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山形県の熊狩犬(高安犬?)

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齋藤
岩手寄りの縣境か、縣南のマタギ猟師がいゝ犬を持つてゐます。山形縣境の鳥海山の麓にも相當居ます。次に岩手縣は秋田縣より有望で、なぜ有望かといふと、秋田縣は秋田犬の産地として有名なので、猫も杓子も行くが、お隣の岩手は存外閑却されてゐるからです。岩手縣はこのほか太平洋寄りにもゐるが、如何せん不便で誰も踏み込んでゐない。大きさは大體中型の小で、秋田堺で猟師が一尺八寸から九寸位のいゝのを連れてゐたのを見たことがあります。宮城縣は山形縣境にゐるのを聞きました。岩手境にもゐるかも知れません。
北村
中尊寺の境内にゐたといふ写真をみたがよくない。
齋藤
秋田より鳴子の奥に大型がゐたが、現在はゐません。山形にも今は餘りゐないが、米澤附近の高安犬は有名で、こゝの犬の宮で犬を保護したが、今は餘り残つてゐない。
私の弟がそこらの仔犬を調査したが、白い犬で中型よりは少し大きい。その他山形では朝日連峰を中心として探したらまだゐるかも知れぬ。

『山に日本犬を探る座談會』より 昭和8年

 

戸川幸夫著「高安犬物語」で有名な東北のマタギ犬。

山形県東置賜郡高畠町で飼われていた猟犬で、地区の名をとって「高安犬」と呼ばれていました。甲斐犬をルーツとするそうですが、詳しい由来は不明。近代の日本犬ブーム下でも、高安犬関係はそれほど多くありません。

 

東置賜郡高畠町の近隣、西置郡小国町における熊犬の記録をどうぞ。

 

犬 

 

山村の旅宿

本年(大正3年)の三月、未だ雪の溶けぬ東北地方を廻遊した途次、月山、湯殿山、羽黒山の三山よりなる大山脈と、東北の大山である飯出山の間に介在せる金谷村に旅宿した。此の村は山形縣西置郡小國本町を去る三里の山中に在る一寒村で、丁度越後と米澤の中程である。

見渡す限り蜿蜒たる大森林が雪を被つた壮観は、たとへやうがない。十三ケ峠の嶮も、親知らず子知らずの難も、總て皚々たる銀世界に蔽はれて、此の村に着いた夕べ、山村の寂寞には不似合な程生々とした活氣が横漲して、彼方此方へ村民が犬を連れて奔走する唯ならぬ様を見て、宿屋の女中に聞くに、明日此の村で催す熊狩の準備で有ると。

熊狩と聞いて何んで黙過が出來やう。全身の血は沸き上り壮烈なる熊狩の實況を想到せずには居られない。遂に宿屋の主人を介して、其の一隊に参加する事を願うた。

其の夜はとう〃脾肉の嘆に堪へないで眠られなかつた。

 

雪中の熊穴

翌朝起きて洗面の爲めに庭に下りると、聳耳捲尾の大きな日本犬が十匹繋がれて居た。孰れも逞ましい骨格をした獰猛な犬で、張り切れさうな元氣が其の發達した筋肉に漲れて居る。

犬好きな我輩には欲しくて堪ないほど、好い犬であつた。

軈て準備が整ふて村を出發した。雪を踏んで山路にさしかゝつたのは八時すぎ。何分風に吹き寄せられ積つた雪は、寒氣のために凍氷して唯さへ苦しむ山路は、氷の爲め滑つて一方ならず歩行が困難であつた。坂道や崖は鍬で足場を掘つて進んだ。

愈々熊穴に近づいたので、猟師の一人は腰の大鋸を取出して、道傍に在る直径約五寸許りの樽の立木を切り倒した。左右の枝は三尺程づゝ残して切り拂ひ、木の頂に當る處は其の儘に遺して、之れを二人がゝりで引き摺つて行つた。

熊穴は山の中腹に在つて、雪を蔽つた岩の下で、丁度雪で囲れた室の様になつて居る。途中で二隊に分れた猟師は穴の前で落ち合ひ、愈々熊狩にかゝるのである。

 

金谷村の熊狩犬

 

壮烈なる犬の活動

引き摺つて來た樽の木を頂の方から穴の中へ突き込むので、丁度立木を逆に洞穴に押し込む形である。其時猟師の一人は斧を振り上げ、二人は槍をしごいて熊が何時出て來ても、打ち留めるやうに構へて居る。

穴へ突き込んだ木をグン〃と押し込むと、左右の枝が洞壁に触れてガラ〃と音を立てる。さうかうするうちに山も崩れるやうな熊の吠聲が穴の奥から破裂して來る。

夫れと殆んど同時に、八尺もあらうとも思はれる牡熊が驀然として飛び出して來たが、左右の枝に阻害されて飛び出せない。熊の奴は焦つてバリ〃枝を掻き分けて出て來る。頭を下へ下げてあの大きな手で藻掻くと、直径三寸もある枝がポキ〃折れる。

さうかうするうちに穴口へ頭を出して、一人の猟師が持つて居る樽の幹に手をかけた。其瞬間に斧は一閃して熊の掌の上に落ちたが、幸か不幸か斧は熊の手を逸した。怒りに怒つた熊は再び手を延して進まんとする。

左右に分れた十匹の犬は、勇敢に熊の手と云はず肩と云はず咬み付く。熊は益々激怒して無我夢中に荒れる。

其の間に於ける犬の行動は實に賞嘆に値するものである。此の争闘中の隙を見て、針の如き鋭い槍先を月の輪を目指して突き貫す。其の槍手は實に熟練なもので、突き出した槍は殆んど同時に引き抜くので、其の早業は目にも留まらない。犬によつて熊の前身を阻みながら、恁うして仕留めたのである。

牡熊を斃すと直ぐ第二の作戰に着手した。次ぎに飛び出したのは八尺五六寸もあらうと思はれる牝の大熊。

此奴は牡熊以上に獰猛な荒れ方をやつた。猟師の苦心も犬の活劇も一通ではなかつた。洞に突き込んだ樽の枝は殆んど居られて終ふ。熊は穴から飛び出す。人も犬も必死になつて防禦する。

忽ちのうちに熊の手にかゝつて二匹の犬は、勇ましい非業を遂げたが、残れる八匹の猛犬は夫れに屈せず、寧ろ仲間の復讐と云ふ氣で隙間なく攻め立てた。

熊の手と云はず、足と云はず處嫌はずサンザンに咬み付いて武者振つた。二間四方の雪は熊と犬の血潮で真赤になり、観て居る吾輩も思はず身慄した程凄壮なものであつた。苦戰悪闘の末遂に猟師の斧は熊の息の根を止めた。

此の戰の爲め傷の負はない犬は一匹もなくなつた。それから犬を先登にして洞穴の内へ這入つた。出て來た猟師の手には可愛い熊の子が三匹抱かれて居つた。

 

日本犬の精華

此熊狩に使用した犬は、北部日本に棲息して居る純和犬である。此犬は猛獣狩に使用する丈けに非常に氣の荒い猛犬で、何時も此の犬が往來で出逢ふと立所に血塗れ騒ぎの喧嘩を始める奴だが、此の熊狩の日に限つて見違へるやうに温和しい従順な犬になる。

指揮者の命令を能く守つて勝手な真似をしない。熊の穴に近づいた時などは、グツともスツとも云はないで静かに準備の整ふのを待つて居る。而して準備が整ひ熊が飛び出すと、今迄で静粛にして居た反動に、勃然と獰猛な勇犬に化して終ふ。其の實況を見ない人には想像もつかないが、熊狩の功労の過半は全く犬の働きに負ふものである。

帰途には斃した熊を山の上から谷へ転がし込む。夫れは八尺もある大熊を山から運び下せないからである。

谷へ下した熊を犬に曳かして帰村した。恰も戰士が凱旋するやうに意氣揚々と、金谷村に帰り着いた。

浅間保四郎『日本犬の真價を見るべき壮烈なる熊狩』より 大正3年

 

本土のツキノワグマ猟でも、猟犬の犠牲は少なくなかった様ですね。

狩の最中に落命した猟犬については、その場で慰霊行事をする地域などもありました。大正期の山形県ではその辺どうだったのでしょうか。

 


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