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Channel: 帝國ノ犬達
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エマ(愛玩犬)

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生年月日 昭和6年生れ
犬種 シェパード
性別 牝
地域 不明
飼主 三宅氏

寸臺君(※田島庄太郎氏のペンネーム)
二十八日以来危篤の状態を續けて居りました私の愛犬エマも、昨夜とう〃駄目になりました。
三語の肥立ちが悪かつたとでもいふのでせう。展覧會の日に子宮を洗浄して翌日一寸小康を見せましたので、此分ならと思つて居ましたが、俗にいふ中日和で、昨夜から嘔吐を起して見る〃衰弱を加へ、其都度全身をよじらせての苦しみは、とても見てはゐられませんでした。

昨夜十二時頃には最早首を上げる気力もなく、投げ出されたやうに寝たまゝ嘔吐の衝動に苦しみました。
そして最後の強い衝動と共に口邊に痙攣を起しました。
「アツ駄目だツ」
私はいきなり犬の上にうつ伏せて頭を私の右脇に抱き込み、左手を内股の脈所へ當てました。とても断末魔の苦悩を見るに堪えませんので……。

私の全神経の集つた左の中指と食指の先から弱りゆく脈搏がピクリ……ピクリと傳わります。
次第に弱く次第に間を置いて、そして強い痙攣と同時に最後の脈がピツクと感じて、私の指頭に流れこむやうに消えてしまひました。
萬来寂たる夜半、妻の咽び泣きの声に交つてボン……ボンと寝ぼけたやうな二時の時計を聞きました。

スツカリ消毒を済ませて白布に巻いた遺骸を前にして、不覚にも私の眼には線香の煙も蝋燭の焔も総てソフトフオーカスされて映るのでした。
生前娘らしくといふ妻の好みで作らせた真紅の首輪に最後の粧ひをさせ、夢中になつて弄んだ未だ噛跡も生々しいボールを鼻先へ置いてやりました。
コロ〃と転がせば、今にもそのボールへ飛びつきそうです。
どうしても死んでしまつたとは思われないのです。
犬はよた犬でしたが、私の家で生れて妻が自分の健康を害してまで育て上げた私共にはたまらなく可愛い犬でした。未だ一年八ヶ月の若さでお産で死なせたのですから一層不憫です。
世間では犬のお産は軽いものと云ひ傳へられて、妊婦の帯は戌の日に締める習わしとか。又戌年戌月戌日の水天宮様の護符は霊除殊の外あらたかだとか、安産と云へば直ぐ犬が引合ひに出されるやうです。

だから私が安心し油断して居た譯ではありません。犬にも難産の話はよく耳に致します。
小型のテリヤ種とかブルドツグなど難産の例しは少なくなひそうですが、シエパード種でこんな悲惨な結果が起ろうとは考へませんでした。
私の今迄の経験でも、只ホンの簡単な手傳ひだけで分娩は安らかなものでしたから……。

で、今度の場合何故かうなつたかいろ〃原因を考へてゐますが、直接の原因は陣痛が微弱だつた為だと思ひます。
何故陣痛が弱かつたかは専門家の意見を聞かねば私には解りません。體質上缺陥があつたか、或は又腹が大きくなり過ぎて子宮が麻痺して居たのか……。
申し遅れて居ましたが、仔犬は十二頭孕んで居たのです……。とにかく異状に大きな腹でした。

今にして思へば五十九日目に彼女が寝藁を掻き乱したり、床下に穴を掘つたりした時に陣痛促進剤でも與へて居たならば或はこんな結果にならなかつたかとも考へられます。其時は「今夜生むな」とは思ひましたが、一向異状がなひので其まゝにしました處、翌日から食欲がなくなりましたのでこれは母體が衰弱すると思ひまして六十一日目にM獣医に陣痛剤を投与して戴きましたが、非常な難産で二頭生れたのみで後は生れる気配はありませんでした。
又翌日更に投薬して六頭出しましたが殆んど死産です。
かうして十二頭を出しますのに、四日かゝりました。最後に出した仔犬などは既に腐敗してゐました。
かうなつた以上、せめて親だけは助け度いといろ〃手當しましたが駄目でした。

寸臺君。
私は今度初めて出産期が近づいてからはホンノ軽微な陣痛でも決して見のがしてはならない事をしみ〃経験致しました。
陣痛促進方法にはいろ〃あるやうですが、それは其時の母體の状態に依つて適當に施さねばなりますまひ。
併し私は今後愛犬の妊娠中は適當な陣痛剤を用意して置くうと思つてゐます。

寸臺君。
牝が仔を生むといふ事は生理的自然なことに違ひなひのですが、仔を生ませるといふ事には多分に人間の欲望が働きかけてゐますので、テンパーなどで死なせた場合と異つた不憫さ申譯なさを感じさせられます。
併し又、ブリーダーとしてこれ式の事でこんなセンチな氣持になつてはいけなひので、かうした體験を積み重ねて立派な犬を作らねばならなひのかとも思ひ直してゐます。

生れ出た仔犬の中、牡二頭と牝一頭とを、辛くもとりとめて浅田氏の御同情で今回邸で乳母につけられて、まる〃と肥えてゐます。
貴下の一姫二太郎は世にも朗らかな場合でしたが、私の一姫二太郎は生れ乍らに母を失つた憐れな遺児達です。
この仔等がせめてもの私共の慰めで、親は無くとも仔は立派に育て上げ度いと祈つて居ります。
一九三三、四、六 三宅生



死に直面して生きるもの僅かに二頭……。なんて一寸大震災當時の新聞記事の様ですが、お話は三宅さんの愛犬Ema、ホーランドに交配して出産の日をカレンダーを一日一日と消しながら、出産豫定日の印を付けた日にたどりつくのを、心まちにひたすら待ちかまへて居た處、浮世は儘にならぬもので、拙者宛の手紙……弱りゆく脈搏……にある通り、想像以上の難産にて三宅さんの手にふれた最後の脈は午前二時……と云ふ誠に血みどろな、涙をしぼらせる話に、世にも憐れな物語の結果となつたのです。
孕つたのが十二頭、内十頭は闇から闇に親もろとも非業の死を遂げて仕舞つた。
河窪氏曰く、うちのブラボーにしてをけば、こんな事もなかつたのになア……、と。
三宅さん曰く、それでも仕合せな事に、目の前の大先生が、カアーの病気から日本犬の死、グレタの死と、御気の毒にも不幸續きでゐるのえ、これが、もしまともでいたら、ゑらい事ですよ。

三宅生・田島庄太郎「弱りゆく脈搏」より 昭和7年


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