生年月日 不明
犬種 シェパード
性別 不明
地域 東京府
飼主 中島基熊氏
拝啓
借金でもして居る様に會毎に請求を受けて居ます。珍しく犬が病氣になりました。
カウントが危篤の三週間を憂鬱と多忙で過ごしましたが、モハヤ恢復しました。湿布の跡が(刈毛のため)寒いだろーと思つて背廣服を着せて居ます。
吸入を横臥のまゝ柔和しくやらせたり、酸素吸入をしつゝ熟睡して鼾をかいて居た奴が、此の雪の中を走り廻る様に元氣になつて來ました。
A獣医は風邪で肺炎と云ひ、B先生はテンパーだろーと云ふ。C氏は何病と云はぬ。何れにしても真紅の血便で、呼吸六十以上、體温四十一度、此の容態では一本の注射、一包の薬でピタリとよくなる事は到底不可能です。
痩せては居るが二十七吋半の圖體ですから、持ち堪へたのでしよう。
晝夜ホンゲーストーブの側に寝かせて居ました。内密にしてあつたのが何時か知られて、見舞を云つて下さる人に對して、子供のない家庭には、時々犬でも病氣になつてくれぬと淋しいからと返事はするものゝ、それは全くの敗け惜しみです。
私には三月と云ふ月が犬難の様に思はれます。某雑誌の人が手當等の参考になるから、病床日誌でも書いてくれぬかとの依頼でした。ベラボーメー。
肺病で転地先で日向ぼつこをしつゝ、感傷的に日記を書くのなら名文句も出るだろうが、急激而して猛烈に來て、幽明の線を往復しつゝ死のチルガ(陽炎)を眺めては、日記なんか書いちや居られねーや。
「黒狼荘より」 昭和8年