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Channel: 帝國ノ犬達
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草葉強太郎

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社團法人満洲軍用犬協會安東支部設立時からの中心メンバー。

のちにドッグレース団体である安東賽犬會の理事も兼任。 MKでは企画部の書記を担当していた関係上、議事録などでも草葉氏ご自身の発言は殆んど残っておりません。
康徳6年4月1日には「創立以来支部幹事トシテ現在ニ至ル」として、于琛澂MK会長から感謝状を授与されました。

さて。
近代日本犬界のエリアが、樺太・台湾・朝鮮半島から満州国とその周辺にまで広がっていたことを認識している「犬の日本史」は幾つあるでしょうか?大部分が日本列島限定の視点ですよね。
そのような視野狭窄を防ぐ意味でも、MK関係者の証言はとても貴重です。

草葉氏はMK安東支部の歴史を知る人物なのですが、ご自身が残されたMK史は下記だけです。

mk
MK主事退任後の草葉氏

安東支部の發會から今日迄の十年間を振り返つて見ると、實に感慨深ひものがある。
まだ軍犬と言ふものに對して何の認識も持つてゐない安東に、軍犬協會安東支部を創立しやうと云ふのだから、無理でもあり無謀でもあつた。

然し動物好の関憲治氏が安東驛長として赴任され、而も軍犬の本場遼陽(※関東軍軍犬育成所のことです)から訓練した軍犬十三頭を他の動物と一緒に持ち込まれた事から、期せずして同志相集まり軍犬協會支部創立の議が起つた譯で、関憲治氏が若し居なかつたとしたならば、安東支部もも出来てゐたかどうかは疑はしいものである。

支部は出来たが其後の運営はこれ亦悪戦苦闘であつた。
訓練所建設に當つては山縣寅吉氏の徹底的な援助で完成は見たのであつたが、訓練士等従事員問題で、又も一苦労し一時は安東支部の存在さえ疑はれる悲惨な境地に逐ひ落された年もあつた。

第三代支部長大野幸作氏は、此の多難の中で良く耐えられ、満洲軍用犬協會機構の強化統制業と云ふ大爆弾を協會に投じて機構改革を断行されたのであるが、惜しくも康徳七年六月他界された。
然し大野支部長の献身的努力は軍犬安東支部の中興を齎したものとして、私は故大野幸作氏に満腔の謝意と敬意を表するものである。

大野支部長の発案で協會が機構改革を断行するや、大野氏は自ら副支部長の座を退いて、時の安東省次長堀内一雄氏を支部長に推戴した。
堀内氏は之れ亦人後に落ちぬ大の愛犬家であつたので、お役所の仕事よりも軍犬問題には多大の興味を持つて臨まれ、正に名軍犬支部長の名を擅にされたのであつた。

間も無く「軍犬を競走さして軍犬の鍛錬、品種改良、増殖の財源としたらどうだらふ」といふ奇想天外の意見を當時の支部役員會席上に持ち出されたのには、全く吾々も一時は驚いたものであつた。
而も堀内氏は、あの熱の人である。
半信半疑の支部役員も遂に堀内氏の熱に打たれて競犬の實現へと乗り出したのであつたが、其間堀内氏は新京往復の都度中央側との折衝を續けられ、又軍部との諒解に就ても人知れぬ苦闘を重ねられたものである。
一面堀内支部長の命を受けた青木常務の忍耐は全く驚くべきものがあり、賽犬會の出現に輝く功労者として、堀内氏が特に感謝の意を表したのは決して故無きにあらざる事は、當時を知る人の總てが首肯する筈であらふ。

其後賽犬會は回を逐ふて好成績を見せる様になり、関係者も事の意外なのに驚くと共に、喜んだのであつた。此の賽犬會の創始は満洲軍犬界のみならず、大東亜共栄圏の軍犬史に輝く記録を残したものであつて、軍犬資質の向上、改良、増殖に大きな力となつてゐる。

希くば将来に豊富な財源の有効な使途に依つて、益々軍犬報國の實を挙げられん事を念じて支部創立當時よりの関係者の一言と致し度いのである。

満洲軍用犬協會安東支部主事 草葉強太郎「此の苦闘あつて此の栄光」より 昭和19年

これが書かれた翌年、ソ連軍の侵攻によって満州国は崩壊。MKも消滅します。
MKのネットワークを介して満州国で花開いたドッグレース事業も、蓄積されていた麻薬探知犬や地雷探知犬の運用ノウハウも失われ、戦後の日本にも受け継がれませんでした。
現代日本に伝えられたのは、忘却と思考停止の日本畜犬史だけです。


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