4月24日の犬たち
戦前のチャウチャウの飼い方 昭和12年
武蔵野愛犬同好會主催「名珍犬観賞會」に出陳されたチャウチャウ。
新宿伊勢丹屋上にて、昭和11年5月13日撮影
チヤウ・チヤウは御承知のやうに支那の犬で、支那の大衆は一般に粗食であると云ふ所から、私はチヤウ・チヤウに對して粗食主義をとつてゐる。味噌汁に飯、その中にお惣菜の魚肉を入れて與へ、特に犬の食餌として特別の食物を作らない。
肉は勿論好きで、臺所から肉の匂ひが流れ出すと、大騒ぎを始めるが、さういふ時だけは五月蠅いので、時には肉を與へることもあるが、大體が粗食で通して結果は悪くない。
魚肉は何でもよいが、鮭のやうなものは皮膚病に罹る恐れがあるのでこれは避けたい。
チヤウ・チヤウは一體に落ち付かぬ犬で、よく走り廻る。で、小庭を運動場に、晝は子供と遊ばせ、夕方は街へはなして獨りで運動させる式をとつてゐる。放してもあまり遠走りはせず、往來で犬に逢つても此方から喧嘩を仕向けるやうなこともなく、安心して放してゐるやうな次第である。
夏場は長毛なので、暑がること夥しい。縁の下を自分で掘り、穴に埋まつて寝るが、それも彼の自由に放置し、粗食且つ自由主義に一貫して飼育している。
青木永三『チヤウ』より 昭和12年
4月25日の犬たち
生年月日 昭和5年4月25日
犬種 イングリッシュポインター
性別 牡
地域 大阪府
飼主 薄田近吾氏
生年月日 昭和5年4月25日
犬種 ワイヤーヘアードテリア
性別 牝
地域 東京市
飼主 廣田安次郎氏
平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より
昭和16年4月25日診察
生年月日 昭和16年4月25日
犬種 シェパード
性別 牡
地域 兵庫縣神戸市
飼主 原鶴之祐氏
「現在畜犬税は市町村税である關係上その頭數は詳かでないが、一市町村に十頭宛が飼育されてゐると假定する時は、本縣において三千六百頭の多きに達し、これ等に一日三合づつを給與する時は一日に十石八斗、一ヶ年實に四千石を浪費するわけである」
茨城新聞 昭和19年4月25日社説より
戦前の狆の飼い方 昭和12年
狆の海外進出に貢献したブリーダー、下川いね子氏。アメリカ暮らしが長い彼女は、愛犬たちを海外遠征させていました。一緒に写っているのはスプラッツ社のドッグフード缶。
昭和10年
狆の飼ひ方で一番氣をつけねばならぬことは、絶對にテンパーに罹らせぬことである。テンパーに罹つたら最後、十中八九までは死亡するし、死なないまでも、テンパー恢復後慘めな状態に陥つて狆の値打を損すること夥しい。即ち愚鈍になつたり、無闇に人を恐れたり、癇癪持ちになつたり、或は目が悪くなつたり、舌を出し切りになつたりして、折角怜悧な天性を目茶苦茶にしてしまふ。だから、テンパーはどんなことがあつても全力を盡して防がねばならない。
それでテンパーを防ぐにはどうしたらよいかと云ふに、それは表へ出すことは禁物で、他の犬の出はいりしない庭園でもあれば格別、さもない時は、終始一貫表へ出さぬ注意が必要である。
その一つとして小用も乳兒のうちから局部をいぢつて出させるやうにし、まづ人間が小用を手傳ふ観念を植ゑつけ、稍稍長じては、藁を敷いた箱を便器とし、その中に入れて小用を足すやうに仕向ける。かうして小用と雖も表で用を足さぬ習慣をつけ、屋内飼育に一貫するならばまづテンパーに罹る憂ひはなく、天性の儘に狆を育てることが出來る。
それから狆に着物は附物で、秋雨の頃ともなれば着物を着せて冷氣を防いでやる。長毛の割に狆は却々寒がりで、冬は綿入れの上にジヤケツを着せると云つた親切も必要で、寒さをいとつてやれば息災に冬を越すことが出來る。
食餌は特に注意を要する點もないが、たゞ偏食を避け、何でも喰べるやうに慣らしたい。病氣の際など何でも喰つてくれると非常に便利なことがある。
間食はやらぬ方がよい。これは行儀を仕込む上に必要で、狆は何處までも上品に行儀よく仕込むことが大切である。
須永政三『狆』より 昭和12年
4月26日の犬たち
戦前のポメラニアンの飼い方 昭和12年
ちなみに、高橋さんが飼っていたポメラニアンのソニー君。昭和11年
外國では成犬の食餌は一回であるが、少量づつ二回與へるのが、理想的であらう。自分は二回に分けて給することにしてゐる。
食餌の材料は軟かい肉で、これを煎つて與へ、野菜類は殆どやらず、骨粉等も與へてゐない。肉だけである。
案外皮膚の強い犬で、滅多に皮膚病に冒されることなく、愛玩犬として美しい毛並を保ち得るのは幸福である。
高橋徳三郎『ポメラニアン』より 昭和12年
昭和18年11月15日、亀戸の平林家畜病院で狂犬病予防注射を受けたポメラニアンたち。一年後の畜犬献納運動や米軍の空襲を生き延びることができたのでしょうか。
4月27日の犬たち
大正13年4月27日診察
同會は去四月二十七日より廿九日迄三日間、上野公園池之端産業館に於て開催せり。従來の共進會は毎回天幕張にて開催するを常とせるが、今回は三日間催すのみならず毎度天候不良の爲に苦しめらるゝ爲、苦心の結果此の大建築場内に於て開催することに定めたのであつた。場内は眞に理想的にして、先進諸國の會場に比較するも遜色なきと思ひつゝありしが、場内に依り光線の具合一定せず、且出陳時間も一定する能はず、未だ内地の發達状態に於ては、時の早きを思はしむるものあり。
其他今回はチヤムピオン賞を定めたりと雖も、未だ各方面に於て研究の足らざるものありしは誠に遺憾とする所なり。之れ又我犬界には此のクラスを設くるの猶早きと思はしむ。
今回の出陳犬は伏見宮殿下御愛犬英ポインター、コツカースパニエルを始め、英セツター、アイリツシユセツター、獨ポインター、グリホン、ブルドツグ、ブルテーリヤ、シエパード、グレートデーン、ボルゾイ、狆、スムースフオツクステリヤ、トーイフオツクステリヤ、ボストンテリヤ、日本犬、土佐犬、マルチーズ、ドーベルマンピエンシル、コリー、グレーハウンド、スコツチデーヤハウンド、セントバーナード、秋田犬等、弐拾四種にして、出陳縣別を示せば東京、八王子、埼玉、千葉、川崎、横浜、福島、山形、秋田、新潟、静岡、名古屋、三重、京都、大阪、兵庫、神戸等三府九市十二縣に達し、今回は従來出陳なかりし福島、山形、秋田等東北地方の出陳を見るに至れるは誠に喜ぶべき現象なりとす。協力一致東北地方の發達の一日も速からん事を切望す。
出陳犬中英セツター種は近年になき發達状態を示し、原産地に比するも遜色なからんかを思はしむ。品位の向上中にも腰部より後脚に於て發達の顕著なるものあり。誠に狩猟犬として望ましき現象である。此種愛好家は協力して猶一層改良を圖り、日本セツターとして永遠に誇るに足るものゝ作出に努力せられん事を希望す。
英ポインター種は今回も出陳數の第一位を占め、優秀なるもの少なからずと雖も、英セツターに比すれば甲乙の差多きを遺憾とす。外観實用兼備の優秀犬の益多からん事を望む。フオツクステリヤ種は一般家庭の番犬として大なる特長あるにも拘らず未だ其數の多からざるは不可思議とする所なり。此種愛好家の努力を望む。
ブルドツグ種は著しき變化なきも未成犬に優物を見受けらるゝは将來あるを思はしむ。獨ポインター種は毎回相當の出陳犬を見ると雖も、他種に比し進歩の遅々たるは遺憾とす。余輩に忌憚なく云はしむれば英ポ、英セは趣味者多き爲改良の速かなるに反し、獨ポ飼育者は實猟主義多く畜犬趣味の低きに依るべきか一考を要すべきなり。
コツカースパニエルは優秀犬のみなりしと雖も、未だ其數多からず。同種も増殖に勉められん事を。グレートデーン種は一、二見事なるものを認めたり。ボルゾイ種と共に特種の番犬として趣味者の多からん事を。其他シエパード種は近時流行犬として、玉石盛に輸入せられつゝあれど、優劣を知らるゝを恐るゝの結果にや未だ其數多からず。此種の長短は我畜犬界の爲他日大に論ぜんと欲す。
華蔵界生『中央畜犬協會第十四回全國畜犬共進會成績』より 昭和5年
陸軍第8師団通信隊と共に中国へ到着した軍犬バク號。昭和14年4月27日撮影。
戦前のマルチーズの飼い方 昭和12年

戦時中に飼育されていたマルチーズ。まだ欧米からの畜犬輸入ルートが維持されていて、敵性語の自粛もなかった昭和14年撮影。
昭和16年には洋犬の輸入が途絶したものの、国内繁殖されたマルチーズは流通し続けました。
建部和歌夫『マルチス』より 昭和12年
昭和18年12月10日、亀戸で狂犬病予防注射を受けたマルチーズ(押印部分をよく見ると犬種名が記されています)。
ジャック(お手柄犬)
生年月日 不明
犬種 日本テリア
性別 牡
地域 大阪府
飼主 田村菊次郎氏
日本テリアの権威、田村さんの愛犬です。
昭和9年の広告より
氣の利いた新年のトピツクでは御座ゐませんけれど、一つジヤツク(日本テリア種)の手柄話を聴いてやつて下さいませ。
御承知の通り私の宅の方は大阪の歌舞伎座の裏手で櫛比した料理屋の間に挟まれた家なので御座ゐます。賑やかな戎橋筋は數歩の距離、交番は眼と鼻の先といつた位置で御座ゐます。
十二月十日の深夜。通りは歳末賣出しの旗も下され、近隣の料理屋も板場を仕舞ひ、一番遅くまで起きてゐる眞向のスタンドも三時の時計が鳴ると扉を閉めました。大阪第一等の繁華街の眞夜中と申しますものは、又別に不氣味なもので御座ゐます。
突然、ジヤツクがハウスの中でウゝゝゝゝと含み聲で唸りました。その聲で不圖私も眼覚めましたが、ジヤツクはハウスの中で立上つたやうです。と、今度は幾分聲を强めてウワンと二聲ほど鳴いて、ぢつと耳を傾けてゐます。主人も眼を覚しました。
と、ジヤツクは、今度はいかにも自信に滿たされた許すまじき聲で、戸を掻きながらしきりに鳴き續けましたので、私は素破とばかり直ぐ寝床から飛出してハウスの戸を開けますと、ジヤツクは一散に玄關に駈け出しました。
私は電燈のスヰツチを捻りました。パツと入口に光りがさしますと、ジヤツクは玄關の敷居を踏まへて、入口の戸の方を睨みながらワン〃と吠え立てました。
乍併、入口の硝子戸には一向人の影もありませんし、窓を開けて外を物色しましても一向何の物音も致しませんでした。
「何んだつしやろ、妙だんなア」と私も呟きました。
大體ジヤツクと云ふ犬は滅多に吠えないので御座ゐます。他の牝犬は鼠が天井裏をゴト〃させても直ぐ鳴きますのに、ジヤツクはいつも黙つてゐます。その沈黙屋さんが他の牝犬が黙つてゐますのに、今夜に限つて吠えたてたので御座ゐます。
「野良犬でも通つたのやないか」と主人。
それにしては少し吠え方が違ふやうです。軈てジヤツクをハウスへ入れまして床へ入りましたが、何だか氣味が惡く暫く寝られませんでした。
枕時計を見ますと丁度四時過ぎで御座ゐます。間もなく乳屋の車や新聞配達が通るといつた鹽梅で、ポツポツ人の氣配がしてきましたので安心して寝ました。
所が、朝起きて玄關へ出てみますと、見慣れぬ薄い物尺の様な鋸が入口の敷居の際に落ちてゐました。
金物を切る鋸でした。そして入口の敷居の溝には真鍮の粉が散つてゐるので御座ゐます。多分硝子戸の中栓を外から鋸で引いたのかと思ひます。そしてジヤツクに吠え立てられたので、賊は吃驚して鋸を取落して逃げたらしいのです。
早速交番へ届けましたが、巡査も直ぐ検證に來て下さいました。
「別に被害はありませんか」
「御座ゐまへん、犬が鳴いてくれましたので逃げたらしう御座ゐます。私の方の犬は無暗に吠えまへんのですけど、昨夜は随分吠えましたさかい」
「普段吠えないで必要の時に吠える―、本當の番犬ですなア」
この巡査はなか〃味なことを仰言るのです。
「歳末は殊に物騒ですが、結構でした。犬の大手柄です。矢張り犬を飼ふて置くものですなア」
斯ういつて巡査は歸つて行かれました。
お蔭で賊の侵入を未然に防いだ事は、何と申してもジヤツクの大手柄で御座ゐます。
「ジヤツクちやん。あんたを本當の番犬や云ふて巡査が讃めてゐやはりましたで……」
私はジヤツクを抱き上げました。其日の御褒美は大好物のお芋とビフテキで御座ゐます。
田村まさ子『ジヤツクの御手柄』より 昭和12年
4月28日の犬たち
生年月日 昭和17年4月28日生れ
犬種 エアデール
性別 牡
地域 東京都
アヅマは戦時下を生き延び、昭和24年のペット雑誌にも登場しています。
捜索の勤務に於ては犬の最大の武器である嗅覚の活用に依つて、數々の軍犬獨特の戰闘任務を果して居りまするが、中でも現在我が軍の占領地区内で敵敗残兵 や匪賊等が鐡道線路に地雷を埋没して列車の転覆を企てる事が度々ありまするが、此等危険物を發見掘出して重大なる禍を未然に防いで居るのは實に我が軍犬なのでありまして、之が為に實に幾千萬将兵の貴重なる生命が救はれ、また幾千萬屯の大事な軍需品が安全に救はれて居るか判りません。真に偉大なる功績ではありますまいか。此の様に注意深く観察して参りますと、吾々の軍犬が戰場で働いて居るその戰闘任務は實に貴重なものであつて、其の功績は並大抵のものではない事が判ります。
帝国軍用犬協会第11回定時総会にて、香月清司陸軍中将『會員各位に要望す』より 昭和18年4月28日
4月29日の犬たち
伊勢から着いたセタを早速試験すべく、四月二十九日の天長節に鴨猟に引率して見た。私が此犬を選定した時には、単にレインジヤの子といふ以外に血統も年齢も聞かず、又猟藝に就いても何等尋ねなかつたのだ。
抑も犬を買ふのに其猟藝を賣主に尋ねる事は、多くの場合無意味である。通信販賣などで受ける返事は大抵「容姿無比猟完藝全」である。
尤も私が中尾氏に尋ねなかつたのはこんな失禮な理由からではない。中尾氏とても私に對してマサカ猟藝卓越、能力非凡ですまされる筈もない。只言葉の説明では或る程度以上の詳細と適確とは期待し難く、而して又其程度のものは、余は犬を一見する事によつて大体間違なく得られるからである。
而も今や實際に是を試験して見るのだ。いさゝかの不安は免れなかつたが、幸にして、私の鑑定は大過ない事を發見した。
只失望したのはネラヒの姿勢であつた。鴨の一羽毎に的確に狙つてくれたのは結構だが、毎回伏せて之を行つた。此伏せてするネラヒは、日本ではセツトとか何とか言うてムセウに喜ばれて居るが、之は問題である。
討ち損つが鳥の後追を一層確實に防ぐためには、伏せて狙ふ様に訓練するのもよいが、稲田や草原の鶉猟には犬が見えないで困る事もある。
然し私の此所謂セツトなるものを嫌ひ且つ侮蔑するのは、御同様犬に凝る者が持つ所の一つの贅沢心からである。
小林廣正『犬界雑感』より 大正14年
生年月日 昭和11年4月29日生れ
犬種 シェパード
性別 不明
地域 大阪府
飼主 松浦正一氏
戦前の犬の相談係の本音トーク・その1 昭和12年
ペット飼育に関する情報がネット上に蓄積されている現代。愛犬の健康管理や治療法についても容易に検索することができます。
ネットやテレビが無かった時代、愛犬家はどうやってその情報を入手していたのでしょうか?
もちろん、ペット黎明期の明治時代は猟犬の健康管理法をハンター同士が情報交換し合う程度。しかし大正時代になると犬の健康相談コーナーがペット雑誌に登場し、昭和になると全国紙にもペット飼育コーナーが載るなど、愛犬家の情報網は飛躍的に拡大していきました。
しかし相談に応じる側も全知全能ではありません。種々雑多な質問に答えねばならぬゆえ、それぞれ悩みを抱えていたのです。
今回から、犬の相談係たちの座談会をご紹介しましょう。当時の世相もうかがい知れて、ナカナカ貴重な記録です。
出席者
板垣四郎
遠藤智
久我優祐
佐治正次郎
水野五郎
白木正光
白木
最近雑誌や都下の大新聞にまで犬の問答欄が設けられ、愛犬の便宜を計つてゐますが、かうして犬に對する關心の高まつて行く事は、非常に結構なことだと存じますので、今夕は皆さんから質問の傾向やら、質問者に對する御希望やら、その他色々御感想もあらうと思ひますが、それ等の隔意なき御意見を伺ひたいのであります。佐治さん、新聞の讀者はどういふことを一番聞きたがつてゐますか。
佐治
質問の病名別を百分比で調べてみましたが、それによると、皮膚病が第一位で、次が寄生蟲。それからテンパー、蕃殖關係が同數と云つた數を示してをります。
次に表を示しますと
皮膚病 一四.〇〇%
寄生蟲 一三.〇〇
テンパー 一〇.二五
蕃殖 一〇.二五
胃腸病 七.七五
訓練 七.五〇
外科 六.五〇
フヰラリア 五.〇〇
眼科 四.二五
外寄生蟲(ダニ) 三.二五
佝僂病 〇.五〇
耳 〇.五〇
雑 一七.二五
で、外科から以下は目立つて減つてをります。
遠藤
私の方は大體専門的にといふので、分擔を定めてやりました。フヰラリアは板垣博士、外科は木島氏、私の所へは、皮膚病、テンパーの質問が來るのですが、皮膚病が大部分です。皮膚病は外部的に見て、一番愛犬家に判り易いからでせう。珍しいのは殆んどありません。
板垣
來た質問にはみな答へますか。
佐治
代表的なものを選み、且つ重複しない質問に答へるやうにしてゐます。
板垣
雲を掴む様な質問が來ますな。
遠藤
謎の様なのが來ます。
板垣
謎の様な質問には謎の様な答をするより仕方がない(笑聲)。耳が立たぬがどうしたらよいか、といふのが随分來ますね。
久我
多いです。日本犬、シエパード犬の質問に多い。
佐治
本の讀者から來る質問には、要領のいゝ、調べねばならぬやうなのが多いので、これは勉強になります。
板垣
犬の研究の質問にも、どうかと思ふのが來ますな(笑聲)。
白木
數來る中には色々ありますが、眞剣なのも多いです。
(長くなるので次回に続きます)
『愛犬家はどんな犬病に一番悩んでゐるか』より 昭和12年
4月30日の犬たち
鈴ケ森事件のあつた翌日即ち大正四年四月三十日の午後九時、赤坂表町に薬屋殺しといふ事件が起つた。再びコリイ種のバフレー號をつれて現状に到着したのは五月一日の二時四十分、遺留品として靴があつたのでそれを犯人が逃げたといふ通りに置き、捜索命令を下した所、赤坂見附のお堀近くの電車通りまで來て、臭氣を失つてしまつた。
考へて見ると犯行のあつたのは夜の九時であつたから、犯人の逃走した道路上にはまだ通行人が頻繁であつたことゝ、今の赤坂松竹館、即ち當時のローヤル館跡の(萬歳館)、活動写真がはねた後であつたことによつて、犯人に對する嗅覚は全く打消されてゐたのである。
勿論その晩陸軍少尉の犯人が間もなく赤坂一ツ木で捕縛された。
『探偵犬の話』より もと警視庁探偵犬係 荻原沢治警部補
生年月日 昭和6年4月30日
犬種 エアデールテリア
性別 牡
地域 大阪府
飼主 小川章二氏
生年月日 昭和7年4月30日生れ
犬種 ワイヤーヘアードテリア
性別 牡
地域 東京市
飼主 関井良平氏
私は臺北廣友會の現地皇軍慰問團に加はり、四月廿四日基隆廻覧の長沙丸にて出發、一路上海へ。廿六日午前八時頃、まだ血なまぐさい新戰場氣分がみなぎる上海に到着。其處で各地の皇軍を慰問し、偶然にも〇〇部隊軍犬班長森軍曹に邂逅したのであります。
森氏は戰傷を得て〇〇病院に長らく入院してゐて、今日〇〇の原隊に帰る處だと云ふ事を聞き、私共の慰問團一同は南京行きの貨車を求めて〇〇部隊慰問の爲、無錫に着き、此處より軍用トラツクを求めて〇〇へ、待機中の〇〇部隊を訪ねたのであります。此處で先づ七、八名の知人に逢ひ、臺湾犬界の先輩田中稔氏にも逢ふことが出來ました。
それから軍犬班の方へ案内されてて、ヘルドやナナ號などにも逢つて、最後に愛犬のベルヒの處に案内されたのであります。
近づくまでは、よもや自分の奥さんや子供の方が自分より可愛いはづの主人が戰場にやつて來る筈はないと思つたのでせう。最初私に對し便衣隊にでも吠える様にして吠え續けてゐるのです。
ベルヒは両耳垂れた二ヶ月頃から愛育し、半年前〇〇に入営するまで二ヶ年間子供の様に育てゝゐた犬であります。別れてから六ヶ月振りで、しかも戰場で邂逅すると云ふのですから、私の喜びは一方ではなかつたのであります。
近づいてベルヒと呼べば怪訝な顔で吠えるのを止め、取扱の兵隊さんが鎖を解いて下さると、尾をチ切れる様に振つて私に飛びついて來たではありませんか。全く感慨無量でありました。
恋人同士とやらが暫く振りで逢ふた時もこんな調子であるのぢやないかと思はれる程でありました。
それから行軍や傳令の為に趾球を痛めたと云ふ體で引きながら飛びつくのであります。ベルヒは私の顔中思ふ存分舐めてくれました。背には鐡條網でヒツカスツた跡をつけ、立派な戰士となつてゐた愛犬の前で、自分の身の不甲斐なさをしみ〃と感じたと同時に「ベルヒよ、このおれの分まで思ふ存分働いてくれよ」と愛兒にもの言ふ如く語らずにはゐられなかつたのであります。
この時程物言はぬ犬を不憫に思つたことはありません。私は目頭に熱いものを感じてしまひました。感涙とむせんだ次第であります。居並ぶ人達も泣いて下さいました。
それからジヤツクやアンニと逢ひ、何しろ一時間程しか時間がありませんでしたから、誠に心殘りであつたのであります。ベルヒと逢ふのもこれが最後だと思ひ、取扱兵とベルヒ二人を寫眞に納め様としてもカメラに飛付いて思ふ様に取れないのであります。ヤツトのことで、最後であらうと思はれる寫眞を撮り、水を十分與へて愛犬に別れ、再びトラツクの人となつて無錫に出發したのであります。
無錫から南京への途中、私の頭の中はいま別れて来た犬のことで一ぱいなのであります。
犬に舐められた顔中が厭につつぱつて仕方がありませんでした。其夜南京に十時に着いて旅装を解いたのでありますが、犬に舐められた顔を洗ふのが何となくおしかつたのであります。
それでその夜は風呂にも入らず、その儘床に就き、いい犬の夢を見様としたのですが、體が疲れてゐた爲かグツスリと夢のない眠りに一夜を過してしまひました。
翌五月一日の朝は愈々ナメられた顔を洗つたのでありますが、その時は實におしかつた。その時の氣持を未だ忘れられません。この日は私の一生涯を通じての記念日とするつもりであります。
有馬享『南支の第一線を訪れて愛犬慰問の記』より 昭和13年
生年月日 昭和15年4月30日
犬種 シェパード
性別 牝
地域 東京府
飼主 佐藤久助氏
戦前の犬の相談係の本音トーク・その2 昭和12年
前回からの続きです。
出席者
板垣四郎
遠藤智
久我優祐
佐治正次郎
水野五郎
白木正光
○匿名は卑怯
『愛犬家はどんな犬病に一番悩んでゐるか』より 昭和12年
2020年5月度月報
ここ最近、近所を散歩する家族連れをよく見かけるようになりました。微笑ましい光景ではあるものの、自宅待機を強いられている親御さんがそれだけ多いのでしょう。
私の場合、「オタクにとってステイホームは何の苦にもならない」説のとおり。自宅に籠って犬の資料を読みまくる充実のゴールデンウィークとなりそうです。ああ情けない。
思い返せば二ヶ月前、社内防疫マニュアルや体調管理アプリの整備でドタバタしているワレワレ対策チームは「肺炎ごときで騒ぎすぎ」とか嘲笑されていたんですけど、そういった自分が二足歩行していることを疑問にも思わない(鶴岡法斎氏言うところの)人々も、ようやく対岸の火事ではないと気付いたようです。ヤバイっすねえ。
これを機に再申請したリモートワーク承認の稟議はすんなりと通過して、経営陣への説明も「要するに、これまで通りサイボウズ使えばいいんだろ?」「ハイそうです」であっけなく完了。
もっと難航するかと身構えていたのに、意外な結果で拍子抜けしました。
昔のような「会議はチャットで、朝礼とかなくして直行直帰でいいじゃないですか。経費節減にもなるし」と上司へ提言したら「テメーは規律から覚え直せ」と自己啓発研修へ放り込まれた暗黒時代から比べると、何という変わり様でしょうか。
20年かけて構築してきた社内ネットワークによって、働き方を変える環境は既に整っていたのです。変えようとしなかっただけで。
しかし今から着手する会社だと、方針転換や設備投資が大変でしょう。
イロイロ逼迫しているらしい知人からは「具体的に何をどうすればいいの?」という問合せがあって、ちなみに御社の現状はどうなのかと訊き返したら、ISO関係の文書作成とハンコ地獄から抜け出せないのだとか。
電子化する時間的余裕もないだろうし、ISOを止めてはどうかとご提案したら「がんばって取得したのに、廃止なんかできるか!」との返答。
損切りできなければ止血もできません。社員さんの健康を守りたいのか、書類の山と心中したいのか、そちらで優先順位を決めてくださいと伝えて電話を切りました。
武藤貞一が「新たな技術を導入するのは簡単だが、古い技術を捨てる決断は難かしい」的なことを述べていた戦前から現代に至るまで、勿体無い精神はワレワレを縛り付けているのです。重ね重ねヤバイっすねえ。
5月1日の犬たち
「鈴ケ森事件のあつた翌日即ち大正四年四月三十日の午後九時、赤坂表町に薬屋殺しといふ事件が起つた。再びコリイ種のバフレー號をつれて現状に到着したのは五月一日の二時四十分、遺留品として靴があつたのでそれを犯人が逃げたといふ通りに置き、捜索命令を下した所、赤坂見附のお堀近くの電車通りまで来て、臭気を失つてしまつた。
考へて見ると犯行のあつたのは夜の九時であつたから、犯人の逃走した道路上にはまだ通行人が頻繁であつたことゝ、今の赤坂松竹館、即ち當時のローヤル館跡の(萬歳館)、活動写真がはねた後であつたことによつて、犯人に對する嗅覚は全く打消されてゐたのである。
勿論その晩陸軍少尉の犯人が間もなく赤坂一ツ木で捕縛された」
「探偵犬の話」より 警視庁警察犬係 荻原沢治警部補
アスター商會とカール・ミユラー氏
軍用犬の先進國獨逸から斯界の権威者と言はれて居るカールミユラー氏が去る五月一日入港の氷川丸で來朝致しました。氏は十三歳の少年時代から軍用犬、警察犬の訓練に従事し、今日まで十七年間の永きに及んで數百頭の飼育訓練を行つて來たのでありまして、現在では獨逸國立RDH(※ナチスドイツ畜犬聯盟)公認の著名審査員並に蕃殖訓練士として世界にその名を謳はれて居ります。
當商會は一昨年も氏の來朝を懇請したのでありましたが、RDH関係その他事情の許さゞる爲め、その渡日の機會はなかなか實現を困難とされて居りました。然るに幸にして今回再度の來朝懇望により渡來の好機を得ました事は我が國犬界の爲洵に慶賀に堪へぬ次第であります。
氏の滞在期間は一ヵ年間でありますが、之によつて未だ發達過渡期にある我が犬界、就中實用犬の飼育訓練上稗益處少なからざるは勿論、今後一段とその進歩を早められるに至る事と存じます。
殊に従來の輸入は性能體型に就て調査甚だ不便なりしも、氏は本國に於けるシエパード犬を殆ど熟知せるを以て輸入にも一大福音と云ふべく、愛犬家諸賢の爲め祝福して止まない次第であります。
昭和9年
・大連税関
1.五月一日午後十時、情報に接し山本監視員外六名はジヤツク號を同伴出動、瓦房店西方山麓の要處に待機し居たり。
午前二時を過ぐる頃、東南方部落付近に野犬の咆哮頻りなるを聞くや、ジヤツク號先づ勇み立ち監視員亦素破こそ密輸団の出現と互に相警め、静に機の至るを待ちたるに、程なく部落を通過せんとする一団約百名の闇影を認めたり。一同直に之を包囲するが如き隊勢を執りつゝ進み、其の先頭部に於て突如ジヤツク號をして咆哮せしめたる處、策戦図に當り彼等の中には急に怖氣づきて後退せんとするものあり。
統制俄に乱れたるに依り、此機逸すべからずと許りジヤツク號に襲撃を命じ、次いで監視員一同勇躍之が検挙に突入し、暫時乱闘を続けたるが、人犬一致の活躍に流石の彼等も敵し兼ね、遂に算を乱して遁走するに至れり。
気負ひたる監視犬は尚も遁ぐるを追ひて長躯し、遂に人絹布二十四疋を押収せり。
滿洲国税関監視犬月報 昭和11年
帝國軍用犬協會主催、創立五周年記念展。東京牛込陸軍戸山學校。
『春の犬界の催し』より 昭和12年
この日―
吾々(※満鉄警戒犬)育成所の近くに満人兒童を教育して居る瀋陽扶輪小學校と云ふのがあるが、同校は日系の五頭校長を初めニ人の日人の先生があるので、朝夕出勤列車中で挨拶を交してゐる中、警備犬訓練公開のお話をした所、校長も非常に賛意を表して喜ばれ、是非近い中に御願ひしますとの談合により―
五周年記念展の向ふを張るべく(ホホ…)五月一日の吉日を選び吾育成所に五百餘りの兒童を招き例に依つて訥弁ながら一場の説明を爲し次いで訓練の公開を致しました。
全く珍らしいと云ふか、不可解と云ふか訓練手の一挙手一投足に従つて活動する警備犬の姿及び動作にジーツと見入つて訓練を終了する迄丸で神秘の何物にか引きつけられたる如く静観してくれた熱心さには吾々育成所の連中も非常に感激した。當日満人兒童に映じた感想文(譯文)を一部転記して誌友に御紹介致しませう。
警備犬訓練参観記 五月一日
瀋陽扶輪小學校 高ニ甲 鄭張龍
五月一日我校三年生以上は十二時過ぎ揃つて警備犬訓練を見に行きました。この日天に雲なく晴れ渡り遊ぶにはほんとによい日でした。
分校も來ました。
すると向ふから所長さんがおいでになつたので校長さんは我等に起立させ礼をし所長さんから色々話がありました。
それから一人が、犬をつれて場内に来て色々な訓練をしました。遺失物を拾はせたり襲撃をさせたり、伏せをさせたりなか〃人でさへむづかしいことをよくしますので思はず讃嘆の声を出しました。
終わつて三頭の犬を我等の前につれて來て犬の名や、産地用途等を説明して下さいました。更に私等高ニ生は犬小屋の方へ参観に行きました。大きな犬や小さい犬が居てワン〃と吠へました。犬の食料室を見ますと卵や肉や白菜等人の食物よりもよいのに驚きました。
毎日一匹に参拾銭もかゝるさうです。しばらくして學校へ帰りました。
犬のやうに無智な動物でさへこのやうに役に立つのに況して、萬物の霊長たる人が犬に劣つてはなりません。大に努力して勉強せねばなりません。
満鉄職員細川伊與三氏『満犬スケッチ』より 昭和12年
5月2日の犬たち
兵庫縣芦屋の資産家大橋倉一郎氏の愛犬で、セパード時價千五百圓といはれるアグネス・フオン・マツケン號は、去る四月廿日中野區本町通り會社員松本有義氏が借り受けた翌日失踪し、全國的に手配してゐたところ、一ヶ月餘を過ぎてから淀橋區西大久保の犬屋で發見され、問題はそのまゝになつてゐたが、これが半年近く経た数日前、偶然の事から拾つた名犬で一儲けすべく立ち廻つてゐた連中が判明して、巣鴨署に検挙されたせち辛い拾得物横領奇談―。
逸走したセパードは目黒競馬場付近で當時荏原區に住んでゐた岩本庄二(三二)に拾はれた。
自宅に連れ帰ると先づ妻のさち子(二五)が目を輝かしてこゝに夫婦が浅ましい儲け仕事の相談。翌日からセパードの頸輪についた所有者のなをすり落して仕事もそつちのけに各方面を賣り歩いた。
遺失主からすでに手配が廻つてゐるらしいので関西で賣り飛ばさうと、五月二日出發。同十日に梅田驛でセパードを受取つて買手を探したが大阪市内もすでに手配が來てゐるらしいので、犬を郷里新潟縣に送り預け、六月初旬に帰つて來た。
この不在中、郷里にセパードを預けた事を知つた妻は急に思ひ立つてセパードを東京へ送らせ、これを義兄の巣鴨の理髪職濱田善三郎(二九)に持ち込んだ。
そして夫の帰る二三日前に西大久保の犬屋へ賣りつけ、内金として五十圓を受取つて濱田に二十圓與へ、自分は三十圓を懐中して、帰京した夫には「犬は盗られちやつた。あきらめませう」とばかり、マンマと騙した。
一方犬屋の方では買つたものゝ様子が怪しい。
調べて見ると手配の來てゐる名犬だ。驚いて遺失者に返し、濱田を追及した揚句、拾つたものと判つたが、犬屋は遺失者から百圓のお禮を貰つた事だし、相手も一ヶ月以上養つてゐたといふので若干の養育費を支拂つてそのまゝにしたものであつた。
これが発覚の端緒は、数日前濱田方へ顔剃りに行つた巣鴨署員にこの儲けた話を濱田が一席聞かしたためとある。
「名犬拾得奇談」より 昭和9年
大KV創立五周年記念展―と云へば吾々愛犬家が手グスネひいて待ちかまへてゐた檜舞臺だつたが、僕愛育するところのエアデール・テリア成犬牡ブラウン號も神奈川縣支部豫選を悠々パスして愈々五月一日、二日の本部展出場と決まると、さて氣が氣でない。
本部展へ出陳資格を獲得できただけで名誉この上もないと、自ら慰めて見たものゝ、出場する以上普段會誌で「相澤理論」を連載してゐる手前、落ちたら引つこみがつかないことになるので、流石の僕も少しばかりシヨゲてしまつたが、二日目審査終了後成績發表で成犬牡組一席、全エアでエール總合審査一席となつて、竹田宮賞拝受と決つた時は―、御想像におまかせします。それから某氏からこんな賛辞も頂戴しました。
「相澤理論が事實に依つて證明された譯ですから、この點からも貴重なものです。事實が理論で裏書きされる事は容易であるのみならずケンキヨウフカイの危険がありますが、理論が事實で證明される事はこれはもう動かすべからざるものです。この意味で―」
と、まあこんな端書を貰ひましたが、この某氏、僕のサクラでも何んでもなく、只少しほめ過ぎる悪癖はあるやうです。とにかく今は過ぎ去つた労苦も忘れ、鎌倉の奥で五月の風にのんびり茛をふかしてゐます。
展覧會當時、僕トリミングもろくにしないでブラウンを出陳したので山出しの姿、仲間のスツキリしたお化粧姿と比較して少し悲しくなりましたが、筋金通つた鎌倉武士―、でも今はすつかりトリミングして日本のナイト。日本のダンデイとなりました。
相澤晃「栄光燦として」より 昭和12年
南部北海道支部所属出征犬函館八幡宮に於ける武運長久祈願。向て右寄り丸山真二氏愛犬レオ號、竹崎武熊氏愛犬オルザー號、大橋茂治氏愛犬エドウルフ號(昭和14年)
拝啓
暖かくなつて参りました。其後皆々様には御変り御座いませんか?御伺い申上ます。
御蔭様にて小兵儀も相変らず元気一杯にて軍務に励んで居ります故、他事ながら御休心下さい。
当地ハイラルにも漸く春の聲が聞えて参りました。御地の方にも例年にない寒い事との由、昨今如何で御座いますか。
其の後のオルザー號も種々な作戰に元氣一杯働いて居ります。そして再び活躍出來る機會の來る事を楽みに待つて居る様な譯で有ります。
今度教育犬として育成所に連れて行つて居ります。何卒オルザー號の事は御安心下さい。
種々御知らせ致し度き事が有りますが、何れ詳くは後便にて御知らせ致します。
では皆々様御壮健にて御過しの程を祈つて居ります。
草々
五月二日 角道進
竹崎武熊様
昭和15年
其時、集合ラツパの下に付添員は一人一人腰にロープをしばりつけ 必死の働きをしたのです。
其の甲斐あつて 「朝日號」たちは一頭の怪我もなく 五月二日の朝方 目的の敵陣地へ上陸しました。
後、〇〇部隊に配属されたのです。
其後は、晝となく夜となく猛訓練を受け いよいよ七月二十五日午後十一時頃のことでした。
第一線の守備警戒 又傳令の命令が下つたのです。
教育軍犬紙芝居『倒れて呼ぶ朝日號』より 昭和18年
5月3日の犬たち
五月三日午前二時半頃、瀧口監視員はハリー號帯同、金蘭店部落東方より独立守備隊裏方面巡視中、練兵場南方高地より約百名の密輸団瓦房店に向ひ進行し来るを発見、直に付近窪地に潜み其の接近を待ち、機至ると見るやハリー號を放ちて猛襲を加ふると同時に挺身隊伍に突入し検挙に着手せり。密輸団は最初監視員の唯一名なるを観て頑強に抵抗を続けたるが、ハリー號の執拗なる襲撃を受け、次第に浮足立ち竟に後退遁走せり。寡力良く大部隊を抑へ、人絹布二十一疋、氷砂糖百斤を押収し得たるは實に人犬一致奮闘の結果にして轉た快心にして堪へざるところとす。
満州国税関監視犬月報 昭和11年
戦前の犬の相談係の本音トーク・その3 昭和12年
前回からの続きです。
出席者
板垣四郎
遠藤智
久我優祐
佐治正次郎
水野五郎
白木正光
○紙上にのらぬ解答
『愛犬家はどんな犬病に一番悩んでゐるか』より 昭和12年
戦前の犬の相談係の本音トーク・その4 昭和12年
前回からの続きです。
出席者
板垣四郎
遠藤智
久我優祐
佐治正次郎
水野五郎
白木正光
○禮状ロマンス
白木
回答に對する禮状の方は如何ですか。
久我
お蔭で治つたといふ禮状は少いです。こんな例があります。ある皮膚病の犬ですが、薬を知らしてくれと來たので、薬はつけず放つて置いてみろ、と回答したのです。この忠告が効いて、放つて置いた爲めに皮膚病が治つてしまつたといふことがあつたのです。その時禮状を貰ひました。一體、病犬を素人がつつ突くのはよくないことで、放つておけばよいのに、なまじ刺戟性の薬をつけたりして惡くしてしまふことがあるのです。何しろ診ないで教へるのですから、六ケしい仕事です。
板垣
これは新聞讀者ではありませんが、速達や電報で知らせてくれと云つて來るのがあります。鎌倉や横濱あたりから來るのですが。生きるか死ぬかの時らしい。
遠藤
それは回答に責任がありますな。先生でなくちやならんから、さうやつて來る。
板垣
醫科大學の研究室からの質問には回答し得ないのがあります。例へば試験用に何ヶ月の犬が要るが、これに對してどれ丈けカロリーの食物を與へるか、蛋白質、脂肪、含水炭素をどれ位やつたらよいか、と來る。二、三來たが、これにはウンザリする。
さつき禮状の話が出たが、愉快な話があります。四國の某氏から健康相談ですが、自分の獵犬が皮膚病に罹り何とも困つてゐる。うまい方法を教へて貰ひたいが、もしそれで治つたら、その獵犬がイの一番に獲つた雉を贈呈すると云つて來たものです。面白い人もあるものだと思つて回答したが、やがて獵期になると、ちやーんと雉を送つて來ましたがね。さて、私の回答で果して治つたものやらどうやら……。
遠藤
雉には及ばない。治つたら葉書一本でもよい欲しいものです。
久我
時事新報は社の方から廻つて來ました。
佐治
禮状は相當貰ひました。一々覚へてゐませんが、地方からです。
○愛犬家氣質
遠藤
私もお禮が云ひたいと云つて東日社の方へ尋ねて、盃を置いて行つたといふ例もありましたが。新聞の質問に限らず、病氣になるとヤイ〃騒いで、治ると知らん顔といふのが多いですな。
板垣
入院料も拂はないで……(笑聲)。
久我
治して貰へるなら、いくら金をかけてもよい、といふのが、重態になつてから連れて來る畜主の通有性です。重態ですから一と通りならぬ心配をして治療に盡すが、さて治つたからと云つて、當方としては普通料金以上の料金はとれたものではない。畜主の方では非常に喜ぶが、始めの意氣込み程拂ふといふことはまづない。結局請求出來ないから料金は普通の場合と同じと云ふことになつてしまふ。獣醫としては、重病より軽いうちの方がやりよい譯です。
一體、犬の病氣は、畜主に餘程の經験があつて、始めて病氣だなと云ふことが判るが、さもないと病氣といふことが一寸判らない。少し様子が違ふが、大したことはあるまい、と平氣でゐるうち肺炎にして、仕方なく持つて來る。我田引水ではないが、少し惡かつたら、直ぐ獣醫に相談するのが一番安全です。
佐治
同感。犬の病氣は人間と違ひ、頭が痛いとか、腹がチク〃するとか、さういふことは在り得ない。一緒に生活してゐる座敷犬でさへ、どうも元氣がないと氣のつくのが、まづ〃早い方で、これが外にゐる犬になると、小屋から出ないからこれは病氣だと云つて連れて來る。さういふ譯で人間に比較すると、可なり病勢が進んで獣醫にかゝることになります。それで病氣に早く氣づいて獣醫にかける様にすることが出來たら、犬の研究も新聞も著書も使命を果したと思つてよい。それ以上は獣醫にかゝるのです。山間の犬に應急薬が出來れば、本の使命は果せるのではないか。
遠藤
回答で困るのは、體温をとれと云つたところで、どういふ風にとつてよいのか素人に分らぬ。吸入も何處にするのか知らぬと云つた場合があつて、そこまで書くと長くなり過ぎる。
佐治
それは雑誌の受持の範囲ではないか。
遠藤
新聞の質問はレベルが下で、又新聞を見てゐる方は却々多い。佐治氏が大衆雑誌に書いた應急處置の記事がありますが、あれは大衆的で却々よい。
板垣
所で質問者は他人に對する回答は見ないらしい。
久我
さういふ傾向があります。
白木
自分に切實な問題が起り、困つて質問應答欄を利用するのです。
佐治
大體さうらしい。
『愛犬家はどんな犬病に一番悩んでゐるか』より 昭和12年