人間なら熱の下つたのが標準になりますけれど、犬では熱は目安になりません。但しこれは胃腸藥のお話。
蟲下しで間違へるのは、驅蟲劑は飲ましたからと云つて、必ずしも蟲の下るものでないことです。
素人療法の約八割はこの蟲下しで、弱つた犬に蟲下しをかけて殺してしまふことも間々見受ける所です。
そんなら、驅蟲劑をかけて蟲が下らなくて、それでよいか、と云ふに、蟲は下らなくとも、死ぬなり、活動力がなくなればそれでよく、障碍がなくなつたら、それで効いたとするのです。
人間でもその七割までは寄生蟲を持つてゐるが、病氣をしなければそれでよいとせねばならず、犬に寄生蟲のゐるのは當り前で、どんな犬にも認めることが出來、そんなに苦にすることはありません。
却つて無理に出さうとするから殺す様なことにもなるのです。
故に、あの藥で蟲が出なかつた、といふのは間違ひで、製劑者も投藥者も單に蟲を出すことのみを目的としてゐるのではなく、この點は大いに考へて頂きたいと思ひます。
次にヂステンパーと藥について一言しますが、ヂステンパーの藥といふものは、實に澤山あります。
ところでヂステンパーとはどんな病氣かと云ふと、人によつて鑑定が區々で、ヂステンパーと診斷する者があるかと思ふと、さうでないと否定する者があり、ヂステンパーが治つた、いやヂステンパーでなかつたから治つたなどと、どうもはつきりないことがあるのです。
ある博士は「名醫に結核多く、ヘボ獸醫にテンパーが多い」と喝破いたしました。
これはどういふことかと申すに、名醫でなければ結核と云ひ切ることが出來ず、ヘボ獸醫に限つて何でもテンパーにしてしまふことを云つたもので、結核の方は斯く措き、テンパーについては、さう診斷することが獸醫としては一番始末がよいのです。
ヂステンパーの宣告を受けると、今日の畜主は不治の病と認め、死んでも諦めてくれるのです。
ヘボ獸醫には持つて來いの病名、即ちテンパーなのです。
それに風邪を引いたり、自動車にやられたでは注射が出來ないが、テンパーなら十何本の注射もイヤとは云はず、生きてよし死んでよし、お金が頂けるといふ寸法です。
ヘボ獸醫に行けば、みんなテンパーにされる譯がお分りでせう。
ところでテンパーは實際上、そんなに多いものでもなく、却つて非常に少いものだと私は思つてゐます。
寧ろ寄生蟲から來る病氣が多く、驅蟲すると所謂テンパーが治ることが少くないのです。
故に怪しい人からテンパーと診斷された際は、蟲下しをかけることも一つの方法で、これでテンパーが治つた例は澤山あります。
それからテンパーの豫防注射は、農林省式と獨逸式の二つあり、私は獨逸式がよいと思つてゐます。
藥に就いては非難の聲もありますが、萬能の藥はないもので、この點は仕方がありますまい。なほこれ等二つの式の外、許可のないワクチンも出來てゐますが、これは無論法律違反の藥です。
次にどういふ方面の愛犬家に藥の失敗が多いか。御参考までに申すと、犬を扱ふ人に三種あつて、樂しみに飼ふ人、半職業的に飼ふ人、純職業的に飼ふ人に區別出來ると思ひます。
シエパード犬などには半職業的素人が多いのですが、これはシエパードの様な多産の犬は一度仔を生むと、仔の始末に困り、捨てるのは可愛想だし、たゞやつてしまふのは勿體ない、いくらか金にしたい、といふので賣らせたりし、これを目して第三者は副業的に犬を飼つてゐると云つたりします。
これは云ふ人が無理で、大いに同情しますが、かくシエパード犬の仔を手に入れて飼ふ人には、犬の體驗を持たぬ人が多く、かう云ふ素人の人達が犬に藥をやつて、失敗することが最も多く、犬屋とか、本當の愛玩家には殆んど失敗がないのであります。
小山二郎「愛犬家の心得て置いて欲しい事(昭和11年)」より