一昔前の目黒行人坂はこんもりと繁つた森に蔽はれてゐたが、今は廣いコンクリートの道路になつて以前の急な傾斜も幾分なだらかに變つてゐた。
やがて記者の乗つてゐるバスは大島神社の脇を通り、再び上り坂となつて行く事ニ三町、大きな火の見やぐらの下に訪ねる日本獣医學校があつた。
芝生の土手にかこまれて、校舎は古い木造の二階建。入口に矢印があつて病院への道を教へられながら行くと、正面に突當つて少し右折した所が病院であつた。校舎と同じ時代に出來たのだらう、古い建物である。
間もなく診察もすんで、若手の先生に初對面の挨拶をする。仲地さんと云はれる方で、主任の先生は今外出中だが、間もなく帰られるからと、次のやうな話をして下さる。
「來患は平均十頭位です。種類別で云へばセツター、ポインターの猟犬、その他に近頃ではシエパードが殖へました。お客はこの近在が矢張り一番多いのですが、目黒は自由ヶ丘とか田園都市といふ文化住宅を控へてゐるので、そのへんの方も多く來られます。
改正道路も近いうちこの邊まで延長されるので、この病院も今學校のグラウンドになつてゐる所に引移る豫定で、遅くとも來年には實現する筈です」
そんな話を仲地先生から十分も聞いてゐる中に、主任の田沼先生も帰られた。田沼先生は真からの愛犬家で、近頃の愛犬家の精神がともすると堕落し勝なのを口角泡を飛ばして慨かれる。
「昔から犬を畜生として軽蔑するが、そんな物ではない。昔から主人をたすけた話は山のやうにある。犬は人間と離すべからざる忠僕である。私は犬が物を云へないため治療に當つては無念無想、まるで人医が小兒をみる時のやうに、全精神を傾倒して診る。生徒にもかういふ風な精神でなければ、立派な獣医になることは出來ないと云ひきかす程で、人間にとつての犬の存在はなくてはならなぬものである。
だが近頃犬を飼ふ人の氣持はどうか。中には真の愛犬家もあるであらうが、一部の人の犬を飼ふ動機たるやまことに慨はしい。
先づ名犬を飼つて自己のプライドを満足させるとか、或は蕃殖や交配で物質的利益を當にする人達で、犬を愛する真心がなく、何か邪念を持つてゐる。そういふ人達の犬を見るのは犬自身には可哀さうだが、こちらもその人達の氣持が邪魔になつて、治療の三昧に入ることが出來ない」
病院を辞して、赤い鐡門にさしか ゞ つた時、門前の松の樹の根元に解剖動物の霊を慰む 大正×年生徒一同とある「仁畜の碑」に出會つた。田沼先生の話を思ひ出せて嬉しく感じた。
「犬の病院訪問・目黒の日本獣医學校の巻」より