をもつ。
犬の夕食を午後五時とすれば、ケンネルメードの仕事の終了は同五時半といふことになる。
朝食に三十分、晝食に一時間、それに午後の休憩一時間を加へれば、結局ケンネルメードの労働時間は一日九時間の計算になる。
これは、英國の標準を以てすれば寧ろ長時間の労働であるが、然し仕事は軽いものであるから、過労を来たす性質の労働とは謂ひ得ない。
生物を対象とする労働に於いては、時間に関する不便は止むを得ないのであつて、日曜だから休むといふやうな訳にはゆかぬ點は致し方ない。
休日は、便宜交代制度によつて都合つけるのである。
「オチニ、オチニ、犬に一番大切な運動をさせるために凛々しい姿でケンネル・ガールが今ケンネルを出かけるところです」
ケンネルメードに一般家事の訓練は絶對必要である。
玉子のゆで方さへ知らぬといつた女では、結局、犬の世話は務まらぬ。而して彼女等の勤務は、単に犬舎の掃除、犬の附毛の手入れ、犬の運動の伴といつた仕事を以て終るべきではなく、受持犬の状態を不断の注意を以て監視し、何等かの異状を認めれば直ちにそれを報告し、或は犬の発情に注意を怠らず、適當なる處置を過失なく行ふ等は、彼女の任務は単に機械的なる方面に限られてゐないのである。
剛情な病犬に薬を飲ませる面倒、気の荒い牡犬を沈静させる難事等に、真に有能なるケンネルメードの頭脳は決して鈍物では在り得ないのである。
而してその最も必要とされるところの条件は、仕事に對する忠實さであるは云ふまでもない。
XXZ「新職業 ケンネル・メードに就て」より 昭和9年
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ケンネル・メイド
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