警戒犬用法例
各分遣隊に派遣し警戒勤務に服せしめたり。
一、昭和十二年二月十三日浜田少佐の指揮する浜田討伐隊は午後一時頃威虎嶺南方双鴨子附近に於て現地より約四〇〇米離隔せる地点に匪家らしき一家屋を發見せり。此時浜田討伐隊長は指揮下にある軍犬兵齋藤一等兵をして軍犬ユングロ號を携持せしめ、直に捜索せしめたるに俄に家屋内に呼喚起りて敵匪四名戸外に現出し該犬は敵匪一名を襲撃せり。浜田討伐隊長は該兵をして直に軍犬を呼び戻さしめると共に一斉射撃を命じ匪首明山好以下四名を射殺し兵器弾薬を鹵獲するを得たり。同地帯は一帯に積雪深く膝を没し行動困難なる地帯なりしにも拘はらず克く敵匪を全滅し得たる軍犬ユングロ號の功績に依るもの大なるものありたり。
沿線各分遣隊に配属せる軍犬をして常に線路巡察に使役し、其功績顕著なるものあり。殊に大石頭分遣隊に配属せる軍犬フジ號は橋礎の巡察中、昭和十二年四月五日午後八時三十分、大石頭西北方一粁の橋梁に於て橋下に潜伏せる通匪者一名を發見せり。
二、黄松旬分遣隊配属犬ヘルド號を兵営入口に繋畜し分遣隊員及使用人以外は一歩も兵営内に入るを許さず。又夜間は歩哨の命ずる儘に柵内を巡察し四月十日兵営に接近せる満人一名を發見し盗難を未然に防止するを得たり。
一、チエリ號・エルマ號
自 昭和十一年七月六日 至〃七月十五日間、島田小隊配属犬となり磐石縣紅石磊子一帯に蟠居中の紅軍匪約百数十名を討伐すべく出動せり。而して小隊は匪賊の足跡を追跡しつゝ同月十一日午後四時小紅石磊子に進出、五〇七高地に於て紅軍匪約六〇名と遭遇交戰す。敵匪は密林高地を占領、頑強に抵抗す。此時園田一等兵は時來れりと該二犬に襲撃を命ずるや、直に疾風迅雷的に敵地に進入せり。交戰一〇分にして敵は我軍の猛烈なる攻撃に依り西方山地に逃走せり。我軍は更に之を追撃中、該犬は唇を血痕紅に染めて園田一等兵の許に帰來せり。園田一等兵は該犬を誘導せしめつゝ密林中を捜索せし處、匪賊二名は完全に襲はれ足及咽喉部を咬切られ苦悶中なりしが間もなく遂に絶命せり。本戰闘に於て該犬の奮戰に貢献せる所大なりたり。
鹵獲品 モーゼル拳銃一、同上弾薬七。ローヤル拳銃一、同上弾薬十三。異式手榴弾一。
二、スマ號・アシ號
自 昭和十一年七月六日 至〃七月十三日間、後藤部隊に配属せられ南蓉山及魔天嶺永吉樺旬縣境の匪賊を掃蕩すべく出動し、草木繁茂せる密林地帯の通過には三、四米を隔て尚目視困難なる状況に拘らず此二犬は斥候犬として克く部隊前方及側方の徴候を發見し、殊に魔天嶺及南蓉山の巣窟占領には實に険峻なる急斜にて大木至る所に倒れ行動困難なりしも不拘、克く警戒を續行し其部隊の行動を容易ならしむる所ありたり
捜索
昭和十一年七月二十三日、敦化北方約一粁砲台山に於て傳令訓練の際某軍犬兵の紛失せる圖嚢を軍犬スター號をして捜索せしめたるに、約十分にして其点より約一〇〇米離隔せる雑草地帯より發見、咥搬し來たり(昭和12年7月)