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Channel: 帝國ノ犬達
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6月4日の犬たち

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犬
生年月日 昭和8年6月4日生れ
犬種 シェパード
性別 牡
地域 大阪府
飼主 黒川真二氏

 

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和16年6月4日診察 


6月5日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年6月5日診察

 

犬

生年月日 昭和9年6月5日生れ
犬種 シェパード
性別 牡
地域 兵庫県神戸市
飼主 松井鉄十郎氏

 

犬

昭和七年六月五日、マツクス・ダハイムの血を受けて大阪の地に生れ、同年の九月十三日金澤に連れて参りました。
四ヶ月には山を運動中十二間の谷間に転び落ちたスポンヂボールを持つて来て主人を驚かせました。
昭和七年十一月頃よりヂステンパー流行し病犬と其の犬舎に住ひ、テンパーを知らずにすみました。
昭和八年三月頃よりはじまり、朝の運動中通にても山にてもお銭、萬年筆、メガネ、ボール等を草の中から見つけ出し、教えへ知らせ又は咥へて来る事が度々ありました。
昭和八年八月富山縣では土佐ブルの喧嘩が禁止せられた為め、多数金澤市内に飼はれる事となり、他人の変つた犬を見ると喧嘩をさせる事を自慢とする人が多くありました。
此の事から香林坊で人間三人と土佐ブル一頭に待ちうけされましたが、人間の喧嘩と成るとペツエは一年二ヶ月たらずで初めてシエパードの勇猛ぶりを見せ、警 官の来た時にはすでに相手の犬に傷をおはせ、人間二人は逃げ、ペツエをムチ打つた男は肩の付根下より喰ひ付かれ大傷致しましたが、警官立會で正當防衛であ る事が證明されました。
これで耳の立つた犬の強さを知られました。 

中島登美男「貴き人命を救つたペツエ」より 昭和12年

 

犬

生年月日 昭和10年6月5日生れ
犬種 ワイヤーヘアードフォックステリア
性別 牡
地域 東京市
飼主 高橋徹郎氏

 

 

 

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和14年6月5日診察 

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和16年6月5日診察 

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和17年6月5日診察 

ベルトウィン・フォン・ノルドテンロク KZ4241(在郷軍用犬)

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生年月日 昭和15年12月15日生まれ

犬種 シェパード

性別 牡

地域 兵庫縣

飼主 古田陸太郎氏

 

昭和17年5月24日

リング・フォン・ハウスミナ DKZ1899(在郷軍用犬)

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生年月日 昭和13年6月2日生まれ

犬種 ドーベルマン

性別 牡

地域 兵庫縣

飼主 浜田好夫氏

 

昭和17年5月24日

6月6日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年6月6日診察

 

 

皇紀2600年を記念して、6月6日當市森永賣店に於てJSV青森グルツペを作る。青森縣下の會員12名の内、出席者は弘前市より藤松氏、青森市より市川氏、伊藤氏(石鉢氏代理)、羽田氏、板倉氏、齋藤氏、福井氏、瀬戸口の3名。初顔合せである筈であるが、殆ど御顔馴染ばかり。名犬の話で時の過ぎるのを忘れた。
板倉氏の秘蔵犬はケールスカーの仔犬。市川氏の訓練犬はダゴーの息子。藤松氏のV賞牡犬。宮本氏、齋藤氏、福井氏及小生のはボドーの仔犬。それに拙犬のダツクスの娘と何れも一流犬の直仔揃ひで、大いに将來が期待される。
縣下のS犬界は先づ青森市が第一。S犬と名の付くもの約40頭、その内血統書のある犬が半數。次は弘前市を中心とする津軽地方であるが、各所に散在しておるから其の數は相當多いが、名犬の直仔も居る代り血統書のない犬が多い。新興都市である八戸市付近には一名の會員も無く、連絡がとれぬが餘り名犬の話を聞いた事が無い。
冬の大雪には不尠閉口するが、初夏から秋にかけては實に良い。梅雨が無くて暑さ知らず、S犬の蕃殖には理想的である。
今六月の中旬であるのにまだ冬服を着ておる人がある。S犬も衣替への最中。これからでも遅く無い。會員は足並揃へて優秀S犬の作出を契つた。
「JSZ青森グルッペ誕生」より 事務所 青森市浦町 瀬戸口方
昭和15年
 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和15年6月6日診察 

 

6月7日の犬たち

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渋谷區竹下町一七嘉山ふぢさん方の愛犬マル君(雑種牡)は六月七日午後二時頃、五圓十二銭入り赤革二つ折のがま口を拾つて来ましたので、早速原宿署に届けましたが、まもなく落主は同區原宿三ノ二八七福島潔方の女中田崎政子さんと判つて、マル君すつかり男を上げました。
昭和10年

 

帝國ノ犬達-札幌軍用犬
六月七日、札幌三越屋上にて開かれた札幌分會主催道産軍用犬展覧會(當日審査中の安達、島津、石垣の三氏)
昭和11年

 

六月七日

金子氏を勤務先に御尋ねし、先日の綜合展の経緯をきゝ、協會提出の優賞碑の代金を立替られて居たので夫れをお返しする。金子氏の紹介にて宮田氏入會され會費も受取る。

日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年

 

當山三十七代日空上人在職中、番犬として六匹の狗を飼育した。
母狗を多摩(十四歳)と呼び、とく、つる、ふじ、さと、まつの五匹の仔犬と仲よく本堂の床下を住居として毎日食物を漁りに町内へ出掛けた。
町の人は円明寺の狗がきたと食べあました物をめぐんで呉れた。
怖ろしい風の吹く日も、粉雪のちらつく寒い夜も本堂の床下は温かつた。
朝は上人勧経の声を聞き、夕は梵鐘の響を聞いて五匹の仔狗は成長し、母狗は老いて行つた。
蔓延元年二月十二日、仔狗都留を失いし母多摩の落胆悲哀の状は、顔色憔悴し食欲はにわかに減じ、
遂に病に臥するに至つた。
富寺、左登のニ狗は母に侍し離れざること、人の病人を看護するにことならず。
二匹の仔狗は毎日病める母狗を養い看病してゐたのである。
そして一匹の狗は母の傍に侍り、一匹は町に出て食べ物を漁り、ひたすら老いて病める母を看まもつてゐた。
この話しは三島の宿の人々の間にひろがり、箱根をのぼつて江戸へ行く人、箱根を下つて京へかへる人々の口にまで円明寺の孝行狗の話は伝はつた。
人間の寿命があるやうに、狗にも定められた寿命があつて、萬延元年五月廿八日、遂に二匹の仔狗に抱かれたまゝ安らかに息をひきとつた。
三日ほどは二匹の狗は床下を出なかつた。
宿の人々はそれと悟つた。
そしてみんなが哀れかなしんだ。
四日目に二匹の狗が庭の片隅を掘りはじめ、やがて掘り終わると二匹の狗は床下の母の死骸を引つぱつて、そうして甲斐々々しく埋めてしまつた。
文久二年六月廿日、左登の死を最後として飼育の番犬は病死した。
日空上人は懇ろに彼れ等の冥福を弔ひ、墓石に呼名を刻し、後世に不幸の者の誡めとした。
「円明寺の孝行犬縁起」より 昭和9年

 

いよ〃盛夏の候と相成り、御地にては今梅雨の候でありませう。其の後意外なる御無沙汰を致し申しわけ有りません。御許し下さい。
前日來〇〇戦参加の時痛切に胸に残りし事を一筆申上げます。
将來實地に使用する訓練、殊に攻撃用防護衣の改良、之は是非共必要と思ひます。色を變へる事、軍服目標とする相手國、又各國服の模造、是非共之は御一考を御願致します。
之は我班で〇〇頭の實際使用上の事を申上げるのです。
三四ヶ月は實敵に向ふとほえるだけで咬まぬ。そのくせに戰友等には気に入らぬと一寸咬むが、それだけ氣の荒き犬でさへだめです。
従來使用の防護衣なれば猛烈も猛烈とてもたまらぬ位ですが、平時より事有る時を思ひ是非共之は一考再考を願ひます。これは戰地全軍犬兵の希望であらうと思ひます。
但し逃げる敵なればどんな犬でも行きますが、向ふ敵には一寸行きません(但し之は實際の敵です。普通の防護衣の際は向へば益々猛烈ですがね)。此の事は馬鹿者の寝言と聞かず、是非共にお考へ下さい。
やつと此頃漸く全犬共實際の攻撃が出來だしました。丁度四ヶ月になります。現地で初めより使へる犬を願ひます。
軍犬報國の元締たる我帝犬に無禮なる事を申し相済みませんですが、何卒微力乍ら帝犬又軍犬の事を思へばこそです。無禮なる點は幾重にも御許し下さい。
尚之よりは暑さも増し氣候不順なれば御自愛の上にも御自愛あつて、邦家の爲め軍犬の爲め健康なるお體と共に御発展の程を北支の地より御祈り申上げます。
職員御一同様に宜しく御傳言の程御願ひ申上げます。

六月七日
〇〇部隊軍犬班 寺坂四郎
御参考迄に報告書の写しを同封致しました。

報告書 〇〇部隊
一、R號軍用犬に就て 
〇〇〇派遣の経過は良好と申すべきと思ひます。
二、平田上等兵、藤井上等兵の訓練振は熱心にして連絡斥候の動作は訓練者の意の如くに犬は行動を起して居ります。
三、巡察の過度なる當分遣隊には犬の効果最も大にして、暗夜の巡察には欠くべからざるものと信じます。

昭和14年

犬とシイタケ 昭和18年

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「音と砲台」みたいな取り合わせ。戦局が暗転した昭和18年も、日本犬の蕃殖とシイタケの栽培が必死に展開されていたのです。

 

アンザ・フォン・グリュッツリッペン KZ39030(在郷軍用犬)

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生年月日 昭和15年6月22日生まれ

犬種 シェパード

性別 牝

地域 兵庫縣

飼主 渡邊秀市氏

 

昭和17年5月24日


アダ・フォン・コトオーソー KZ45318(在郷軍用犬)

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生年月日 昭和15年4月28日生まれ

犬種 シェパード

性別 牝

地域 兵庫縣

飼主 八十川光司氏

 

昭和17年5月24日

フロード・フォン・カネヒロエン 帝国軍用犬籍簿登録申請中(在郷軍用犬)

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生年月日 昭和16年5月30日生まれ

犬種 シェパード

性別 牡

地域 兵庫縣

飼主 久保義貞氏

 

うおおおおおお!またもゴーソーホの仔を発見!

 

昭和17年5月24日

ゼニー・フォン・ヘイアンソウ 帝国軍用犬籍簿登録申請中(在郷軍用犬)

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生年月日 昭和16年7月21日生まれ

犬種 シェパード

性別 牝

地域 兵庫縣

飼主 渡邊秀市氏

 

うおおおおおおおおお!お!またもゴーソーホの仔を発見。

デウェット・フォン・ゴーソーホの資料は関西方面から大量に出てきたのですが、本雪崩によって書庫のどこかに埋没したままです。

 

 

 

 

昭和17年5月24日

信州柴犬普及元祖 曙園 昭和18年

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軍需原皮不足を補うため、ウサギ、タヌキ、ヌートリア、マスクラットなどの繁殖が奨励されていた昭和18年。いよいよ戦況が悪化した一年後、厚生省と軍需省は全国の知事宛にペットの毛皮供出を通達します。

天然記念物の柴犬は供出対象外でしたが、周辺住民からの同調圧力や食糧難による飼育放棄によって、多くが毛皮供出の巻き添えとなりました。

 

昭和18年の広告より

6月8日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年6月8日診察

 

静岡縣駿東郡富岡村御宿消防組頭杉本清太郎氏方へ五月十五日午前一時頃、焼切泥棒が忍び込み、賣溜金五圓餘りと地下足袋衣類等数點を盗み、更に隣家の菓子製造販賣業古田榮氏方へも忍び入り、レインコート其他を窃取逃走致しました。
届出に依り沼津警察署では非常線を張り犯人捜査中、同日午前六時頃裾野發三島行富士自動車バスに被害者古田榮氏の長男伊豆銀行員古田榮一君が乗車せんと致しますと、車内に窃取された自分のレインコートを着てゐる男を發見。
折柄愛犬ドルフを連れて同所を散歩中の吉川氏に此事を告げますと、感付いた件の男は突然逃走を企てましたが、吉川氏の命令一下、ドルフ號は物凄ひ勢ひで追撃、附近の裾野驛(舊東海道線現御殿場線)構内鉄道官舎の床下に追詰め難無く捕へました。
件の男は本年三月廿七日、仙台刑務所を出所した東京府生れ、當時住所不定前科六犯小山理一といふ各所を荒した犯人でした。ドルフ號は前期の勲功に依り、六月八日縣知事並びに警防義會より金一封を添へ表彰せられました。 


犬
 

ヘラー・フォン・ドージマ KZ31330(在郷軍用犬)

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生年月日 昭和14年1月9日生まれ

犬種 シェパード

性別 牝

地域 兵庫縣

飼主 小倉風次郎氏

 

こちらも西脇犬舎のゴーソーホの仔ですね。帝国軍用犬協会登録だけあって、その仔たちも帝犬に登録されたケースが多かったのでしょう。

 

 

昭和17年5月24日

デンケル・フォン・ハウスモリイシ 帝国軍用犬籍簿登録申請中(在郷軍用犬)

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生年月日 昭和16年8月27日生まれ

犬種 シェパード

性別 牡

地域 兵庫縣

飼主 森石一雄氏

 

こちらもゴーソーホの仔です。長期間に亘り、各地で交配の種牡犬に用いられていたことが分かりますね(彼の子孫は満洲国にまで広がっていました)。

……交配料はお幾らだったんでしょう?

 

昭和17年5月24日


6月9日の犬たち

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日本ケンネル倶楽部主催の日本畜犬品評會は雨のため一日延期し、去る六月九日午前十時より大森射的場に於て開催された。
出犬の申込は約四十頭、他に参考犬十頭で、四月以來名古屋、京都、大阪等に於て開催された共進會に比して多大の懸隔あり、遜色の見られたのは震災の影響を受けて畜犬の中心が関西方面に移動したのと、今一つは東京及横濱方面の畜犬家が戰國時代を現出して党派的に群雄割拠を爲し各方面に畜犬倶楽部、畜犬協會等を設置せるため其發達を阻害せるの観あるは、我が畜犬界の爲めに反す〃も遺憾である。
大局の上より之等群少の畜犬會は個人的の感情や利益を捨て聯合畜犬協會を設立し、真に斯界の向上發展の爲めに努力せられんことを望みたい。
「畜犬共進會」より 大正13年

 

六月九日

海老名氏より來書。七月初め豪太利に行かるゝ由、良いコリーがあつたら買つて來らるゝとの事。我コリー界も前途多幸である。伯楽が騾北の野を過ぎるものかも知れない。

日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年

 


昭和十七年六月九日二十二時五十分、櫻柯橋分哨服務警戒中、分哨前方百米付近を敵兵約八十名隠密に通行し在るを警戒中の虎勇號發見、直ちに擔任者に報告、〇〇本部と連絡を取り事前に對應の處置を講じ事なきを得たり。

 

6月10日の犬たち

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暫らく獲物らしい獲物に出くわさぬから、今日は鳩の一羽でも、秧鶏(クイナ)の半分(尤も半分ではゲームの数に入らぬかも知れませんがね)でもいゝ、久し振りに家族の手前天狗の鼻でも延長しておかうといふわけで、猟期もあと一と月足らずといふ此日午後、ワン公を引き出す。
道々とある池の堤防を通ふとすると、中程で犬がポイントした。
堤の上からのしかゝる様にして汀(なぎさ)を覗き込んでゐる。
ハゝーン、お誂への通り秧鶏だな。
近づいて小声で「ヨシ」と云つてみるが犬は一向にとび込まぬ。一心不乱になつてのぞき込んだまゝ、聊か不審の體である。
そこでフト悪戯氣が起つた。
待てよ、クヒナならば打ち洩らしても惜しくはない。一つどの位ポイントしてゐるか試してやらうといふ氣で、ソツと犬の尻つぺたの所に腰を下して、銃を膝に横たへ、衣嚢からバツトを一本抜きだして火をつけた。
一息吸ひ込んでフーツと烟を犬の尻へ吹きつけてみるが、まだ棒立ちのまゝである。
いよ々々面白くなつて来たから今度は烟草を咬へて双手で「ワン公いゝ加減に行かないか」と犬のからだを押そうとしたら、その瞬間決然として三四尺上方の葦原の中へ、勢猛に踊り込んだ。
と同時に間髪を入れず猛烈に大きな怪鳥(そう見えた!)がバタ々々々々と飛び出したではないか。
ヒヤーツと驚いてよく々々見ると、真鴨の雄である。
ウムこれはとばかり銃を取り直すなり座つたまゝで、盲目滅法に打ち出したら、何といふ気まぐれな鴨かコロリト落ちて水面をバタ々々やつてるところを苦もなくワン公が泳ぎついて咬えて来た。
受取つてみると頭をやられてゐるので、小粒弾ながら半死の有様。
イヤ過ちの功名、勿怪のケのケだ。
だが考えてみると、これとよく似た失敗の方の歴史も實はあるので、日外(いつぞや)道端―それは貨物自動車も荷馬車も自転車も通る、おまけに人家近い街道筋―で犬が妙な恰好をするから、「止せ々々小鳥なんかにポイントしちや笑はれるぜ」と若犬振りを叱つてやつたら、豈計らんやそれが餌見の雄雉子だつて、銃を肩にかけたまゝ見事な空中滑走振りを目送し、あべこべに犬に笑はれたことがあるが、こういふことはどちらにしても、あまり他人にはホメてもらへぬ事らしい。
現にこの話はどちらもあとで猟友の軽挙妄動を戒めた揚句、甲君の曰く「苟くも銃を執り犬を連れた者が、猟野に出たる以上……」とか何とか、乙君の曰く「古来油断大敵……」云々、猟夫曰く「ウヘエツ」。
そして頭かき々々口の中でボヤくように「テイー(犬の名)よ、これからはお前を信用したるぜ」

大正十四年六月十日於 松堂医院北窓下稿了

舘康正「続々雀羅庵猟話」より

 

全日本エーヤデール・テリヤ倶楽部聯盟廃止に付聲明
代表者 今田荘一 白石春雄

我々の倶楽部聯盟は、エーヤデール、テリヤ種の普及と改良進歩を期する爲に、微力ながらも今日まで邁進して参りました。今尚日浅くしてその成績の見るべきものはありませんが、東京大阪の両地を中心として漸次會員の數を増加し、又他の地方に於ても新に倶楽部を設立し、聯盟に加入せんとの準備進捗中のものもあり、且又犬種の改良にも應分の成績を挙げつゝあることは我々の欣幸とする所であります。
是れ偏に大方の御同情の然らしむる所と深く感謝する次第であります。
顧みますれば、我軍犬界は昨年來勃然として長足の進歩發展を來たしました。それと同時にこれが統制上に於ては大に混沌たるものがあつたことも事實であります。
然るに今や陸軍當局の指導と、帝國軍用犬協會の努力に依りまして、統制の基礎が確立し、我々の向ふべき所が大に明になつて参りましたことを、我々は衷心感謝するものであります。それと共に我々の倶楽部聯盟の存否に就ても大に考慮すべき秋であらうと思ひます。
抑我々の倶楽部聯盟は今日迄も他と對立すべき組織のものでなく、従つて我々倶楽部員は軍用犬協會にも自由に加入し、又犬籍登録の如き國家的統制を要する重大な事業は倶楽部として之を行ふことを避け、一に最高機関たる帝國軍用犬協會に頼ることにして居ります。
是れ即ち事實上帝國軍用犬協會に協調する所以であります。
如此ではありますが、更に我々は協調の趣旨を一層鮮明ならしめんが爲、茲に倶楽部聯盟を解くことになりました。
然しながら、各倶楽部は今少時らく之を存続し、一般郡犬界の統制を阻害せざる範囲に於て、鞠躬如として本種の繁栄の爲に努力したいのであります。
蓋し本種は不幸にして我國に於ては真に発芽の状態に在りますので、少くも當分の間、尚少なる単位に於て之を培ふを便とするからであります。否、かくすることに依りて、我軍犬界の本畑に對し準備的の貢献を齎らし得るものと信ずるのであります。
茲に本誌を通じて、叙上の趣旨を洽く大方に聲明し、軍犬界各位の御諒解を仰ぐ次第であります。
何卒本種の愛好家各位は正統に於て軍用犬協會に御協力の傍、我々倶楽部に對しても御同情あらんことを祈る。
昭和八年六月十日

 

一九二九年十一月帰朝、パテーは初めて日本の土を踏んだのであつた。
日本に於ては上野公園に於ける帝犬第一回展に於て訓練の實演を為して以来、軍犬普及の為め實演を為す事前後二十七回、本土は勿論遠く北海道に至る迄殆んど足跡を印せざる所のない程である。
訓練犬として出動したる事は左の三回に及び相當の成績を挙げる事が出来た。
即ちその第一は昭和十一年六月十日川口署の留置嫌疑者逃亡の際、埼玉縣警察部長の求めにて出動、事件後三日に川口署より一里半程距つた竹林中の犯人遺留品に依り犯人の逃走路を指示して犯人捕縛に便ならしむ。
その二は昭和十一年六月十五日浦和警察署の求めで自動車強盗事件に出動して犯行後八時間なりしも能く其の遁走路を嗅出して犯人捕縛に便ならしめた。
その三は昭和十一年七月二十一日大宮警察署の依頼により川越街道に於ける自動車強盗事件に出動し、犯行後五時間に完全に逃走路を嗅示して犯人三人を全部捕縛せしめた。
以上の功績に對して昭和十一年七月二十八日刑事協會長より賞金を受けた。
現在九歳の老齢ではあるが、體重十一貫八百匁、矍鑠として尚ほ壮者を凌ぐ概がある。
以上名誉ある功犬章を授与せられたるを機會にパテーの事業の一端を誌して會員諸兄の笑覧に供した次第である。
浅田護馬「愛犬レディー・パトリシアを語る」より 昭和12年

 

若松分會に於ては、六月十日より六月十六日迄の一週間、在郷軍人會の後援の許に、若松市大勝館に於て映画會を開催。「フランダースの犬」及び「現代戰と犬」を上映、非常なる好評を拍し、連日満員で各學校生徒兒童等の團體観覧も多數あり、軍犬思想の普及に多大の効果を得たのであつた。
尚「軍犬の訓練」映畫は會員及び有志のみの映畫(最終日映寫)とし、訓練上に之又非常なる参考となつたのであつた。
昭和12年

 

大阪蘆原署で取調べ中の犬泥棒前科二犯山野庄吉が盗んだポインター種牡(時價三十圓)と日本犬牝(時價十圓)の二頭の飼主がわからぬので、何とかして捜してやりたいと考へつゞけてゐた平野刑事が、六月十日朝、ポンと自分の膝を叩いて微笑した。
早速「この犬の所有者は直ちに當署に出頭されたし。蘆原署」と書いた木札をつくつてワン公の首にブラ下げて放したところ、それから二時間ほどして電話がかゝつて來た。
「こちらは大阪府中河内郡巽村相澤俊夫宅ですが、長い間捜してゐた愛犬がたゞいま首に御署の木札をつけ二頭そろつて無事に歸つて來ました。ありがとうございました」とのこと。
平野刑事の妙案がうまく効を奏して、犬は一里あまりも離れた主人の家へ歸りついたのだ。
「今様越前」より 昭和13年

 

官舎に我等の教官殿が、犬を飼つてゐられる。名は「ラン」(註、自分が研究したところによると、この犬名は、滿語で狼と言ふ意味ですが、或は滿國花の「蘭」かも知れない)。
〇〇部隊本部の軍犬と満犬の雑種らしい。耳は片耳のみ立つてゐるが、毛色、體形ともシエパードにそつくり。
これが教練と言はず行軍と言はず、何時もついてくる。
営庭がランの運動場だ。生後一年半の彼女は冬も春も跳びまわつてゐた。我が世の春とばかり……。
が、四月初め、可愛いゝ仔犬が七頭生れた。
そのうち、背黒の一頭のみ、他は滿犬の子に似てゐる。此の頃は母について営庭を乳を求めてチヨコ〃と歩いてゐる。やはり先代の血液を引くものだなと思ふ。
ランにしろ、その牝犬にしろ雑種だ。
まして牝犬は滿犬だ。
その仔犬が一頭は真つ黒で、四肢、口吻、目の處に褐色が出てゐる。
もう一頭ゐる。
それは茶褐色で口吻が黒―黒マスクだ。
先づ二頭がシエパードの血統を引いてゐる。
こんなことを書いてゐるうちに、〇〇部隊の方へ轉属になりました。〇〇部隊に來て、ランに訓練を實施してゐましたが、残念乍ら轉属して訓練出來ない状態です。
がこゝでは〇〇部隊の軍犬班が訓練をやつてゐるのを見ます。
エアデールも見ましたが、ほとんどシエパードです。
滿洲國での軍用犬の普及は(こんな大きな考へは一介の貧弱な我々にとつては想像すべきことではありませんが)先づ、體の丈夫なことが第一條件でせう。殺人的暑氣にも、呼吸の凍る厳寒にも耐へ得る體力が必要の様に思はれます。
其の上大變不潔で傳染病ならば何でもあり(但し、人間が多いのですが)相當丈夫でないとどうかと思はれます。此の辺の部落は、一部落から一部落まで一、二里あり、人間が進歩すれば衛生も考へる様になるでせうが、現在の有様じや無學文盲の奴等ばかりですから。一度、田舎を去つて、新京やハルピン方面へ行けば是非必要だらうと痛感してゐます。
先づ此の辺であれば、草原地帯を利用して放牧の使役犬として充分活躍出來得るだらうと。緬羊の一群を自由に見張る犬の出現を切望してやみません。
真紅な夕陽が、此の頃であれば緑の地平線の彼方に沈んでゆく。彼方に一群、此方に二群と満人の打ち振る鞭の音も軽く響き傳はり來る其の中を、縦横無盡に走り廻る愛らしき使役犬の努力は成つて、陽の落ちる頃には、懐しい我が家の門をくぐる。犬も人も、そして彼の羊群も、夕餉をたく煙も細く、かうして平和な大陸は暮れてゆく。
こんな想像を思ひ浮かべつゝ筆を走らせてゐる自分であります。
若し再び犬界に現はれ、貴會の御かげで地方人として活躍出來得るなれば、何等かの理想が現實となつて現はれるでせう。色々と駄文を列べて申わけありません。
御會の隆盛を遠きこの地より祈ります。

六月十日 滿洲國三江省依蘭
〇〇部隊〇〇隊
船越輝和
昭和14年

 

 

 

アムステルダム・オリンピックにおける白米食問題が犬用ルームランナー開発に至った話 昭和9年

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銀シャリを食わせろという欲求が遺伝子レベルで刻み込まれた我が日本では、100年以上に亘って白米派と玄米・パン派が死闘を演じております。日露戦争の高木兼寛vs.森鴎外に端を発し、東条英機と井野碩哉大臣・川島四郎大佐らの対立、最近では北条家で楠公飯が不評を買ったり、更には「米自体を喰うな」と無慈悲な主張を掲げる糖質制限派まで登場しました。
それくらいビタミンは大事なのよ、というハナシを読んでいたら、 戦前の日本で犬用のトレッドミルが開発されていたという驚愕の事実が判明。マジか。
 
 
只今御紹介を戴きました河本であります。別に私は犬のために研究したのでもないのでありますから(笑聲)、適切にこの會の御役に立つかどうか分りませんですが、この間から由井さん(※もと日本シェパード倶楽部メンバー)がよく私の所に見えまして、色々とお話をした時に、私が前に或お醫者さんの會で、半ばお醫者さんに向つての通俗講演のやうなものでありましたが、私の所で若い人達にやつて貰つたのを引つくるめて講演しました。
その速記の印刷を由井さんに差上げたことがございます。それを御覧になつて「非常に面白いから、私が代つて話さうかと思つたが、やつぱり本人に話して貰つた方がいゝから」といふんで(笑聲)、私もマア自分で話した方が適切かと考へましたので、萬障繰合せて参つたやうな次第であります。
 
このお話を申上げる基礎になりましたことは、私が大學を卒業して、本郷の大學の醫化學の教室に入つた頃、丁度ヴイタミンの發見された時期で、明治四十三年から四年にかけて、隈川教授と柿内助教授とが一生懸命に研究されて居ました。隈川先生は老大家で遂に大した發表もなさらずに亡くなられましたが、その助手として始終お手傳をして居りまして、色々な動物によつて米を喰ふことの弊害を感じまして、人間ならば色々な大袈裟な弊害があるといふことをつくづく感じて居りました。
ですから、日本人は米を食ふことを止めなければ國力の發展上非常に損だ。國民の發展を害するものは米食にあるのかの如く思つた。そんなことはないか知らんと思つて居りました。
それから餘程年月を經過してから、私共が西洋も一通り行つて來た後で、私共よりもずつと若い、今醫學博士で内幸町の胃腸病院の院長をして居られる川島震一さんといふ人が居られ、古くから知つて居るが西洋に、殊にドイツに大部居られましたが丁度その際に一昨年の第十回世界オリンピツクゲームの前の第九回がオランダのアムステルダムで開催されました(※1928年のアムステルダム・オリンピック)。
その前、私共少し得意になつて居た事は、どうもお醫者といふものは病人ばかり診て、病人をよくしやうといふことばかり考へて居るが、もう少し健康者の能力を上げることを考へたらどうかといふ意見から出發しまして、スポーツ醫學の會といふものを東京で起しまして、賛成者が随分ありました。
子供の時分から野球や、庭球や、陸上競技とか水泳をやつた人達で、相當選手で鳴らした人達が、今は醫學を修めて大學の先生或は助手位になつて居る人々が見渡せば随分ありますが、かういふ人達が集まつて、何か健康者の能力増進というやうなことを研究するのが本當の醫學で、國力發展上役に立つのぢやないか。日本人は食糧問題なんか起る位數が多いんだから(笑聲)、病人ばつかり診て居ないで、尤も診ても餘り治しもしないで、半分位治すといふやうなことよりは重大な意義があるといふんで(笑聲)、スポーツ醫事研究會を起したのです。
 
川島君はその一員であつたから、西洋で観たことも色々話された。その中にかういふことがあります。
アムステルダムのオリンピツク・ゲームに行つて見たらドイツのお醫者もこのスポーツ醫學の會を吾々の發命よりさう遅れずに始めて居つたが、勿論オランダはドイツに距離も近いのでありますから、オランダのお醫者さんで、さういふことに興味をもつ人が、ドイツに行つて學んで居りましたし、學問はすべてドイツでありますが、さういふ關係この國にもこの問題に興味と關心をもつお醫者が澤山あつた。そこでオランダの醫科の大學の設備を借りて、世界中の運動選手の色々なことを研究調査して居つた。
そこへ川島先生も面白いから行つて見ておりました。
ところが或時その運動選手を調査して居りお醫者の連中で川島君を知つて居るから、直ぐ「どうも日本人といふのは特殊の人種のやうだが、一體どういふ譯なんだ。外でもないが、色々な運動競技前に血液その他の検査をして、競技直後に又検査して見ると、外の競技ぢや氣がつかなかつたが、マラソン競走の時に血液の中にある糖分を計量した時に、競技後には各國の選手は非常に少なくなつて居つたのに、日本人は割合に澤山ある。この日本人だけ多くあるといふことは、何だか特別な人種のやうだ」と尋ねられた。川島君もこれについて別に返事も出來ないから「今でも疑問に思ひつゝ歸つて來た」と歸朝して直ぐ私に話された。
 
私は少し僭越かも知れませんが、それは理由があると思ふ。大體西洋人といふものは日本を知らない。殊に欧州の西洋人は日本を知らない。極く少數の人が日本に來てやゝ知つてゐる程度でありますが、却つて我々日本人の方が世界のことを知つて居るので、この點が日本にとつて非常に有利な點でありまして、日本人は大多數西洋なんかに行かなくても、西洋の建物はかういふ風に造るとチヤンと知つてゐる。
我々先祖の造つた家とは丸で違ふ、成程西洋人が造る家は便利だといふことで應用して居る。着る物でもさうだ。我々が洋服を着て居るが、我々の先祖が着て居た譯ぢやなく、ヨーロツパ人が使つたのを便利だから着て居るので、食物にしても西洋料理といふものがある。祖先傳來の日本料理のあるところへ、西洋を見たことのない人でも、グツと若い人でも、アゝあれかと知つて居る。支那料理もあります。
だから日本人程世界の大勢に通じた國民はない。非常に有利だと思ふ。
 
西洋人は知らないから日本のことを不思議がるが、日本人から見れば大體西洋の衣食住に關しては知つて居るから皆分る。だから今の特殊な人種かと言つたことも、私には分る。斷定してはいけないかも知れないが、我々は豊葦原瑞穂國から三千年來米の飯を先祖代々食つて居ります。
米の飯は實に大袈裟に食ふ。子供の時は西洋人は米の代りにパンを食ふと聞いて、我々の御飯のやうにパンを食ふかなアと思つて、西洋へ行つて見たら、日本人の米の飯のやうに大袈裟に食はない。日本だつたら、貧乏な人は澤庵だけで、或は梅干だけ副へて飯を食べちまふ。もつと簡単なのになると鹽だけかけて食べる(笑聲)。
それで朝晝晩三度々々食事をする。西洋人はパンは食ふが、朝コーヒーの時に食ふ位のもので、晝食や晩には食ふてもほんの僅かで又薯のやうな澱粉を主としたものも食べますが、日本人が米を食ふ程大袈裟なことはない。
米が分解すれば、つまり體内で消化すれば最後に糖になつて入つて行く。それが多少弊害があれば、糖尿病が現はれたりしますが、普通これで健康を保つて居ると見える。さう大した弊害もなく大部分この澱粉で養つて居る。結局糖になるもので養つて居る。
我々の活動する力の大部分、即ちエネルギーは澱粉を分解した糖によつて補つて居る。その糖は、我々が先祖傳來米を食べて居るから、分解して體内の血液、筋肉、肝臓中に相當蓄へて居る。
運動したりして急に減少するやうな場合に巧く調節出來る。グリコーゲンのやうな形で貯へられたものから糖となつて出て來ることが巧く行く。
西洋人のやうに澱粉を主として居らぬものを食つて居るものには巧く行かない。かう考へたから、川島君に「私は競技後に血糖の多かつたのは、その現はれのやうに思ふが、さう言ひ切つてはいかぬかも知れないから、一つ面白い研究問題を戴いたから、今後研究して見たい」と言つて別れた。それからこの研究を始めたのであります。
それから以來、他の人もやつて居るだらうけれども、人のやつたのも細かく讀切れないから、自分が氣のすむやうな研究結果が得られゝばいゝと思つて自分で始めたのであります。
 
先程も申しましたやうに、日本人は先祖代々米を食つて來た。この代々といふ條件を實験によつて持つて來るとちよつと骨の折れることになる。先づ實験に供する動物には、米でも肉でも食へるものを選ばなければ比較する譯には行きません。又この實験は平常の状態ではだめだ、運動させて見なければならぬから運動の出來る動物、以上二つの條件の下に選んだのが遂に犬と鼠といふことになつた。
あアこれで犬が出て來たから犬の方に結びつけられたことゝ思ふが……(笑聲)。犬だつて、我々は犬の専門家がなさるやうに純血種の種族なぞ考へて居るのぢやない。人間とするならば、やつぱり色々食物を異にするけれども、白人と黄色人種といふやうなことを較べた譯ぢやない。
つまり我々は人間全體のことは何時も考へて居りますんで、眼の色が違ふやうに細かい人間の種族の間では多少違ひもありますが、これは微細なことで、尤も犬と人間とは違ふでありませうが、非常に似たところが多いのでありますから、犬を對象にとつて試験をした。
犬の何種と何種がどう違ふだらうといふやうな種族の差違を考へるより、全體として見て食物の違ひの方がずつと大きいのであります。その點を話せと仰しやるならばお役に立つかと思ひまして、今までやりましたことを、種族は先づ措いて、犬として、又鼠として申上げて見やうと思ふのであります。
 
犬も鼠も食物はよく似て居ります。どつちも同じやうなもので養へる。肉なら肉、米なら米を主として食べます。
犬は肉食動物のやうでありますから勿論肉は好んで食べますし、又日本人は自分の食べるものを犬に食べさすから、米もよく食べます。
次に犬に運動させる必要がありますので、犬や鼠に運動させる機械を考へました。犬を運動さす工夫はドイツのアツラーといふ人がやつて居たが、これは今日から見れば原始的なつまらない機械であつた。
日本では改良して各所でやつて居る。陸軍軍醫學校でも小泉君が兵隊を運動さす機械を使つて居つた。餘り人にあけつ放しにするのは好まない所だが、理由を言つてこれも見せて貰つた。
犬を走らす機械も考へて居りましたから、これを機械屋に注文して造らせました。ベルトを通してモートルを廻すと、ベルトが後方へ廻り出す。それに抵抗して前進しなければならぬから嫌でも前に走る。又ベルトの廻轉速度を調節すれば色々な速さを作り出すことが出來ます。
訓練の出來た犬は手放しでも相當よく走りますが、初めはあんまり走らぬ犬もありますから少しは練習を要します。それで疲れたりして横に倒れたりしないやうに、又倒れても起易いやうに腹帯みたいなものでゆるく吊してやります。
 
かうして試験を致しますが、主に前後の血液や小便を取つて見るのであります。前といふのは先づ空腹時が大體一定しますから、朝起きて何も與へない時に運動させます。運動前に計つたものは割前によく一定します。
空腹時でありますから、飛びつけない位の距離を置いて前に肉をブラ下げて走らすとなかりよく走ります(笑聲)。鼠についても丁度それを小規模にしたやうなものを考案しました。
そしてこれの速力が計れるやうに廻轉の數を表すメーターを作りました。
ベルトの長さは一定でありますから、一時間に何廻轉といふことで、何メートル走つたかといふやうなことが計算出來ます。かうして計りますと案外よく走ります。鼠を使ひますと、一時間に八百メートル、平均ならばラクに走ります。犬になるとその十倍の八千メートル走る。三時間の試験をやつたが、犬でも二十四キロ走ることになります。二十四キロ、犬にしては相當の距離を走つて居るから、血液の中でも相當の變化が起ります。
 
ところで犬は、先祖傳來米を食つたものと肉を食つたものとを得るのに骨が折れた。そこへ行くと鼠なんてゾウサない(笑聲)。六十日も經てば子を産みますから、五代位の子孫を作るのは譯はない。米食のグループと肉食のグループを分けて家族的に生活させれば子供も澤山生れます。
犬はさう澤山は生れません。十頭平均といふやうな犬は得られない。一頭宛正確に計つて似た結果が得られてからその平均を採るといふことでやつた。犬はタカダカ二代位、米食で養つた夫婦犬の子を米食で養ふ。子供は乳離れから直ぐどつちかで養つて行くといふやうにしました。
面白いことは、肉ばかりで養つて野菜がないと子供を産まなくなるが、これは問題が別になる。私は鼠の實験は主もに名古屋の大學でやりましたものえすから、肉なんか何か一定したものをと思つて、松坂屋の地下室に行つて見ると何時も同じやうな材料で、同じ家で作つたソーセーヂがあつた。「大體同じ材料か」と聞いたら「ハイ同じ材料です」と言ふのでそれを買つた。
素人眼には同じだとは言つても、時々は計つて見なければならぬので、定量分析で計つて見ると、蛋白質、グリコーゲンの量、脂肪量とも大體一定して居りますから、鼠はこれで養ひました。
 
犬は何で養ふかと申しますと、東京傳染病研究所で血清を採つた馬を撲殺します。痩せてグリコーゲンや脂肪は少ししかない。蛋白質の肉だけですが、一頭分も貰ふと澤山ありますから、その肉を貯めて佃煮にして置きます(笑聲)。
初は知らないから、肉だけで行けるものなら肉だけでやりたいと思つて、食事は肉だけやつて、マア時にヴイタミンを補つたり、鹽類を適當に入れるといふ位にしてやつたが、テンデ子を産まない。
片方は米ですが、白米ばかりだと白米病(※脚気)の弊害を惹起し易いから、完全な白米はだめで、玄米なら完全と思つて居るから玄米でやつた。たゞの玄米だと消化するのに犬でも苦しむから、玄米を我々が御飯を炊くやうにしてやつて見たら、やつぱり消化しません。
仕方なく、お粥とかおヂヤといふやうな程度に煮まして、擂鉢のやうな乳鉢で擂粉木でつゝくやうにして玄米の粒を潰してやる。かうしても化學的には變りはない譯であります。少し馴れて來ると非常によく消化します。乳離れの犬なんかに普通の煮方でも食べさすと、玄米の固まりがそのまゝ出て來てとても養へない。目方も増えなくなる。それで面倒でもお粥にして又摺り潰してやらなければならない。
 
かういふ風にして米食と肉食とを分けたのでありますが、前に申しましたやうに、米食の方は實によく子を産みますけれども、肉食の方は産まない。面白いことに犬でも鼠でも肉を食はして居るとちつとも子供を産まなくなります。
これは日本人は子供が多く、西洋人が割に少ないといふことにも關係があるが(笑聲)、これは別な問題として、十分の一位はつき混ぜた方がいゝと考へたから、肉の方に十分の一お粥を混ぜてやる。玄米の方にも十分の一肉を混ぜてやると大變に調子がいゝのであります。
米なら米、肉なら肉を主食としましても、野菜も少し入れますし、ヴイタミンも補つてやるやうにして、血液に氣をつけて養ひながら、両方に分けて運動を始めたのであります。
 
これからお醫者の會等で使つた圖を用ひて申上げます。
第一圖は鼠で出た數字であります。犬も鼠で出た數字であります。犬も鼠もこのやうに大體何時も同じやり方です。玄米で育つた鼠と肉で育つた鼠との各十頭平均であります。何時もさうです。この圖は血液の糖の量を出したのであります。
米を主として養つて居ると、犬でも鼠でも糖の量は多い。肉としてやつて居る方は凡そ〇・一一パーセントで、人間の代りにこんなものを使つてもさうエライ違ひもなからうと思へますのは、西洋人の血糖量はやはり〇・一一位のところにあります。日本の醫書にもかういふ割合で書いてあるが、血糖の絶對的な計り方もないのでありますが、大體正確と見て差支ない。日本人の方を計ればずつと上の方にあります。
この圖で見ると、肉食の方は〇・一一パーセント、玄米の方は〇・一四パーセントであります。
それで一時間走らして見ました。この糖の減り方の線の下つた方は大袈裟でありますが、走つた直後の糖も大きな差があるやうに見えますが、元々米の方が高いのでありますから、谷の一番底も肉を食つて居るものよりはかなり高い。肉の平常の量位あります。
それでマラソンの後で日本人が西洋人より血糖の量が多いといふので特別な人種と見た。血糖は補ひつゝ減らして居る譯なんでありますから、勿論後でもずつと多いことになります。
そのマラソンの時のことを申しますと、決勝點に入つた世界中の選手は四十八人、日本人は三人居りました。四十二キロのフルマラソンでありましたから、四十一キロの最後のステーシヨンのところまで我が山田選手(※山田兼松)が一番で來て居ります。確かあの時氣の早い新聞社が山田一等といふ電報を打つた筈です(笑聲)。
こゝまで一等で來たんだから大丈夫と思つたが二人に抜かれて三等になつた。あとの二人も割合に成績が好くて皆十番以内に入つた。國別に分ければ、三人とも十番以内であるから、全體としては一等をとつた譯になります。
この時に日本人の中で血液の中の糖が一番多かつた人が〇・〇八五。次が〇・〇八で、その次が〇・〇七五。〇・〇七よりは皆多い。
ヨーロツパの選手で〇・〇七に達して居る人は一人もなかつた。ずつと低い〇・〇六以下にあるのであります。〇・〇五以下の者さへ随分ある。
血液の糖も一定量は必要です。糖尿病でもインシユリンを注射して餘り少なくなりすぎると危険だ(※日本でインシュリン製剤が国産化されたのは、この講演の翌年でした)。〇・〇四五以下になると危険だと言はれて居るが、西洋人は境に近いところまで下つて居るから、もう一ぺんマラソンを走れといふことになつたら誰も随いて來られない(笑聲)。日本人は〇・〇八位あるから血液の糖だけの關係から見れば、出來るのぢやないかと思はれる。ガンバリは相當利くかの如くに思はれます。
日本人は運動した後でも少し休まして置けばよく糖を補つて行く。日本人の長所です。ちよいと休ませて置けば持久力があるといふやうなことから、私は兵隊の戰といふことを考へたくなる。だから戰争でもロシア人の大きな奴を相手にしてガンバリが利いたんだとも思へる。
軍人に聞けば大和魂だと仰しやるに違ひありませんが(笑聲)、それ以外にかういふことが影響あるかのやうに思ひます。
 
※このあとビタミンと白米と玄米とスポーツ医学について30ページ分の講演が続きますけど、犬とは関係ないので割愛。
 

醫學博士河本禎助『米食の耐久力に關する影響』より 日本コリー倶楽部講演会 昭和9年7月14日木村屋ビル講堂にて

6月11日の犬たち

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六月十一日

銀座ラスキンホールにて綜會並に過日の綜合展の授賞を行ふ。出席者八名(海老名、服部、金子、宮川、伊藤、西岡、安藤、三上)。話しは何といつても過日の九段の犬の展覧會の主催者側の不始末についていろ〃材料が出た。それから會則一部変更、委員改選、授賞、犬談に花を咲かせ、十時頃散會した。犬談ではコリー犬の被毛の手入れについて種々説が出て大分賑やかで且つコリー飼育者に取つては有益な話があつた。是から先き、何卒こういふ會には成るべく出席せられて犬談の交換をして頂きたいと思います。

日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年

 

 

六月十一日、學校の校庭で、軍用犬の訓練を見せてもらつた。軍用犬は全部で四匹で、その中二匹は岸和田から、他の二匹は濱寺と堺から來たのださうだ。

どこの犬もたくましく、毛並の美しい犬だつた。城内、中央、朝陽の三校の生徒や大人の人によつて、廣い運動場が大きな圓をかいた。やがて校長先生からお話があり、それがすむと主人は軍用犬を連れて來た。

先づ細谷さんが一匹づつの犬について説明して下さつた。

いよいよ軍用犬の訓練が始まつた。犬の中には若い犬がいた。その犬は今訓練中のため時々仕損ずることもあつたが、他の三匹はする毎に皆拍手して喜んだが、中でも一番強さうに見えたのは、濱寺から來たといふ黒色の軍用犬だつた。色々の藝當を澤山見せてもらつたが、僕が一番面白く思つたのは、一番終りのであつた。

厚い支那服のやうな物を着た人が出て來た。その人が戸の後にかくれ、ピストルを撃つと同時にその戸が倒され、軍用犬はものすごく飛びかゝつて、しばらく人と犬とが戰ふのでした。

向ふで見てゐる犬も物凄いけんまくでワンワンと吠えながら、今にも飛かかりそうな様子で待つてゐる。それで大會は終つた。本當に善い事を見せてもらつたと思ひました。

日根野高等小学校尋常5年生 奥田啓一君 昭和12年

 

 

六月十一日は僕らの待ちに待つた軍用犬の訓練のある日でした。午後一時さいれんがけたゝましくなつたので、何時もの朝禮の時の様に並んだ。

校長先生からお話があつて、各位置に着いた。

いよいy軍用犬が來た。細谷さんから一匹づつの軍用犬について、お話をしていたゞいてから訓練が始まつた。

其の中には物を投げて持つて來さす訓練もあつた。主人のハンカチの臭を犬にかがしてをいて、犬を他の場所へ連れて行き、ハンカチを五枚程置いて、主人のハンカチを持つて來さすのもあり、肉を犬の顔に突つけ食べさゝうとすると、主人がやると食べるが知らぬ人がやると少しも食べないのもありました。

やはり犬も訓練すると人間以上に賢こい働きをするものだとしみじみ感心した。又犬を棒にくゝり附け、主人の帽子を犬のそばに置き、知らぬ人が帽子を取りに來ると吠えて帽子を取りに來た人をかまうとして居た。それから障碍物を飛越えるさまはいかにも勇ましかつた。

最後に厚い支那服の様な服を着剣道の面をつけ、匪賊のまねをして戸のかげからピストルを射つて戸を倒すが早いか、犬はものすごい勢ひで飛び着いたと思ふと犬は振り廻されていた。それでもひるまずかみついて放さなかつた様な勇ましいことも見せていたゞいた。こうして軍用犬の訓練は終つた。大へん面白いだけでなく非常にためになつたと思ひながら家に歸りました。

日根野高等小学校尋常5年生 仙崎昭親くん 昭和12年

 

去る五月二十七日の海軍記念日に軍用犬訓練のやうすを實演して見せて下さる筈だつたのが、當日は雨だつたので出來なかつた。そして六月十一日にいよいよ行つた。

説明して下さる言葉ははつきり解らなかつたが、實演を見て大變に面白かつた。

犬を坐らせて主人が前方に進んだり、或は前方に進み、又歸つて犬のそばを通つて後方へ行く。犬は等しく後をふり歸つては主人を見てゐるが、主人について行かうとはしない。

我が家でも三月程親類の犬を預つて飼つたことがある。犬の世話は主に私がした。初の五日程といふものは馴れないので、食物もろくろくとらないで、夜になると哀れな聲で鳴きたてたが、一週間、十日と、私に大そうなついて、私が表のしきゐをまたぎでもすると、鎖の切れる程引張つて私の方へ來ようとする。犬といふものは、どこの犬でも大抵主人のそばばかりついて歩くものだ。それも言語も通じない犬に教へることがよくも出來たものだと感心した。

同じやうな五つのハンカチ、しかも主人のどんなものか一度も見たこともないのに、その五つの中から主人のものを見つけだす。こんなことは私達の到底出來たことではない。これを敏感な鼻によつてそれを見つけ出すのには大いに感じ入つた。

次に飛越をやつた。これは黒い犬が一番上手だつた。

犬の前へ主人の帽子を置いて、外から他の人が之をとりに行く。すると犬は吠えついて絶對に帽子を其の人に渡さない。物品の見張りを命じられれば、絶對にそのつとめを果すさうである。

すべり臺の後方の段を上がるのは實に感心した。前脚と後脚を巧に使つて丁度人間のやうに上つた。

最後に一人の人が面をつけ、ものすごいいでたちで出て來て犬と反對側の戸板の後へ立つた。手に玩具の二連發銃が持たれてゐる。犬の主人が各々犬をつれて、一人づつ出發して戸板に近づく。戸板の後の人は頃を見はからつて二連發銃をぶつぱなす。犬はすかさずその人にとびつく。腕にかみついたらふり廻はされてもはなさない。これでないと戰場に出ても役に立たぬと思つた。

いつか、第二電氣館で、「戰線に吠えろ(※正式タイトルは「戰線に吠ゆ」)」といふ映畫を見た。あの時も軍用犬の訓練の様子を見ることが出來た。そして軍用犬が戰場で非常に重大な役目をすることが解つた。

初から終まで感心ずくめで終つて、その後でみんながならんでからやかましくいつてゐるので、校長先生が「そんなこつちやあ犬にまけるぞ」といはれた時、私はそうだ犬に負けないやうに立派な功績を世に殘さうと思つた。

日根野高等小学校二年 加藤末三くん 昭和12年

 

海軍記念日のもよほしの一つとして、本校で殘つてをつた民間軍用犬の實演を、六月十一日午後一時から本校校庭にて行つた。犬は四匹來た。そうして一列にならんで立つた。どれも皆强さうな顔をして、直立してゐる。

一番初めに各犬の所有してゐる人の名を言ひ、各犬の名を言つて、運動場を一回廻つた。それからもとの所へ歸つて、犬を吠えさせたり、三つほど、藝をやつて、それからいよいよ物凄い物になつて來る。

牛肉を持つていくと食はないで吠えたてるので、なぜ吠へるのだらうと不しんに思つてゐると、電話線の架設を怪しいと思つて、吠えてゐるのだと放送してゐる。犬が主人の帽子を護つてゐるのを、取らうとすると、猛烈な勢で吠え立てゝよせつけない。油断してゐる間に取らうと思つても油断する所か、増々吠え立てる。そこへ主人が取りに行くと、尾をふつて、護つたかひがあると言ふような顔をして、うれそそうに鼻をすりつけに行く。

又ハンカチを犬にかがして、遠い所に他のハンカチを、いくつかと一緒にまぜてをき、彼の犬に「行けツ」と號令をかけると、犬はまつしぐらに走つて來て、一つ一つかいでいたが、これと思つたのか、それを食はえて行かうと思ふと「まちがひました」と言ふ聲が聞える。犬は少し立止つて、考へるやうにしてゐたが、又もとの所へ來て、それを捨てもう一つのハンカチを食はへて、主人のもとへ尾をふつて走つて居つた。廣い校庭に圓陣を作つて、見學の學童達は一勢に拍手喝采を送つた。とぎれとぎれに「アツ、あひました」と言ふ聲が聞へる。

次は、高い所を飛びこえるので、主人は「いけツ」と言ふと、犬は三、四歩地をけつて、さつと飛んだと思ふと、見事に飛びこえた。ワツと言ふ見學生の感動と共に、拍手喝采が又も送られた。

眞黒の犬は口に旗を食へて飛んだので、よけいに興味が深いので、生徒を喜こばせた。

次は巾飛で「居ケツ」と言ふと、走つていつて上手に飛んだ。それで、もう少し巾を廣くすると犬は走つていつたが、自分はよう飛びこさんと思つたのか、一つだけこしてこつちへ來た。

次は戰地のまでねである。あちらのすみから、からだに電話線をくゝりつけ、主人のもとへ走つてくる。つまり戰地では、こちらの陣地からあちらの陣地へ電話線をひいて、自由に話が出來るやうにするのである。

次は一番物凄いやつで、マスクをつけ、分厚い服を着た假装の匪賊が、戸の陰からピストルを發射すれば、猛然匪賊に噛みついて、振り廻されても放れない。とうとうかまれた所がやぶれてしまつて、他の犬もわんわんと吠えてゐる。

匪賊になつた人は、こわそうに生徒の坐つている間を通つてあちらの方へ行つた。もう時間がないので、それくらいでやめて解さんした。

 

日根野高等小学校2年 古江四郎君 昭和12年

 

6月12日の犬たち

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六月十二日(日曜晴)
カメのお産
朝早くお母さんに呼ばれて起るとカメのお産があつた。其子は黒で足の先は白いのが一匹、黒と白のまだらが二匹、茶色が一匹灰色で顔が白いのが一匹、皆で五匹である。
お母さんは犬はほんとにお産の軽いものですねェ、とお父さんに云ふた。
カメは正午頃まで出ませんでした。
京都市下京區祇園新地切通シ冨永町下ル 梅村勝之助 明治38年

 

六月十二日、板橋區志村清水町五八興國會山本甚三郎外八氏から競馬の向を張つた犬の競走場設立の許可願ひが警視廳 保安部に出された。
其の内容は匿名組合で、資本金五十萬圓、資金は一口十圓で五萬株を一般から募集し、志村附近の空地三萬坪に競技場を設置、入場料一圓、五圓の犬券を發行、一回に七頭の犬を走らせ一等の當選者に七割の拂戻しをなし、三割を経営費にあてると云ふ組織。
帝國ノ犬達-犬競馬
「競犬場また出願」より 昭和8年

 

六月十二日

山中英司さんと遇つたので、血統説明書の印刷を急ぐ旨依頼して置いた。登録申込もある事故早く欲しいものである。

日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年

 

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