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5月20日の犬たち

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帝國ノ犬達-コリー展

昭和9年5月20日、三越屋上にて開催されたコリー展の様子

 

 

五月廿日

十一年度會費未納の方達に催促の葉書を出す。先日出した七名以外の七名である。未だ是他にもある。鈴木重吉氏から先日の會費請求に就て問合せあり直に返辞を出す。

日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年

 

帝國ノ犬達-名古屋支部

帝國軍用犬協會名古屋支部軍用犬展覧會

昭和12年5月20日開催

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和14年5月20日診察 12月8日死亡

 

オーイ、〃と二聲三聲叫びました。聞えたのか聞えないのか?

すると又犬はパツと身を下方へ飛び退きました。

その姿を追つて、黒い一條の鈍い光がさつと立ちました。と、犬は又猛然と吠えつゝ上方に向つて、進み姿勢に立直りました。

私は直ぐ一二間の近くまで進みました。小径に掩ひかぶさる、雑草の中に鈍い黒い光りが……。

私は蛇だ!と直感しました。

どうでせう!?一尺か一尺五寸にも足りない道巾に、狭しとばかり、とぐろを巻いた蛇です。

一番太い所と見らるゝのが、大人の足首大の廻りはあります。頭は割合に小さく見えて、まづマツチ函位です。

別段恐怖心を起すのでは無いでしたが、それでも私は、首筋から背筋へかけて、ヂゞツと悪寒のはしるのを覚えました。

マツチ函位の鎌首を、平つたくS字型に半ば浮き上がらせたその下で、黒鉛の様な鈍光の、のろい渦がゆるく流れる様に動いて居ます。

恐らく、犬は通路の進退に窮して居ります。一寸の油断があるならば、その平つたくS字型にかゞめられた、毒舌の炎を吐く、鎌首が紅い口を、かつと開いて飛んで來ます。

たとへその毛さきへ噛みつかれても、もうそれは犬の為の致命的な動機を作る事になります。

噛みつくならば、その瞬間に蛇の黒い長いうねりは、犬の胴體を捲くでせう。捲かれたら最後、犬の牙がよしや蛇の胴體へとげの様に刺る程噛傷を與へましても、時計の秒針が十秒と刻まぬ間に三重五重に、螺旋の様に捲きつかれて、一と締めで悲鳴を上げねばならないでせう?

さうして三分と経たない内に、犬のからだの過半は、蛇の鱗の波が、ヂリ〃と黒い油の流れる様に、捲き塞がるでせう……。

犬はまだ一年か一年餘りの若い犬です。それでも、山稼ぎする者の飼犬だけに、勇猛心は尋常でなく、さかんに吠えかゝります。

私は見兼ねて、傍に近寄り、犬にあたらない様に、手にした岩塊を蛇の胴體の渦巻きへ投げました。バタン!と音がしたゞけで、その犬に向けられて居る、S字型の鎌首は微動だにもいたしませぬ。

とぐろの渦は、緩急を整へてヂリ〃と流れる様に動いて居ます。私の癇癪玉が左手のハンマーを右手に持ち換へますと、直ぐ蛇のS字型の鎌首へ見舞ひました。

しまつた!

二尺の柄では甚だ短いです。狙ひははづれて土を打ちました。

その餘勢で、白い軍手の中から柄がすべり抜けて、蛇の左側の草の中へ……。草の中の岩角でカチンと音をたてました。

チン……と鳴つた響きに、犬が瞬間、氣をやつた刹那に、何とどうです?蛇の鎌首は、桃色の口をかつと開いて三尺位伸びました。

あはや!やられたか?と思ひましたが、蛇の鎌首が飛んでも、私の眼に見える速度ですから犬の方が早いです。つツと、後へ身を退きました。

そしてます〃怒りを發して、吠えます。けれども犬の吠える威嚇が、蛇に取つては毫も脅威ではありませぬ。

又そのとぐろ巻は、ゆる〃と緩急を渦巻いて、黒いにぶい光りのある鱗が、油の流れる様に、その鎌首とは無関係に運動を起して居ります。

もうこの勝敗は、明らかに犬が牽制せられ、犬の逸走を許さぬ様です。もし犬が首をめぐらして尾を向けるならば、直ぐ鎌首は執拗にいぢ悪く飛び附くでせうし、よしや此犬の牙が狼のそれの様に鋭くても、恐らく噛み着くべき隙がありませぬ。

私は意を決し、叢から白い柄の先が見えるハンマーを拾ふべく進みまして、更に驚きました。大人の足首ほどの太さの部分は、まだそれが蛇の前半身である事に氣付きました。

かゞみて中腰になりハンマーを草の中から拾ひ取るべく、うつむいた私の足元には、私の十文の運動靴(ゴムとゴロス製の編み上げ)の幅員と同じ位いの巾の楕圓形の蛇の中腹部の、黒い鱗の光りが、油の流れる様に……、ぢり〃つと、なめらかな運動をして居りました。

どきりツと胸に應へましたが、かんじんの唯一の武器であるハンマーは拾いました。大きな石でもあればですが、一寸見當りません。

再び金槌を振りかざし、蛇の鎌首を目がけて打ちつけました。

今度は狙ひ違わず蛇の鎌首を打ちすゑました。蛇の首が一寸調子を悪くした時、犬はその小太い蛇の胴體へ噛みつくなり、ブル〃ツと、二三回振りましたが、その為に蛇の體は波を打つて犬を捲かうと致しました。犬は直ぐに身を引き退いて、又吠えました。

それからは既に蛇の一部を見ましたが、全體は、草の中へ隠れて見えずなりました。犬を呼びまするが、中々犬はこちらの命をきゝませぬ。相變らず吠えてやみませぬ。

人夫が迎へに來ましたが、恐れをなして近寄りませぬ。私も何時までも犬の味方をする事が出來ませぬので、人夫と共に坂道を攀ぢて又山深く犬の鳴聲を後ろに登りました。

 

午後四時頃、山からの帰り道で、小學生らしい子供達五六人が、山の奥へ参るのと出會ひました。今時分子供が山へと思ひましたが、尋ねる氣もせずでした。

犬の話を口々に申して居りましたが、もしや、犬の帰らぬのを探しに行くのではあるまいかと……、おかしな感じがしました。

其後の蛇と犬との争ひの結果は、私等は見極める時間がありませんでした。

朝雄生「犬と蛇との争闘」より 昭和14年5月20日

 


去る五月二十日、光女峰山付近で遭難した東京市第一徴兵保険會社員後藤幸一郎君の死體捜査の為め、同會社山岳部の委嘱を受けて(帝国軍用犬協会)養成所から荒木文相の愛犬シトー號を、又青山氏のカロー號、岡田氏の戰線から帰還した球磨號、大村氏のアヤツクス號の四頭が参加。
日光署員警防団在郷軍人等百餘名が出動、大捜査を行つた結果、軍用犬の出動した翌二十八日午前十一時半頃、稲川釜ケ澤堰堤女峰稲荷川コース三丈の崖下の河原に横たはる後藤君を日光署員が發見した。
死體捜査に軍用犬を使つた例はすくなくないが、選抜された斯かる多數の犬が参加したのは初めてゞ、成功はしなかつたものゝ(行衛不明の一週間後に出動)将來の軍用犬の平時に於ける使役方面に示唆を与へた事は否まれない
昭和14年


 

 


5月21日の犬たち

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五月二十一日午前十一時半頃、特別巡邏班及び橋側附近警戒の爲め來援した犬舎勤務者が監視犬三頭と共に朝鮮混合列車飛乗犯則者防止の爲め、發車と共に鐡道線路に沿つて監視して居た所、一名の犯則者もないので輸出監視所に引揚げやうとしたその時、線路下の林中に挙動不審の一人が関員の隙をうかがつて逃走しやうとするのを發見した寺内傭人は直ちに之に近づき、ブリツヂ號を以て「逃げると犬を放すぞ!」と威嚇したにも拘らず強行逃走したので、遂にブリツヂ號に襲撃を命じた。
ブリツヂ號は約五米にて此者に追付き、脚部を咬み轉倒せしめ容易に逮捕した。この密輸者の身邊捜査をした結果、現大洋二百圓を發見押収した。 

滿洲税関監視犬月報 昭和10年

ソニー(愛玩犬)

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生年月日 不明

犬種 ラフコリー

性別 不明

地域 東京府

飼主 ミルドレッド・トイスラー氏

 

聖路加病院のトイスラー院長が亡くなった年、娘のミルドレッド・トイスラー氏は日本コリー倶楽部と日本コリー犬協会へ参加。

そのときの愛犬がソニーです。

 

昭和9年撮影

ミルドレッド・トイスラー

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聖路加国際病院の初代院長、ルドルフ・ボリング・トイスラー医師のお嬢さん。日本コリー倶楽部および日本コリー犬協会メンバーとしても活動しました。

 

 

日本コリー倶楽部の皆様

ミスター金子の御紹介で今度皆様のクラブの會員にして戴きました事を非常に喜んで居ります。實は何か私に日本コリーに就ての感想を書く様にとの御命令でしたが、私はコリーの好きな事は日本の皆様の誰にも負けないつもりで今日迄數回米國よりコリー犬を取り寄せた程で御座いますが、未だそうした論文を書く様な資格は御座いません。

只だ此の夏ミスター金子の愛犬がフイラリヤで亡られたと云ふ事を承はりましたので、一寸フイラリヤに就て感じました事を御挨拶に代へて述べさせて頂きます。

米國ではフイラリヤの事をWorms of Heartと申して居りますが、日本は特に此の病氣が多い様で、殊に老犬に著しい様で御座います。私はこの病氣の爲めに折角輸入したばかりの可愛いゝエアデールを亡くした事が御座います。それ以來私は例へ輸入犬でも毎春必ずフイラリヤの豫防注射をする事に致しました。其の御蔭か私のコリーは未だ一度も病氣した事が御座いません。

ミルドレツド・トイスラー「御挨拶に代へて」より 金子忠雄譯 昭和9年

 

平岩米吉と板垣四郎教授がフヰラリア研究會を発足させる前の記録であり、「フイラリヤの豫防注射」が何であったのかは不明です。

この年にトイスラー院長が亡くなり、昭和13年に遺族はイギリスへ移住。愛犬は日本へ残していったそうです。

 

聖路加病院のミルドレツド・トイスラー嬢は今回御家族の都合で英國へ行くことになり、一月三十一日郵船白山丸で横濱を解纜、一路印度洋を経由して倫敦に旅立たれました。御母堂も同行せられました。

トイスラー嬢の愛犬ブリユー・メイルボイリング牡七歳は日本で最優良とも言はるべき種犬ですが、同嬢は我がコリー犬協會のために其の愛犬を日本に留置いて優秀犬の蕃殖に盡させたいと決心せられました。そして日頃親しくして居られる會員金子忠男氏に愛犬を託せられました。

渠ボイリングは今、金子氏の犬舎にあつて悠々自適、新主人に仕へて居ります。コリー犬の爲めに渠の健康を祈つて止みません。

 

中央がトイスラーさんと愛犬ブリュー。

昭和12年

5月22日の犬たち

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廿二日上野家庭博覧會内にて開かれたる犬の品評会に麻布新広尾の大日本猟犬商會より六頭を出陳したるが金牌を授與されたるは一等金牌一個、二等銀牌二個、三等銅牌三個にして金牌を受けたるはアイリツシユレツドセター種猟犬にして最も好評を博せりと。
尚同会扱ひの外相加藤高氏の愛犬スパニール等も出陳し二等銀牌を得たりと。
報知新聞 大正4年5月

 

 

 

 

東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年5月22日診察 

 

 

第四回使役犬候補試験
時日 五月二十二日 午後一時
場所 深川濱公園地内
別紙詳報の如く、委員長筑波侯爵閣下御臨席のもとに行はれ、受験犬四頭中左記の犬一頭合格す。
ボニー(島川氏) 牡 越田勇(東京)

 

分會主催にて五月二十二日より五日間、咸興劇場に於て「戰線に吠ゆ」を晝夜間に亘り上映した。
初めは四日間の豫定であつたが、各日共大入満員のため遂に一日を延期するの状況にて、観衆を全く魅了したるが如き観を呈し、豫期以上の成果を収めた。
帝国軍用犬協會朝鮮支部 昭和12年

 

帝國ノ犬達-慰問金
浅草雷門で東京軍用犬研究會が出征軍犬慰問金を集めた。昭和13年 5月22日

 

拝復 
向夏の候益々御清適の御事と奉存候。先般は御鄭重なる御慰問に接し感佩仕候。厚く御禮申上候。
尚會員の皆々様に宜敷く御執成被下度願上候。
降而小生も御蔭様にて幸ひ健在、其後〇地より〇〇地へと転戰、今後共大いに御期待に添ふ様努力致す可き覚悟に御座候。
南支戰線も正に南端に擴大、椰子の葉茂る木陰を求めて兵隊も軍犬も憩ふ有様は真に清勝豊かなもの有と思考仕候。
戦塵の寸暇、熱帯名物椰子の果汁に軍犬と共に舌鼓をうつて笑ひ興ずる事なども有之候。
遠く南の戰線より皆様の御健康を祝し、重ねて御慰問の御禮を申上候。
敬具。

五月二十二日
南支派遣〇〇部隊 
〇〇部隊〇〇隊 中島秀雄

昭和14年

 

5月23日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年5月23日診察 

 

五月二十三日午後八時、密偵よりの情報に接し、犬舎長以下七名山本訓練士はハリー號を同伴、午後十一時闇夜に紛れて出動。三班に分れ(監視犬は第二班に配属)各々廣瀬農園北側煉瓦焼場付近要所に潜伏待機せり。
午前零時半頃に至り密輸團らしき満人一名四辺を偵察しつつ付属地内に影を没し、後約半時間を経て右密偵を先頭に四、五名棍棒を携へたる密輸ギヤング金蘭店方面に向け先行しつゝあるを發見し、一同頓に緊張、稍々ありてハリー號突如金蘭店方面に向け聳耳示唆の態度を示したるに依り、各員相警め見張を厳にし居たるに、間もなく跫音騒然として密輸團の先頭、鐡道線路を横切りて顕れ、引続き三百餘名蜿蜒長蛇の如く両班の前方に進み來れるが、ハリー號は克く命令に服従し、隠忍自重満を持して動かず。
斯くして彼等が第三班の張込箇所より約三百米の地点に迫れる頃を計つて合圖の呼子を吹鳴らし第三班先づ其の面前に躍出で、之が進路を扼し、一斉検挙に着手したるに不意を打たれる彼等は後方に潮の退くが如くに退却し始めたり。
第二班亦此の機を逸せず進出し、ハリー號を放ちて猛襲を加へ、極力犯則者の制圧逮捕に努めたるも、密輸團の窮鼠反噬の勢物凄く、護衛ギヤング數十名嵐の如く棍棒を打ち揮ひて殺到し、一般搬負者之を掩護して線路に拠り雨霰の如く投石し、其の退路を断ちたる第一斑時を移さず線路を傳ひて之が側背を衝き、茲に彼我入り乱れて奮闘を續くること三十餘分、監視犬は獅子奮迅の勢を以て縦横無尽に活躍し、各監視員も茲を先途と死力を尽して悪戰苦闘せしが、寡勢の悲しさ、危険刻々身辺に迫るの状態に陥りたるを以て遂に已むなく拳銃を以て威嚇し、漸く彼等を追ひ散らし、尚もハリー號をして逃ぐるを逐はしめて偸税品の捕獲に努め、人絹布壱百四拾壱疋、毛織布ニ疋を押収するを得たり。

満州国税関監視犬月報 昭和11年

 

五月廿三日

安達辰亥氏より転居の通知あり。

日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年

 

親譲りの背嚢をつけさせて街に出た女房へ、青物屋の亭主、犬と女房を等分に見る。

「この犬は軍用犬といふのですか」と訊く。

女房「はい、さうです」と云へば、「旦那も戰地へ行つたんですか」と云ふ。

「いいえ」と云ひかけて、不圖氣付いたのは主人の松葉杖だつたが、主人は歩行が困難ですとも説ひかねて淀んでゐると、「犬にも召集がきたんですか」と訝かしさうな顔なので、こんどはこちらが「どうしてなんですの」と訊きかへせば、「でも、赤十字の印をつけてるぢやありませんか」。

これには女房二の句がつげなかつたといふ。背嚢に着けた赤十字の印は、まさか戯れごととも云へず「これから海軍病院へ、お見舞に行くところですの」

即座の機転、でも恥かしかつたわ、と女房の實話(昭和十四年五月二十三日夜の稿)。

久保善吉『横須賀だより』より

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和14年5月23日診察

 


梅雨足も、時流に乗つて莫迦にスピードアツプされたせいか、五月中旬頃からすつかり梅雨の気圧配置になつてしまつた。
詩もなく、歌もなく、このところ犬のとりこになつて、愛犬の足並みや呼吸に、一抹の感情を植ゑつけようとばかりしてゐるのだが、かう雨ばかりでは青い丹澤の山屏風も何もあつたものではない。
雨は田植によく、春蚕に悪いといふが、犬にだつて決して好ましいとは云へない。
殊にテンパーは此の時期、多くの愛犬家の苦しい思ひ出もこの梅雨期に多からう。
と云つた處で気流はどうしやうもなく、戦線必ずしも晴天ばかりではないのを考へれば、梅雨期の雨も意義あつて中々乙な仕草と申すべきか。
だが仔犬にはやつぱり太陽の顔をオガマシてやり度い。
僕も五月十二日生れのドーベルマンの一胎仔を抱へて、雲行きを憎んでゐる。
仔犬を抱へて途方にくれる―といふ程でもないが、どつしりとかぶさつた樹の茂みにかゝる雨、犬すかんぼさへよれ〃になつて伸びてゐる。
かうしてゐれば、極く自然に生きてゐられるし、梅雨の湿つぽい韻律さへ気にもとまらず、好きでもない街の生活さへ何となく恋しく懐しくなるものだ。
こう云ふと街には縁もゆかりもなく幽人めくが、その辺のことは想像にまかせるとして、ヨコハマへは月に数回、それも花月園の中にある訓練所の見廻りにだ が、花月園の少女歌劇をのぞく、木馬に乗る、これが竹内、五月女、小笠原、永田氏らが何時までも童心を失はない―と云ふと皆様お年寄の様にきこえるが―原 動力とも云ふべきか。
余り余計なことを云ふと相當手厳しい仇をうたれるのでこの位で切り上げておくが、これだけ前おきを書いたのは、僕は田舎で中々決めた日に街に出かけられないと云ふ言訳のためだが、五月二十三日は神奈川支部の総會の日。
所は青木橋停留場際、帝國在郷軍人會横濱北部分會事務所と云ふ長い肩書のあるところ。
総會といふと新顔の出席があつて愉しいものだが、この日も委任状出席者四十名。
午後六時開會の豫定の處、國際港をひかへてゐるだけに話題が豊富で開會されたのが八時。
結局座談會が先きになつた形式だが、内輪の會合、そんなことはどうでもいゝ。
先づ會計報告、それから役員の改選が行はれ、左の如き顔ぶれが決定した。

〇常任理事
竹内卯吉、五月女晴海、小笠原秀龍、永田頼晃、相澤晃
〇幹事
飯田四郎、本間勝郎、岸正、櫻林哲三、吉松康親、上田甲子郎、藤井健太郎、山本俊夫、石川雅一、岡島寿一郎
〇企画委員
川田勇、稲葉武義、原山伸雄、立野元成、島田源吉、深澤周作、和田弘
〇訓練所委員
小笠原秀龍、五月女晴海、竹内卯吉、上田甲子郎、永田頼晃、岸正、相澤晃

以上の如くで、支部創立三周年を迎へて一大飛躍が期待され、陣容を整へて進軍することになつた。
支部報創刊號も先日健全に生れ出たし、一度スタートを切れば、後はヨコハマ港を出帆する汽船のやうに、必ず安全且正確に目的地へ着するのが神奈川支部の誇り。
あいざわあきら「YOKOHAMA時報」より 昭和15年 5月23日

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和17年5月23日診察 

5月24日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年5月24日診察 

 

帝國ノ犬達-朝鮮第四回展 

帝国軍用犬協会朝鮮支部第四回展覧会 

昭和11年5月24日、京城にて開催。

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和14年5月24日診察 

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和17年5月24日診察 

5月25日の犬たち

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帝國ノ犬達-台湾軍用犬
大正3年5月25日、山岳地帯を踏破し、台湾バトラン蕃地奇莱主山南峰に到着した歩兵第1連隊とワンコ。

 

 

生年月日 昭和10年5月25日三河生まれ

犬種 三河犬?

性別 牡

地域 山口縣

作出者 佐々木シゲヨ氏

飼主 下野猛夫氏

父犬 太郎號

母犬 サイ號

 

五月廿五日夕、荻窪署で「犬の訓練の夕」を催した。大成功を納めた同署では、更に小田切巡査部長が中心になり、第二回同訓練の夕を催すことになつた。
同署のこの企はいたく警察界の興味を惹き、中野署及び戸塚署もこの種の企てに乗氣になり、近く訓練の夕を開く氣運が濃厚になつて來た。
「警察署と訓練の夕」より 昭和11年

 

高山犬
くり
生年月日 昭和10年5月25日 台湾高雄州屏東郡ライブアン社生れ
犬種 台湾生蕃犬 
性別 牝
地域 臺湾
飼主 台湾山砲兵聯隊

「狩猟は何れの族を問はず皆好む所にして、従つて古より犬を飼育し、狩猟に使用せり。然れども、近時交通頻繁となるに従ひ、他犬種と交雑し、其の純粋なるものは交通不便なる奥地蕃社に之を求めらるゝのみなり。之が習性は飼育者に對し絶對服従し、山野の跋渉、特に斜坂の昇降に巧なることなり。毛色は黒又は褐の単毛色を主とするも、下腹部及四肢下端に白色を混ずるものあり。
此習性を軍事的に利用する目的を以て高雄州屏東郡ライブアン社(台東庁との境界)より牝牡各二頭の献納を受け、昭和十一年十二月三日、台湾山砲兵聯隊に繋畜す。
彼等蕃人は殆ど薯を常食とするを以て、犬の飼料は更に栄養價値少なきものなり。されば着隊當時は生後五箇月(五月二十五日より六月三日までの出生)発育不十分にして、従つて栄養不良なり。
依て普通飼料に慣熟せしむる迄には約二ヶ月を要せり。
此間環境の変化により疾病、特に犬温熱(※ジステンパー)に罹るもの多きを以て、之が豫防接種を行ふと共に、數回に亘り駆蟲を行ふ。
本年一月より正規の訓練を實施し、目下概ね基礎訓練を了し、咥搬は不十分なるも、生地約一粁の傳令能力を有し、概ね軍用に適するものの如し。然れども、人に對する親和容易ならざるを以て、兵の交代により其の訓練を或程度に破壊する處あり。
又犬體小にして體力十分ならず。
其の平均體高四三.○○糎、平均體重一三.三六瓩なるも、着隊當時は削痩骨立し、平均體高三一.○五糎、平均體重四.ニ五瓩なり。
一般外貌寫眞の如し。
台湾軍獣医部 昭和11年

 

 

五月廿五日

先日の會費請求に對し末次氏より未だ入會して居ないといふ通知が來た。集金は出さぬ事に手配する。

前の集金二人分受取り、新に廿非に前触れした六氏(一人床次氏を中止)宛集金郵便を委託する。清水孝助氏より結婚したといふ通知を貰ふ。目出度し々々。

日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年

 

警視廳では赤羽の(帝国軍用犬)協會養成所内に警察犬々舎を置き、吉岡防犯係長指揮の許に朝倉、片岡両巡査に依つて日夜猛烈な訓練を行つてゐるが、早くも晴々しい初手柄を樹て関係者一同を喜ばした。
去る五月二十五日の昼さがり、朝倉、片岡両氏が訓練の爲めエアデール二頭を連れて兵器廠裏の林(稲付町)にさしかゝつた時、突然暮雲がウーツとうなり乍ら警戒し始めた。
「さては何かあるな」と朝倉氏は牽紐を離した所、林の中へ一目散。
たちまち起る吠聲に、両巡査が馳せつけて見ると、果して怪しい男がマゴ〃してゐるので、早速赤羽署に連行取調べの結果、この男は住所不定某(二一才)で、昼は林の中で寝て、夜になると附近の工場や建築場に忍び込んで材料を持ち出してゐたもので、約十件の窃盗を自白した。シエパードのオーデインがぽつくり死んだのは丁度一週間前のこと、すつかり氣をくされせてゐたのだが、このお手柄に防犯課の警察犬係一同すつかり喜んで了つた。
殊勲者暮雲に代つて朝倉巡査は語る。
「このエアデールは非常に人なつつこい犬で、シエパードの様に襲撃訓練がうまく入るか心配でしたが、不審者に對して猛烈に向つて行く所を見て案ずる事はないと思ひました。四月に始めて來た時は何も訓練が出來てゐなかつたのですが、今では基本的のものは一通り出來、捜索も相當上達しました。實に性能のよい奴です。今度の小さい手柄に依つても犬がその特性を發揮するならば人間の出來ない仕事でも立派にやれると云ふ事が判ると思ひます。
まだ訓練犬は一頭しかありませんので大した事は出來ませんが、今度入つたドーベルも非常に性能がよいので、これ等が皆訓練出來たら相當の成績を挙げる事が出來ませう」と。
昭和12年

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和16年5月25日診察 

 

忘れもしない三年前の或る夏の夜のこと。戦前親しくして居た犬友のO君によく似た人が、ゆかたがけでひよつこり僕の店の前を通るではないか!
「おい、O君じやないか」
僕は思わず声をかけてしまつたが、次の瞬間、しまつたと思つた。もし人違いだつたら?
「……え、やー、佐京君じやないか?!」
少しうろたえた様なO君は昔に変らぬ巨躯をゆすぶりながら、狭い店の中へずかずかと押込んで来て、ボツテリした大きな両手を差し延べた。僕も思わず両手でその手をつかんだ。
「君こんなところに居たのか。ずいぶん久し振りだつたな。……してカローは?」といひながら、小さな上りかまちへどつかりと腰を下した。
O君は豪放な質だ。その後の安否も聴かずにいきなり第一声はカロー(※昭和20年5月25日の空襲で死亡した愛犬)のことだ。實際にシエパード・マンでなければこの氣持は分らない。
「うん……してアダロは?」
アダロと云うのは、戦前迄関東一円でも相當鳴らしたO君の飼つていた名種牡で、僕のカローも實はその仔だつたのだ。
「あれは戦争に行つたきりさ……」
流石なO君もしばらく黙つてしまつた。
佐京謙『市民の夢』より 昭和24年


5月26日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年5月26日診察 

 

 

福岡市記念動植物園主催第二回珍犬展覧會
昭和十年五月廿六、七、八の三日、福岡市畜犬商組合其他の後援で開催、幸に此地方には珍らしいボクサ種、ボルゾイ種、チヤウチヤウ種、ホイペツト種、セントバーナード種など四十餘種、百數十種が遠くは阪神地方より出犬されて非常の賑ひであつた。

 

鬼左多八と忠犬の哀話に絡む秋田縣北秋田郡十二ヶ所町葛原(大舘町より四里)の老犬神社は、昨年春祭典の夜焼失。
全國にも稀らしい三百年の由緒を懐しむ地方から惜しまれて居たが、同部落や犬に親しむ人々の篤志が寄つて再建計畫が進み、五月二十六日落成式を兼ね再建最初の祭典が行はれた。
上は社殿で上段右寄の白犬が即ち御神體であり、其前の澤山の犬は部落の人達が願掛の供へたものが積り積つたものである。
ドツグニユース「秋田縣の老犬神社」より 昭和12年

 

例會
時日 五月二十六日 午後六時
場所 於京橋八重洲園
中元理事長より今回の出征犬に對する報告及第十三回展覧會の概評がありたる後、各級審査員より詳細なる審査報告を行ひ、會を閉ぢたのは午後十時を少し過ぐる頃であつた。
出席者左の如し。
中元、下山、高橋(助)、吉田、野田、森田(兄妹)、岩田、松名、坂上、名子、三木、栗田、関口、横井、太田、辻川、池野、大堀、許斐、柳川、以上二〇氏。

 

帝國ノ犬達-出羽一號

生年月日 昭和14年5月26日(出羽二号の兄)
犬種 秋田犬
性別 牡
地域 大阪市
飼主 長谷川與三郎氏 

 

帝國ノ犬達-出羽二號 

生年月日 昭和14年5月26日(出羽一号の弟)
犬種 秋田犬
性別 牡
地域 長野縣千曲市
飼主 たまや旅館

5月27日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年5月27日診察 

 

五月二十七日午後二時四十分、中濱に於いてヘルム號を同伴監視中の時、雇員は挙動不審の一人を呼び止め取調べやうとした所、矢庭に逃走したので直ちにヘルム號に襲撃を命じ之を追跡せしめ遂に之を逮捕した。
身邊捜査の結果、腹部に現大洋二百五十圓を隠匿してゐるのを發見、之を押収した。 

滿洲税関監視犬月報 昭和10年

 
全國土佐犬愛好家及び闘技犬フアン待望の第三回全国名犬闘技犬大會、肉弾相打つ熱と意気、力と技の物凄い闘争は、陽春五月拾七日(第三日曜日)、東都大角力と豪華を競うて、東洋一を誇る牡丹の名所、須賀川馬せり場(牡丹園にて開催豫定なりしも天候、其他の都合より変更)に開催せられた。
今度の出場犬には東京よりは御大・阪龍號及び新進・桂號(佐原氏)を除いたベストメンバー、白山二號を主将に十五頭。千葉二頭、横須賀一頭、合計十八頭。
これを迎ふる地元福島の精鋭會州一號を主将に十三頭。
秋田より雷電號(野本氏)を主将に四頭。
山形より雷電號(清野氏)を筆頭に三頭。
新潟二頭、其他仙臺及び埼玉より、遥々馳せ参じた全國粒よりの猛者揃ひであるから、闘技犬に関心を持つ總ての人々の視聴を蒐めた事は云ふ迄もない。
土佐犬普及會記者「福島愛犬協會代表名犬闘技大會」より 昭和11年
 
過日、使役犬の訓練で有名な細谷氏から斯道に對する大きな抱負と、並々ならぬ御努力の程を承り、且つ當地方一般人の使役犬に對する蒙を啓する意味で、本校々庭に於てその訓練實況を公開したい旨申出がありました。丁度五月二十七日の海軍記念日を控へて、當日に相應しい催を考慮中でありましたので、私は氏の御申出を感謝を以てお受けしたのでありました。
幸ひ、當日は市内各校の兒童並びに一般参観者が場を埋めるばかりの盛況で、私と致しましても誠に欣快に堪えないところでありました。
當日の興奮、感激はその後、編輯致しました兒童文によつても窺はれますが、兒童にとつて日常最も親しみ易い「犬」が、主人の持物を嗅ぎ分けたり、敵からあくまで防衛したり、主人に危害を加へんとする者には猛然、突撃して行く、その叡智、勇気、戦闘力に兒童等は心からの拍手を送つたのであります。
近代戰に於ては、あらゆる装備が機械化され、科學兵器による科学戰が従前の肉弾戰にとつて變られんとする傾向にあると聞いてゐるのに、これは亦、知能の低劣な「犬」を戰闘に使用するといふ事は時代錯誤ではないのか、と甚だしく漠然とではあるが、私はそんな考へを持つた事があります。
然し本日、訓練された使役犬の活躍を目のあたり見せて頂いて、彼等のすばらしい性能を認めないわけには行きませんでした。
鋭敏な嗅覚と持續性の大きい走力とを兼備へる彼等が、場合によつては人間以上の働きを示す事が可能である事をはつきりと知る事が出來ました。一般参観者も使役犬の優れた性能に對して今更乍ら驚嘆の眼を瞠つたやうであります。
然し乍らこの驚嘆も「犬」の藝に對する好奇心を満足させたり、闘争のスリルを満喫したに止るのであれば、この催しも無意味であります。
希くは、かうして訓練された使役犬が平時に於ては防禦犬、捜索犬として活動し、或は又、一朝事ある際は皇軍の勇士達に劣らないやうな働きを戰場に於て示し得るものである事を、當日の参観者が認識し、以て皇國の防衛の爲に自らを殉ずる気概を養ふ一助ともならばと念ずるわけであります。
最後に、細谷氏始め、飼育家各位のお骨折に對して、深甚の謝意をお送りすると共に、皇國の爲斯界の發展に益々貢献されんことを心から祈る次第であります 。

東光小學校長 安井省三『訓練の實演を観て』より 昭和12年

 

去る五月二十七日の海軍記念日に軍用犬訓練のやうすを實演して見せて下さる筈だつたのが、當日は雨だつたので出來なかつた。そして六月十一日にいよいよ行つた。

説明して下さる言葉ははつきり解らなかつたが、實演を見て大變に面白かつた。

犬を坐らせて主人が前方に進んだり、或は前方に進み、又歸つて犬のそばを通つて後方へ行く。犬は等しく後をふり歸つては主人を見てゐるが、主人について行かうとはしない。

我が家でも三月程親類の犬を預つて飼つたことがある。犬の世話は主に私がした。初の五日程といふものは馴れないので、食物もろくろくとらないで、夜になると哀れな聲で鳴きたてたが、一週間、十日と、私に大そうなついて、私が表のしきゐをまたぎでもすると、鎖の切れる程引張つて私の方へ來ようとする。犬といふものは、どこの犬でも大抵主人のそばばかりついて歩くものだ。それも言語も通じない犬に教へることがよくも出來たものだと感心した。

同じやうな五つのハンカチ、しかも主人のどんなものか一度も見たこともないのに、その五つの中から主人のものを見つけだす。こんなことは私達の到底出來たことではない。これを敏感な鼻によつてそれを見つけ出すのには大いに感じ入つた。

次に飛越をやつた。これは黒い犬が一番上手だつた。

犬の前へ主人の帽子を置いて、外から他の人が之をとりに行く。すると犬は吠えついて絶對に帽子を其の人に渡さない。物品の見張りを命じられれば、絶對にそのつとめを果すさうである。

すべり臺の後方の段を上がるのは實に感心した。前脚と後脚を巧に使つて丁度人間のやうに上つた。

最後に一人の人が面をつけ、ものすごいいでたちで出て來て犬と反對側の戸板の後へ立つた。手に玩具の二連發銃が持たれてゐる。犬の主人が各々犬をつれて、一人づつ出發して戸板に近づく。戸板の後の人は頃を見はからつて二連發銃をぶつぱなす。犬はすかさずその人にとびつく。腕にかみついたらふり廻はされてもはなさない。これでないと戰場に出ても役に立たぬと思つた。

いつか、第二電氣館で、「戰線に吠えろ(※正式タイトルは「戰線に吠ゆ」)」といふ映畫を見た。あの時も軍用犬の訓練の様子を見ることが出來た。そして軍用犬が戰場で非常に重大な役目をすることが解つた。

初から終まで感心ずくめで終つて、その後でみんながならんでからやかましくいつてゐるので、校長先生が「そんなこつちやあ犬にまけるぞ」といはれた時、私はそうだ犬に負けないやうに立派な功績を世に殘さうと思つた。

日根野高等小学校二年 加藤末三くん 昭和12年

 

四月の末、お前は一寸した風邪氣味で、A先生に診て貰つて居たが、其の内快方に向つて入所する六日の夕方は、モウ殆んどよく、欲を云へば豫後を今少し僕の犬舎で静養させたなれば、と云ふ程度であつたが、入所しても直ぐ無理な生活が始るのでもなく、どうせ自宅に居るよりお前の爲めによくはないが入所を延ばす必要はないと思つて居た。
一週間過ぎても、他の犬の様な食欲がない、と訓練所から云つて來たが、それは多分集團生活に不馴れのためであつて、其の内に食ふに違ひないが、念の爲めに排便の検査をして貰つたら虫は居なかつた。原因不明の微熱が出て續き始めたので、テンパーではあるまいか、と云ふ事になつたのは入所後二週間目であつた。
それからと云ふものは、手當はしても馬肉と卵黄より他食べぬが元氣は左程悪くもなかつた。
其後日日に経過が悪くて、廿六日の夕方持参した馬肉はモウ食べない。ドウダ頑張れマーチと云つて咽喉元を掻いてやると、お前は力なく顔をあげて僕の方を眺めた。其時僕は掌で唾液を與へると力強く舐めて僅かに尾を振つたので、可愛さうになつてハウスを命ずれば、お前は素直にハウスへ這つて行つた。
蚊をさけるための白布を入口におろして葡萄糖の注射を頼んで別れたあの別れが、お前と永久の別れにならうとは夢にも思はなかつた。
廿七日には訪ねられなかつたが、夕方七時すぎお前の噂をし乍ら食事を終らうとする時、お前が午後七時二十五分息を引き取つた旨を報せて来た。報せの電話が切れて、僕は大粒の涙が、止め度もなく流れ落ちるのを、どうする事も出來なかつたし、お前のママは聲をあげて泣いて居た。
掌中の玉珠を失つた悲しみ、それがもの云はぬお前であるだけ余計に可愛さうでならない。其の内に金さんの傍らの道路を、颯爽と走つて帰るお前の姿が眼に浮んで仕方がない。歸つて來い、是非歸つて來てほしい、マーチ―浦和よ。
遂に僕の理想の一角は崩れ落ちた。
おそくとも来年の夏には、僕の俳號六花を六花園として登録した犬舎號を冠した仔犬が、お前の腹の中から出て來るのを待望して居たのに、今は一場の夢に化して終つて、廿八日の早朝お前を處置すべく出て行く僕の脚は重かつた。
今後お前の兄弟は各地の會で活躍する事であらう。其の時僕の心は暗くなるであらうと思ふと、急に胸が一杯になる。せめてお前の片見をと思つて静かに眠つて居るお前の美しい被毛と、丈夫さうな爪を剪つて、而してお前のママが心盡しの花束で顔をおほつてやつて、多摩の家畜墓地への埋葬の手續きをした。
此の被毛と爪と、而して入所前まで使つて居た古い首輪、それに帰つたら使ふつもりで作つた帝犬ナンバー入りの首輪とを、一纏めにし僕の感想を綴つた一文を添へて、お前の爲め記念として永久に保存したい。

勝氣なお前は、僕が斯様なセンチな事を云ふのが不可解であらう。然しお前に行かれた僕の今の心境は、これが真實の姿である。お前の死を無駄にせずに今日からまた、御前の入所後來た後輩マリー號によつて、崩れ落ちた理想の一角を再建すべく精進しよう。
呼んでもモウお前は歸らぬ。静かに眠れ。而してお前の楽しかつたハウス六花園を護つて呉れ。
僕の心は寂しい。歸らぬものとは思ひ乍らも、せめて今一度僕の夢路の中にでも歸つて來い。
我が最愛のマーチ―浦和よ。
和田慶介『マーチ―浦和の追憶』より 昭和13年

 

神戸上陸後、東京へ到着したドイツ盲導犬たち。昭和14年5月27日

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和15年5月27日診察 

5月28日の犬たち

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ポインター

ムーアベール

生年月日 1925年5月28日 イギリス生まれ
犬種 イングリッシュポインター 登録番号464 GG. 毛色 レモン及白
性別 牝
地域 東京市
飼主 伏見宮博義王

 

東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年5月28日診察 

 

昭憲皇太后の御誕生日である五月廿八日を期して、日本人道会では動物愛護會、東京聯合少年團、帝國児童教育會の後援で「動物愛護週間」を開催することゝなつた。
まづ二十八日二十九日の土曜、日曜には五千の少年團員と東洋家政女学校の女生徒等が宮城前に集合し、それより市内各所に散つて、可憐さうな馬や牛が苦しんでゐたら後押しをしてやつたり、水をくんでやつたりし、また交番や各学校などには、明治大帝の御製「水をさへみづから飼ひて武夫は手練れの駒をいつくしむらむ」を書いたポスターをはり、各大公使の自動車にも三角の愛護週間の旗をたてゝもらふことになつた。
更に二十九日の日曜は多摩川園で動物愛護宣傳の活動写真をやり、六月一日から七日まで三越六階で動物童畫、おもちや展覧會を開き、三十一日にはお茶の水博物館で映畫會、六月五日より毎日曜多摩川園で帝劇女優の動物愛護劇が催されるはずである。 

大正14年

 

生年月日 昭和5年年5月28日生れ
犬種 シェパード
性別 牡
地域 兵庫縣西宮市
飼主 一楽荘犬舎

 

五月二十八日から行はれた動物愛護週間は、人道會の熱心な活動と各新聞社の熱心な支持のもとに華々しく開かれた。
動物愛護家の茶話會、紙芝居、映畫公開、愛護の話及び童謡のラジオ放送、家畜の無料相談及び診察、S犬を先頭に立てた少年團の愛護行進等があつたが、自動車による犬の交通禍防止のため、二十自動車團體に對して注意を依頼し、警視廳に陳情する等、目新しい運動もあつた。基金街頭募集の例年のスター、タマは健康すぐれず、今年は姿を見せなかつたのは寂しかつた。
「動物愛護週間」より 昭和11年

 

帝國ノ犬達-カナイン
日本カナイン倶楽部観賞會
五月廿八日鎌倉海濱ホテルに開催。
午前十時から總會を開き、一同晝食を共にし、午後二時から會員愛犬観賞會に移つた。
出犬数は十八頭の少數であつたが、何れも粒よりの優秀犬のみ、それに松林の中で環境が如何にものび〃として観賞氣分満點であつた。
三時からホテルの芝生でリングシヨー、終つて記念撮影を行ひ散會したが、會員筑波侯夫妻、葛城伯等も終始熱心に観賞され、來賓には華頂侯夫妻もお見えになつた。
昭和11年

 

其後康徳八年五月二十五日には、安東に賽犬會の企畫ありとの報に、協會新京支部から内海主事、渡邊幹事の両氏來安、加藤、吉村、青木氏と會合計畫に對する意見を聴取し、折柄來安の治安部高田獣務部長と共に堀内支部長立會、安東賽馬場に於て、傳令、速歩の試走を行つた。
此の結果から見た長所短所に就て討議。
五月二十六日は安東ホテルに於て高田氏を中心に堀内支部長、星野、加藤、青木、草葉、齋藤、吉村の各氏参集、賽犬實行に對する基本協議を行ひ午後三時から更らに、志賀税関長、柴尾憲兵隊長を交へてゴルフ場に於て實地に傳令競走の見学を行つたのである。

滿洲軍用犬協會沿革史より

 

軍用犬忠魂碑

日露戰役に於ける遼陽會戰護國の英霊一万四千八百七十一柱を祀る遼陽忠霊塔は昭和十四年五月二十八日移転竣工除幕式を挙行されたが、同時に遼陽市民及び全満愛犬家の總意により帝國生命線確保に斃れた軍犬八百の霊を祀る遼陽軍犬忠魂碑が此の聖域内に建設せられた。

 

〇〇日、北支の第一線警備の為無事安着の部隊本部付岩淵少佐より左の如き皇軍耳目となりて活躍する犬に就て千葉支部宛通信あり。
原文の儘御披露致し、共々に同少佐の御厚情を感謝し、併せて益々武運長久をお祈りいたしたいと存じます。
謹啓
出発の際は色々御世話様に相成候。
漸く任地到着、第一線の勤務に従事致居り候。
時々えび天ぷらの味を思ひ出し居り候。
貴兄達の養育せし郷土軍犬は歩哨と共に毎夜警備の重任に服務致し居り、真に皇軍耳目となり活躍致し居り候。
小生のこの状態を見るにつけ貴兄等の真の軍犬報國の實を挙げ居る事を御報告申上候。
何卒支部長さん始め會員諸君にも御通知致し皆様にて御喜び下され度候。
目下當部隊付六頭のみに候へ共、何れも郷土軍犬に御座候。
何れ又軍犬功績の事情御通知可申上候。
敬具。

五月二十八日 〇〇部隊本部
歩兵少佐 岩淵剛

昭和14年

5月29日の犬たち

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帝國ノ犬達-5月29日
大正九年五月二十九日、山形縣新庄猟話會開催、春季射撃大會の記念撮影

 

東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年5月29日診察 

 

犬 

生年月日 昭和7年5月29日生れ
犬種 ワイヤーヘアードテリア
性別 牝
地域 東京市
飼主 武田隆作氏

 

帝國ノ犬達-マサル

生年月日 昭和9年5月29日生れ
犬種 日本テリア
性別 牡
地域 大阪市
飼主 西村芳松氏

 

 

陸軍の厳重な検査に見事合格した軍用犬左の六頭は、五月廿九日午後四時五十一分津驛發勇躍〇〇に向つて出発した。
リス號 津 青山徳二郎
ヨシ號 津 岩田利吉
ピーロー號 四日市 伊藤幹正
ラツケル號 山田 岩田又一郎
エルザ號 多気 北川乾一
ハーチ號(ドーベルマン) 津 岩橋治郎
大阪毎日 昭和15年

 

無言の犬にも晴れの召集令が下つた。五月廿九日午後十時四十分、大阪驛發、大阪北區國分寺町松村孝氏方ゴード―號ほか卅八匹の猛ましい軍用犬が赤襷に、武運長久と墨書した日の丸を胴に巻き、〇〇部隊獣醫部、帝國軍用犬協會大阪支部の人々や、多年吾子のやうに飼馴らした主人達に見送られながら北支〇〇戰線へ雄々しくも壮途についた。
應召の軍用犬はエアデール・テリア、シエパード、ドーベルマンの三種で、何れも満一歳から四歳迄の身長、胴二尺以上の検査に合格した頼もしくも力強さうな猛者ばかり。戰線に行けば傳令に、歩哨に、鐡道警備に或は爆弾を背負つて敵陣に飛込む爆弾三勇士に匹敵する立派な手柄を樹てるのだ。犬よ健やかに立派に御奉公をと歓送の人々は列車が西に姿を没するまで感慨深げに見守つてゐた。
大阪時事 昭和15年

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和16年5月29日診察 

5月30日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年5月30日診察 

 

今田荘一陸軍大佐「それでは、之をあなたは何時頃手に御入れになりまして、それから訓練の手ほどきと云ふ辺迄、どう云ふ風に御苦心になつたものか其辺を承りたいと思ひます」
南謙吉氏「私の手に入つたのが丁度生後七十日でございました。昨年の五月三十日です。之に就て面白いことがあるのです。さあ仔犬の約束は出来たけれども、どうしてこちらに持つて来るか。どうも長い間仔犬を箱に入れて汽車の中で十六時間もやつたんぢやたまらないだらうと云ふので、特急で一つ送つて貰ひたいと話した所が、特急では動物の輸送は出来ないと拒絶せられて、それぢや飛行機で一つやつたらどうだらうと云ふので、飛行機の方へ交渉したが、飛行機もやかましいことを言つて居つたのですが、さあ特別に許可を得て、特別の施設をして送つて貰ふことになつたのです。最初は生後六十日で送つて来る話であつたのが、さて飛行場迄自動車で積んで行つた所が飛行機が天候の関係で出ない。
仔犬を往復自動車で運んだ為め犬が弱つて困つちやつたと云ふやうなことがあつて、又十日間恢復を待つて七十日の時に、天候晴朗の日を選んで送つて貰つたんです」
今田「特別の飛行機の施設とは……」
南「それは別に問題ないのです。箱ですな。箱の大きさとかさうして便とか何かに對する施設、外に迷惑にならぬやうな方法、勿論目方にも制限がありますが、大體そんなやうな所でありました。
是も航空會社として或は便宜に唯例外として扱つて呉れたのだか、其辺の所は私は能く分りませぬ。
兎に角さうして送つて呉れたのです。恐らく前の會報にも申上げて置きましたが、それは飛行機で軍用犬を送つたのが初めてゞはないかと思ふのですがね」
澤田退蔵氏「其前に此處から交配の為に送つたと云ふ事があります」
南「飛行機で……」
澤田「さうです」
南「それぢや、私の認識不足かも知れない。去年の何月頃です」
澤田「一昨年でしたか……・。それは會員ぢやありませぬが……」
今田「飛行機旅行の犬に對する影響と云ひますか、後の結果はどんなでしたか」
南「来ましたらひよろ〃です。動物を飛行機に乗つけると腰が抜けると云ふ話があり、ますが、あれは腰が抜けるのではなく酔ふのですな。我々が丁度船に酔つちやつて、陸に上つた時波に揺られて居るやうな氣持ちがしますが、あれですね。殊に仔犬なんかはすつかり弱つちやつて、唾液を出して、もうふら〃です」
今田「それに對する後の手當はどう云ふ風に……」
南「是の手當は私は直ぐ出して芝の上に置いて、さうして洗面器に冷い水を持つて来て口の中をすつかり洗つてやつた。それから顔から足を冷い水ですつかり拭いてやつたのです。さうして一時間程を芝の上で安静に休ませました。それから自動車に積んで自分の家に持つて来ました」
今田「食物はどう云ふ風に……」
南「食物は家に行つて二時間経つてから牛乳を一合やりましたら、それは飲みました。それから後はもう二三日牛乳でした」
今田「其ひよろ〃したやうなことをして、當り前の状態になるやうになつたのは着きましてから何時頃でした」
南「四五日の間でしたね」
今田「さうすると結論としますと、飛行機の輸送よりも汽車の方が多少時間が掛つても其方が宜くはないかと、斯う思はれますが」
南「さうです。私は飛行機で小犬を送ることは宜くない。矢張り汽車の方が宜いと思ひますね」
「昭和九年度訓練優勝犬を語る」より 昭和9年

 

犬

生年月日 昭和10年5月30日 イギリス生れ
犬種 エアデールテリア
性別 牝
地域 東京市
飼主 渡邊正一郎氏

 

南河内郡道明寺村佐古田長女はつね(一九)は、同村農業津賀長男住雄(二五)と婚約が纏まり、そのお禮まゐり傍傍五月三十日正午頃藤井寺の観音様へ参詣の途中、同村道明神社付近で下駄の鼻緒が切れたので、しやがんで直してゐると、突如裏手から小牛ほどもある猛犬がノソリと近寄りざま同女の上口唇をキツスならぬ咬みついてその儘逃げ去つてしまつた。
同女は「アレツ」と生きた心地もなく付近の醫院へ駆込み手當を受けた結果、幸ひ傷は浅かつたが、一方キツスを盗んだ犬の主人村山乙平=仮名=は自分のせいぢやないと取合はないので、佐古田家では「軽傷にもせよ大事な娘に傷をつけて挨拶せぬのは怪しからん。飼主の責任だ」とて遂に村山を相手取り治療費、薬剤、狂犬病豫防注射代、ヨードフオルム代等四十一圓六十五銭也の損害賠償請求訴訟を堺區裁判所へ提起した。
大阪夕刊 昭和12年

 

陸軍省第一回軍犬購買會に合格の栄冠を獲得した本縣軍犬八頭は、輸送指揮官陸軍歩兵学校派遣赤賀曹長に引率され、五月三十日午前九時半の鹿驛發列車で勇躍征途に着いた。
先づ午前六時より森厳の気漲る照國廟頭に於て武運長久祈願祭を執行、伊地知獣醫少将、軍犬代表高木氏、前田陸軍省嘱託など相次いで玉串奉奠をなして後、信用購買組合前に至り支部に別れを告げ、バンドを先頭に前田中尉指導指揮官となり、電車通りを傳ふて鹿児島新聞社と本社を訪問して鹿児島驛に進めば、驛前は各種團體、軍官民多數の見送人で埋め、これに答へるが如く二聲三聲吠える可憐な軍犬の心情には語らぬ戰士だけに涙を唆るものがあつた。
鹿児島朝日 昭和15年

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和16年5月30日診察 

 

 

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和17年5月30日診察 

 

犬 

生年月日 昭和18年5月30日生れ
犬種 シェパード
性別 牡
地域 愛知県名古屋市

5月31日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年5月31日診察 

 

 

日本人道會主催の動物愛護週間四日目五月三十一日は、東京市内浅草松屋前、上野竹ノ台、朝日新聞本社前、渋谷道玄坂下、新宿駅前の五箇所を移動する無料家畜病院が行はれた。
この日快晴に早朝準備を整へ、渡邊、酒井の両獣医、長崎、金子の二氏は第一次の場所、浅草へと向つた。が、豫定の十一時前に既に十数頭の犬猫が集まると云つた盛況、記者はこの移動病院を朝日社前に訪づれた。
銀座マンの華かに往来する数寄屋橋畔、オレンヂ色に映えた建物の前で、白布に日本人道會、無料家畜移動病院と染めた一台の自動車がオープンの儘停つてゐる。それを取巻いて人垣を作つてゐる。
車上を見ると銀色に眩しい診療台や薬品箱、鞄が用意され、今や柴犬の診察最中であつた。
初夏とはいへ、西日を直接浴びながら、蹲つて犬の膝に薬を塗布してゐるのが酒井獣医、色白な顔も赤く汗ばんで大童の態である。
犬は皮膚病で、薬をぢかに手につけて患部にこすり付けるので、手の甲まで泥状のどろ〃がくつついてゐる。
次は小僧さんにつれられた大柄な雑種だ。
これも皮膚病、茶褐色の短毛で斑點が一面にあつて大部ひどいらしい。
治療がすんだ時は大きな缶の練り薬も大方空になつた。
次は第二の銀座とも云ふべき新宿の駅前。
夕陽に明るい駅前の廣場、右手の端は引け時の會社員、買物帰りの奥様、令嬢等密集して大変な人だかりだ。
乱暴な中学生が自動車の乗口から延び上つてみてゐるのを真似て覗くと、人垣の真中に白い診察着がちらついて、酒井獣師が犬を抱いてゐたが、犬も余りの人だかりに、おど〃して體をあちこちに動かして少しも落ちつかない。
治療もやり憎くさうである。
記者の傍には前掛にくるんで猫の診察を待つてゐる奥さんがゐたが、やがて犬が済むと獣師はこちらへやつて来た。
それに従つて群衆が取りかこむので、奥さんは気まり悪さうな様子で猫を差出し、猫が近頃元気のない旨をつげた。
前肢を持上げると足の蹠が爪の間にかけて真赤に滲んでゐる。
この外側で元気のないのは淋巴腺が腫れたせいと診断された。
コヂームを塗られて診察が終ると、奥さんはホツトした思ひで再び猫を前掛けに入れて帰つて行つた。
「街の移動家畜病院を見る」より 昭和8年

 

帝國ノ犬達-アルバーン

生年月日 昭和11年5月31日 オーストリア生まれ
犬種 スコッチテリア
性別 牡
地域 兵庫縣
飼主 沼田文助氏 

 

第二滿洲建國の大業、日滿両國善隣不可分の関係を永遠に堅固ならしめんとする、東亜史上歴史的の盛儀「治外法権撤廃条約調印」の慶びの日も目捷に迫りたる昭和十一年五月卅一日。若葉、青葉の風薫るこゝ大滿洲帝國の首都、新京四公園に滿洲軍用犬協會主催、全滿軍用犬共進會は開かる。
昭和八年大連を振出しに奉天、安東と回を重ねる事四度、今日ぞ晴れの大會に全滿各地より馳せ参ずる優秀犬九十餘頭のベンチに満洲國張國務総理、韓特別市長を始め日満用心各位の晴れやかな笑顔。
午前九時半、入場式をスタートに開會は宣せられ、成犬は田名部一等獣醫、伊藤正綱歩兵中佐、貴志重光歩兵少佐。未成犬は松村千代喜歩兵少佐、関憲次の各審査員に依つて審査開始さる。訓練實演部は協會本部特派の協會飼育犬と訓練士の模範訓練。
滿洲國税関監視犬の特殊訓練に、森内章介氏の大日本犬の學校安東分校々清田徳一氏がエアデールの訓練等々に軍犬熱を煽り立てた。午后四時半審査終了、審査委員長田崎獣醫部長の講評に引續き、會長高柳閣下より入賞犬へトロフヰー賞状の授與あり。
出場犬全部に参加賞が與へられ大會幕を閉ぢた。

 

五月三十一日午前九時三十分藤田監視員はハリー號を帯同し崗子店付近巡察中、挙動不審なる満人五名を発見したるを以て、是を取調べんとするや矢庭に遁走を企てたるに依り、同號に追撃を命じたる處、難なく一名を転倒抑留し他の四名亦其の追撃に敵し兼ね、氷糖壱百五拾斤を放棄して遁走せり。
6.五月十一日午後七時三十分より第三班横山監視員(マルス號同伴)外一名は田家付属地北口に張込み中、
夜半に至り密偵に発見せられたるが如く感知したるを以て一旦事務所に帰還し、頃を計つて再び出動、右北口に潜伏し居たるに、午前二時四十分頃西北方より踏切を横断して来る密偵らしき者三名を認め注視せるに、彼等は懐中電燈を点滅しつつ付属地に入り、後約十分を経て百餘名の密輸團、棍棒を所持せる十五、六名を先頭に大挙付属地に侵入せむとするを發見せるに依り、同監視員は猶予なくその前面に踊り出て大聲叱呼して之を阻み検挙に着手したるも、監視員小勢なりと見極めたる彼等は直に線路に拠り棍棒石塊等を以て反撃の挙に出でんの氣配を示したるを以て、同監視員は機先を制してマルス號を放ち襲撃を命ずると共に自身亦石塊雨霰の中を物ともせず挺身密輸團の隊伍深く突入し、人犬一致縦横無尽に猛襲を重ぬること約二十分、遂に克く彼等をして畏怖後退の餘儀なきに立到らしめ、遺棄競る人絹布十九疋押収するを得たり。 

満州国税関監視犬月報 昭和11年

 

五月三十一日

名古屋へ行つたので須田博氏を御尋ねし、コリー犬協會の事につきいろ〃御話し御多忙中を一寸犬談をして辞す。氏は名古屋で一頭、東京で一頭コリーを飼育して居らるゝ由。

日本コリー協會事務所 枝庵(三上知活)「事務所の日記」より 昭和12年

 

 

S犬がその本來の價値を發揮して今時事變に各地で目覚ましい活躍をしてゐます事は、皆様も既に御承知の事ですが、陸軍では五月九日、海軍では來る卅一日、當協會を通じてシエパード犬を買ひ上げる事となりました。陸軍から依頼を受けました時は時日が切迫してゐましたので、全國の會員から希望を募る事が出來ませんでしたが、三十一日の海軍の買上げには別項の様な檄を飛ばして全國會員の愛國心に訴へました。二、三日しか時日が無かつたにも不拘、九日の陸軍の買上の時は即座に十五頭の優秀應募犬を集めて、“流石JSVだ”と購買官を感嘆せしめました。

殊に我が會長閣下(※筑波藤麿のこと)は率先して御愛犬を献納され、一般にも範を御示し下さいました事は感激に堪へない所であります。

献納犬

ハラス號 會長閣下

ボノ號 鈴木金氏

買上犬

ノルベルト號 浅田慶一郎氏

アレツクス號 森本清氏

チエリー號 齋藤武雄氏

シトー號 三木啓次氏

アンザ號 小川なか氏

上記各犬の活躍と武運の長久を祈つて止みません。

『當協會へ陸海軍から買上犬斡旋依頼』より 昭和13年

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和14年5月31日診察 

 

犬
MN兄(※中島基熊氏のこと)
此の度吾等の部隊長が代り、部隊名が変りましたから御知らせ申上げます。いよいよもう一ケ月で出征満三年になります。此の間、久し振りに青島へ出ました所街頭にて白系の子供と仔犬が居りましたのと、種類は雑種のヒドイ物でしたがチンチンをやつて居る〇〇とが目につきましたので撮つて来ました。
こんなのも内地では珍しくないかも知れませんが、私達にはめづらしいので御覧を願ふ事にしたしました。
部隊でもだんだん補充を受けましてS犬が二十五頭になり、それぞれ勤務せしめて居ります。また手柄話になる様なパツトした事件はありませんが、目につかない仕事に毎日毎日を送つて居るほんどうの無言の戰士です。

五月三十一日
大井守雄

昭和15年

 

聖戦に参加する軍用犬門司部隊のケン公(日之出町関氏)、那智號(大里原町市丸氏)、ジヤングル號(老松町公設市場三井氏)、バンクツク號(大里二十町森田氏)、チエク號(錦町井上氏)の五頭(一頭八幡市不参加)は五月卅一日午前九時から門司市日之出町永真館前に日の丸胴着、千人針に武装を整へて集合。
國防婦人會その他の人々に盛大な壮行愛撫をうけ、軍用犬協會員および婦人會などの見送りで、楽隊の行進曲や祝旗も賑々しく甲宗八幡宮に武運長久を祈願した後、驛で各地の軍犬部隊と落ち合ひ、天ツ晴れ「忠犬」軍颯爽と勇躍大陸へ進発した。
大阪毎日 昭和15年

 

宇部から軍犬に購買された左の諸氏の愛犬の前途を祝福するため、五月三十一日正午から中津瀬神社において祈願祭を執行、午後三時四十五分、省線宇部驛發上り列車で勇躍壮途についた。
ビアノ號 錦橋通 吉田栄熊
マリー號 西上町 内藤清
アレツクス號 岬通 鈴兼金一
ビシド號 岬通 松常角一
メリー號 栄町 島田太一
フジ號 岬通 松本義雄
ポラー號 西中通 小林清
イルミン號 琴芝 磯部源一

関門日日 昭和15年

 

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和17年5月31日診察 

2020年6月度月報

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飲み会や表敬訪問や会議や朝礼が軒並み中止となって、コロナ第二波におびえつつもノンビリした日々を送っております。
テレワークから復帰した経営陣に「我々が不在の間、何か問題はあったか?」と問われたものの、特段のトラブルもなかったので「概ね好評でしたから、このままテレワークを常態化しましょう」と答えておきました。
取締役会のお墨付きも得られたので、業務の改善計画を一挙に推進しようと思案中。ロクでもない状況下、せめてゲーム感覚でアレコレ試行してみる方が精神衛生上も宜しかろうと思います。

そんなある日、知人から久し振りに連絡があって、もしもしと電話口に出たとたん「お前、大丈夫だったのか?」とエライ剣幕で訊ねられました。
「大丈夫って、何が?」
「いくらLINE回しても全然返事がないじゃん。みんな、お前がコロナに感染して隔離中かもしれないって心配してるぞ」
「いや、俺は仕事以外でSNSやってないよ」
「あれー?そうだっけ」

そうだっけ?じゃねえよ。まず足元を確認して見ろと。そういうオッチョコチョイが事故を生むのだと。

「ホントだ、お前参加してねえわ。返事がなくて当たり前か」
「そうだね」
「今まで誰に連絡してたんだろ?」
「さあ?」
「だったら、俺がホールインワンしたニュースも知らないんだな」
「へー、おめでとうございます」
「ウソだけどな」
「……」
「LINE始めないの?」
「絶対やらない。何でプライベートの時間まで他人と繋が―」「もういいわかった。お前の言い訳は長いんだよ。これから暑くなるけど頑張れな」

「そっちもねー」

しかしこれ以上何をどう頑張ればよいのでしょうか。

ようやく国から届いた謎マスクを眺めつつ、指導者が無能無責任ゆえシモジモが奮闘努力せざるを得ないという我が国のお家芸にウンザリする今日この頃。

 


6月1日の犬たち

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大は八十銭で野犬を買ひ上ぐ

講演會と宣傳とで六月一日の狂犬豫防宣傳
石川縣では来る六月一日から一週間狂犬豫防宣傳週間を施行して野犬狂犬の撲滅を圖ることになり、期間中は犬は繋留すること、注射を施行すること、棄犬をしないことなどの意味を現したポスターを貼出したり、各小學校では講演會を開くなど大いに宣傳に努める一方、警官隊は畜犬票無き飼犬には注意を與へると共に、飼主なき野犬はこれを大八十銭、小四十銭、乳狗廿銭の見當で約千匹を買ひ上げ、一部を大學病院その他の實験動物に供給し、他は撲滅する豫定となつてゐるが、これに先だち本月十九日には施行區域の警察官、技術員等が縣庁會集にして實施に関する協議を開く筈である。
なほ例年の如く鳳至郡、珠洲郡、羽咋郡のうち富来警察署所轄區は施行區域から除かれてゐる。
大正14年

 

軍馬、軍犬、軍鳩表彰内規(昭和八年五月)
陸軍省恩賞課
軍馬軍犬軍鳩表彰内規左の通定む
第一條
軍馬軍犬軍鳩にして左の各號の一に該當のものあるときは陸軍大臣之を表彰することあるべし
一 戰時事變並に廉ある演習等の際、特に功績を顕はしたるもの
二 平時長年月服役し、成績特に顕著にして表彰の價値ありと認めたるもの
第二條
前條第一號に該當するものあるときは其の都度、其の他は毎年十二月、聯隊長、獨立隊長又は之と同等以上の権ある部隊長より功績調書様式第一二通を添へ順序を経て所管長官に上申すべし
第三條
所管長官は第二條の上申に基き銓衝の上功績調書に列次名簿様式第二二通を添へ第一条第一號に該當するものは部隊長より提出の都度其の他は翌年一月末日迄に陸軍大臣に上申するものとす
第四條
陸軍大臣表彰の資格ありと認むるものは當該部隊に賞状を當該動物に功章を授與す
第五條
賞状及功章は適宜の方法を以て之を授與し且つ全隊に布告するものとす
第六條
功章の佩用は所属部隊長適宜之を定むるものとす
第七條
本内規に依り表彰せれれたるものは其の旨名簿に記入するものとす
第八條
功章は受賞動物が保管転換の場合は之に附属せしめ、除役、死亡若は殺處分を目的として處分する場合は部隊長適宜之を處分するものとす
第九條
賞状及功章の様式竝に佩用方は様式第三、第四の如し

附則
本内規は昭和八年六月一日より實施す

 

今春の展覧會は各地とも盛大に終了しましたが、小生の犬は會期中下痢をして其の上脊上の毛を傷めてゐたので會には實際見放されたやうな事が続いたので、其の後は毎日四五里の運動を怠らずやうてゐました。
當日も丁度運動から帰つてきて間のない時に二人の使ひが見え、失踪者があるので是非御加勢が願ひ度いと云つてきましたが、自分の商売上不意に出発しては患者に迷惑をかけるし、日時も三日目であるから如何せんかと思案しましたが、強いての頼みではあり、人助けにもなるし、若し成功すればシエパードの普及の上に役立つと思ひましたので、急いで食事を終ると直ぐさま自動車で出かけました。
場所は大分市より西に二里、やゝ別府市に近い高崎山で、幾十年の切材もせぬ禁猟區であるから人の行けない急峻な箇所多く、所謂魔窟と名のつく所のある場所です。
六月一日朝、山の中間にある小さな山道を宮参りの途中不明となつたもので、村民百三十名が付近一帯に渡り大捜査陣をしく事二日に及ぶも何らの手掛りはない。其の上麦の農繁期で猫の手も借り度い程の忙しい時ですから村民の困り方は一通りでありません。
車から降りて見た私は、其の鬱蒼として廣範囲であることに先づ一驚して了ひました。
約二ヶ月以前に耶馬渓の山中に逃げ込んだ脱走犯追跡の節は、山続きで廣くはあつたがこんなに深くはなかつた。其の折は捜査の結果、福岡県の大山に逃げ込んだ事に確信を得る事が出来て縣警察より感謝され、金一封を頂戴したのだが、今度はこの断崖の多い急峻な廣い山に一體何處から探しかゝつてよいか迷つて了ひ、先づ村民が探したと云ふ一帯に亘り約一時間ばかり犬を入れたが見當らないので、其の近くにある昔から言はれてゐる魔窟を探してみることに相談一決。
此處は普通の者は全然入つたこともなく、この五年間に三人の行方不明者があり、全部この中に入つて死亡してゐるので消防手も容易に入られぬ大岩石と蔦と樹木雑草が繁つてゐる上に鼻を突く急峻な所ばかりです。
實際想像もされない難所ばかりでありましたが、幸ひな事にそんな所だから未だ人跡で荒してゐないことが天の助けでしたから、先づ入口一帯を何か手蔓でもあればと探す内、岩と岩の間に帽子を見付け出し、これに依つてこの中に入り込んだ事が略々想像されましたので、愈々犬が足跡を辿る事が出来、初め岩石の上から間から藪の中から犬の後についてゆくこと五十米も登らぬ内に全身汗だくの有様で、犬も疲れてくるので休んでは又捜せを命じます。
途中よく気を付けますと木の折れた所とか、身の丈以上もある雑草の中など押分けたやうな跡がありますし、益々気分のしまる思ひでした。
昔から大蛇等の居る所として時折り見かけることを聞いてをりますので、岩と岩との上などは葛で暗いトンネルになつてゐる所など氣持のわるいこと、又三百米も進む内、犬が何か小さな黒いものを嗅んでゐるので行つてみると本人の結んでゐた帯でしたので、早速この中にゐるものと思はれましたから夢中で犬のあとを追ひました。
岩の間を抜けること約百米位にして大絶壁の手前十米位の所に出ますと、六畳敷位の石の上に出まして、廻りは行場のない雑草木であるし、犬も一向に進まうとしませんので、ひよつと下を見ると岩の上の苔に落ちて滑つたあとが目につきましたので、後から来た消防手に岩下の藪の中に転落したあとがあるから中を見てくれと申しますと、転んだなりで弱つてゐるが無事な當人を発見する事が出来て一同思はず萬歳を叫んで了ひました。
中腹迄連れて降りるのに又一苦労しましたが、沢山の人に依つて二日以上の捜査にもかゝはらず見つからないものを、そして家族達は死んでゐると思つてゐたので未だ無事な本人を見た時、實に嬉しそうで自分は全身汗まみれとなつた労苦等一変にけし飛んで了ひました。
集つてきた人達もさすが軍用犬だ、えらいものだと誉めたゝへて呉れました。
展覧會に優勝した時などより断然うれしかつたです。
小さな谷川に犬を連れてゆきますと、水中にざんぶりと浸つて了ひ乍ら水を呑んでゐます。
見上げれば断崖が高く切立つてゐます。
其の下には大穴があり、人の近寄れない所で、十米近くも行つたかと思ふと身に粟立つ思ひでした。
老人で然かも素足のまま何の用事があつたのか、一寸本人もわからないらしい。
何れにしても一同感謝の中に送られ乍ら引揚げましたが、四新聞紙上にも載せられ犬と共に面目をほどこしました。

東義夫「アジア號の手柄」より 昭和13年

 

軍部並に本部の御援助と清沢支部長始め、幹事諸氏の熱心なる諒解運動の結果、六月一日より、會員所有の登録犬に限り一日ニ八六瓦(一ヶ月以上、二ヶ月未満ノ仔犬ハ半量)宛、通帳制米穀割宛配給を受ける事になつた。
支部では会員の便利を計る爲、第一、第二のニ地區に分け事務所を設置、飼犬の調査、登録飼育犬証明書の發行に忙殺され、嬉しい悲鳴を上げてゐる。
福岡県の軍用犬飼糧配給 昭和16年

6月2日の犬たち

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東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正13年6月2日診察


今聞いた話では、近在の水騒ぎで死ぬ程の大喧嘩があつたとか。この間は一把一銭の野菜の事で大喧嘩があつた。こんな世の中に私は住んでゐるのである。
商賣の材料も甚だ窮屈になつて來た。純綿も純毛も手に入らない。然し犬は今でも變らぬ純毛である。
今丁度毛變りの犬達の毛を取つてやつて、私は毛を捨てるのが惜しい様な氣がする。
何んとかならぬかと思ふ爲か、犬さえ純毛を着てゐるのにと思ふ精だらう。
當地方は明日が端午の節句だ
昭和14年6月2日 「身邊雑記」より 山邊久
 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和14年6月2日診察 

海水浴ワンコ(愛玩犬)

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生年月日 不明

犬種 不明

性別 不明

地域 不明

飼主 画像の人たち

 

 

帝國ノ犬達-海

6月3日の犬たち

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帝國ノ犬達-捨て犬
大連から届いた葉書より、捨て犬の歌。 昭和5年6月3日の消印。
戦前の犬本に挟まっていました。
 
麻布獣醫勤務犬研究會
六月三日夜、新宿中村屋に第一回総會を開催、移つて「講演と映畫の夕」を催し、警視廳荒木獣医、斎藤弘(日本犬保存会理事)、板垣四郎(帝大農学部教授)諸氏の講演の後、獨逸シエパード犬他数種の映畫を観賞。
出席者五十餘氏。
昭和11年
 
六月三日午後六時頃、山上、藤田両監視員はハリー號を同伴し、瓦房店崗子店付近巡察中、約二百米前方に當り腹部の異様に膨張せる滿人二名を望見せるを以 て、其の行動を注視し居たるに、右滿人両名、彼我の距離約百米に及び、漸く税関監視員を認め、急遽踵を轉じ逃走を企てたるに依り、両監視員は直に之を追跡 し、崗子店部落に遁入せんとする一名は藤田監視員に依りて難なく之を逮捕し、一方山上監視員亦付属地に向ひて逸走せんとする自餘の一名を追跡すること約三千米にして遂に之を取り押へ、両名身邊を捜査したる結果、人絹布五疋並角砂糖二十八個を發見し是を押収せり。
満州国税関監視犬月報 昭和11年

日本コリー倶楽部(二代目)第一回コリー観賞會 昭和9年5月20日

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我が国において、ラフコリーの愛好団体は早期から設立されました。特に「日本コリークラブ」の名称は戦前から現代に至るまで三つの別団体が受け継いでおります。

今回御紹介するのは二代目の日本コリー倶楽部(昭和9年設立)。西日本の雄であった鹿兒島コリー倶楽部を統合するなど日本コリー界の最大勢力へ成長した同団体も、続く戦時体制下で活動が停滞。そのまま消滅してしまいました。

 

 

本年夏コリー倶楽部が日本で初めてのコリー観賞會を東京で催された。観賞會の目的はコリーと云ふ犬。コリーが如何に美格的で高尚の犬であるかを大衆に向つて披露したいのと犬を飼ふならコリーの様な特美性の所有犬を飼はせたいと云ふ宣傳も含まれてゐたかの様に思はれた。出品者の多數は愛犬家の集合で、他の合評會などで屢々見る様な賣名的廣告的の醜くしい仕口は毛程もなく、只々各自其愛犬をクラブの請めにより仕方なしに出品した様に見受けたものが多かつた。

それは犬の附添として主人、夫人、お嬢さん、令息等の多かつたことにより想像された。お嬢さん等が暑がつてフー〃してゐる愛犬に遠方から水を持つて來て與へるやら、木蔭に引つ張つて行くやら、愛犬家として誠に美しい有様でありました。

 

帝國ノ犬達-コリー展

 

此観賞會により、コリー飼養家の受けた刺戟そのものは果して何であつたかは、各自に異なつてゐませうが、要するに其第一印象として自分の犬が他より見劣りのした時の心持でせう。此次ぎにはより以上優良物を出したいといふ心持ちで、その心持ちがつまり會の目的である。

第一回、而かも急に無理をして集めた關係が原因してゐたのかも知れないが、優良犬の少なかつた事は遺憾であつた。もし此中から英國或は米國邊りのコリー観賞會へ出品して恥かしくないものが有るかどうかは疑問である。

其點に至つては其前日に催されたセフアド観賞會の方がずつと優物が多かつた様に聞いた。コリー観賞會に出品したものゝ系統は英、米、豪三ヶ國であつた。英可なり、米可なり、豪又可なり。其希望する所は即ち優良なるコリーである。此會が永く續くと共に何れの國系に属するものが最期の勝利者となるか、今から刮目して待つのである。観賞會開會中、外國婦人(※ミルドレッド・トイスラー氏のことでしょう)が偉大なる赤いコリーを場内に引き込むだ時、出品者一同の心持はどんなであつたかをも回想されたい。

米山全公『コリー観賞會を回顧して』より

 

 

五月二十日

日本コリー倶楽部が創立されて僅かの日數しか経たぬのにもう第一回の展覧會を開くといふ。然かも三越の屋上でとは少しスピードが最初からあり過ぎると思はれた。

コリーといふ字を見た丈けでは何が何だか解らないのみならず、コリー犬と言つてもよく呑み込めない人が未だ〃多數あるその中に於てだ。

勿論大衆的不衍の程度では到底シエパードの比ではない筈だ。前日は當倶楽部主催の下に他犬種の名犬展覧會があつたそうだ。三越の屋上といふいゝコンデイシヨンの爲めばかりでなく、頗る付きの盛大な歓迎を受けたとのことだ。

で、きのふの鼻イキに刺戟されてこのコリー展覧會を参観に來た。日本コリー倶楽部ナンテ名はさも立派だが、展覧會といつても高かゞ數頭だらう。こんな氣持ちで來たゝめか、全く驚異の目を瞠らざるを得なかつた。屋上の會場は午前九時といふに目まぐるしいばかりの人波で、それを一周して犬舎四棟が整然と並んでゐる。テント張りは事務所にあてられ、由井理事長は破顔一杯口髭まで躍らしてさも愉快そうに悦に入つてゐる。他の役員もそれ〃擔當のマークを付けて諸般の準備や應待に忙殺されてゐる。大コリー倶楽部發展の瑞祥は正にこの状況が物語つてゐる。

久邇宮殿下(帝国軍用犬協会名誉総裁)御貸下の特別犬舎を始め、筑波侯爵家(日本シェパード犬協会会長)の二頭、大浦會長以下殆んど會員の持ち犬で五十頭餘といふ素晴しさである。犬舎からあの長い優美な顔を出して押寄せる観衆をチヤームしてゐる様は犬といふ観を離れて只見守る人々をして陶然たらしめてゐる。これに案外キヤン〃吠えない處に氣品を添へるものがあらう。

毛色はトライカラーが一番多くセーブルホワイトが十數頭、岩崎輝彌氏出陳のブルーメールに到つては會員中にも珍らしい目を向けたことであらう。一寸感じたことは、初めてコリー種犬を知る人の爲めに大體の概念丈けでも掲げてその性能を知らしめてはどうかと思つた。

午後になると一段と雑沓の度を深め、殆んど犬をよく見得ず歸つた人も尠くなかつた。

 

帝國ノ犬達-コリー行進

 

かくて午後三時半三越の屋上を降りた大群はこれより大行列を作つて市内行進を始めるといふ触れ込みだ。

役員は「日本コリー倶楽部」と大書した肩章を掛けて堂々出發する。

宮家の名犬を第一先頭に五十餘頭はそれ〃飼ひ主に付き添はれて四ツ足揃へて堂々と帝都街頭へとデモは始まる。

交通巡査が特に警護の任に當られたことなど有難いことである。物見高い都人士を尻目にかけてコリー君は揚々たるものだ。日曜の都大路はさすがに好奇をそゝられたに違ひない。

午後五時日比谷公園廣場に到着して記念撮影をして散會したが、その際由井理事長の挨拶に兼ねた講演はクラブ将來の抱負を物語る有意義なものだつた。

飯田精一『コリー展覧會を観る』より

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