兵庫縣芦屋の資産家大橋倉一郎氏の愛犬で、セパード時價千五百圓といはれるアグネス・フオン・マツケン號は、去る四月廿日中野區本町通り會社員松本有義氏が借り受けた翌日失踪し、全國的に手配してゐたところ、一ヶ月餘を過ぎてから淀橋區西大久保の犬屋で發見され、問題はそのまゝになつてゐたが、これが半年近く経た数日前、偶然の事から拾つた名犬で一儲けすべく立ち廻つてゐた連中が判明して、巣鴨署に検挙されたせち辛い拾得物横領奇談―。
逸走したセパードは目黒競馬場付近で當時荏原區に住んでゐた岩本庄二(三二)に拾はれた。自宅に連れ帰ると先づ妻のさち子(二五)が目を輝かしてこゝに夫婦が浅ましい儲け仕事の相談。翌日からセパードの頸輪についた所有者の名をすり落して仕事もそつちのけに各方面を賣り歩いた。遺失主からすでに手配が廻つてゐるらしいので関西で賣り飛ばさうと、五月二日出發。同十日に梅田驛でセパードを受取つて買手を探したが大阪市内もすでに手配が來てゐるらしいので、犬を郷里新潟縣に送り預け、六月初旬に帰つて來た。
この不在中、郷里にセパードを預けた事を知つた妻は急に思ひ立つてセパードを東京へ送らせ、これを義兄の巣鴨の理髪職濱田善三郎(二九)に持ち込んだ。
そして夫の帰る二三日前に西大久保の犬屋へ賣りつけ、内金として五十圓を受取つて濱田に二十圓與へ、自分は三十圓を懐中して、帰京した夫には「犬は盗られちやつた。あきらめませう」とばかり、マンマと騙した。
一方犬屋の方では買つたものゝ様子が怪しい。
調べて見ると手配の來てゐる名犬だ。驚いて遺失者に返し、濱田を追及した揚句、拾つたものと判つたが、犬屋は遺失者から百圓のお禮を貰つた事だし、相手も一ヶ月以上養つてゐたといふので若干の養育費を支拂つてそのまゝにしたものであつた。
これが發覚の端緒は、數日前濱田方へ顔剃りに行つた巣鴨署員にこの儲けた話を濱田が一席聞かしたためとある。
『名犬拾得奇談』より 昭和9年
四月廿、廿一両日、関東畜犬商組合主催の第三回全日本畜犬共進會は上野公園動物園廣場に開催された。櫻は散つたが、両日共快晴に恵まれ、上野の山は織る様な人出で、共進會も朝から賑つた。
出陳犬は約二百頭。知名の犬も多く、全體に粒が揃つて見ごたへがあつた。
大衆的人氣を浚つたのは、入江たか子出陳のコツカースパニール種の「グリーン」(牡、二年)、市村羽左衛門のマルチーズ種「ローム」(牝二年)、片岡我童のスピツツ種「ペテ」(牡一年)等が席を並べてゐて何時も大變な人だかりであつた。又中央ベンチに中野村田氏のボルゾイが五六頭も出陳されてゐたのは偉観であつた。
その他愛玩犬、猟犬、土佐犬等にも優秀なものが多數出陳されてゐた。
観覧者を喜ばした訓練實演は、渡邊新一氏が愛犬シエパードを引連れて中央のリングに登場。各種訓練に妙技を振つた。審査は加治木三郎、高久兵四郎、塚本素洲の三氏が當つた。
第三回全日本畜犬共進會 昭和10年
四月廿、廿一両日、大東京畜犬商組合主催の萬國畜犬展覧會が目蒲電車沿線多摩川園内で、偶然関東畜犬商組合の共進會と日を同じくして催されることになつたが、これは関東畜犬商組合の筈だつたのが上野公園の都合で延期され、同日になつたものである。
會場は多摩川園を入つて左手の遊戯館全部があてられ、周壁、中央に約百個程のベンチが設けられ、愛玩犬、軍用犬、猟犬、日本犬等各犬種が網羅されたが、屋内のため非常にまとまりよく感じられた。審査は華蔵界能智氏が當つた。
又會場前廣場に訓練實演所を設け、森重弼氏の指揮のもとに團體訓練、基本訓練等を演じたが、折柄の花見、遊覧客が押寄せて大變な見物人であり、それ等の人々には何よりの餘興として感動を與へたらしかつた。
又、會場入口に渋谷の忠犬ハチの像を飾り祭壇を設け、二十一日午前十一時神主を招いて盛大な慰霊祭を行つた。
大東京畜犬商組合 昭和10年
平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より
昭和14年4月20日診察
シエパード犬に對しては興味どころか、唯恐しいと言ふ概念しか持ち合さなかつた私が、人から強く誘はるまゝに桜宮までシエパード犬展覧會にノコノコ出掛けて行つたのだから、當日、曇り後雨だつたのは無理も無い事。此の點、展覧會に様々の期待を持つて居られた方々に、お氣の毒なることをしたと思つてゐる。
丁度其の日は日曜日で、其處彼處の花だよりを聴くと、終日家に居るのも詰らなく、それかと言つて桜の名所は、花より人の流れを見に行く様で面白くも無し。と、朝から思案投首のはて結局前日より誘はれてゐたシエパード犬展覧會へ行く事にした。
造幣局の前で車を降りたのが二時少し前であつた。あの邊り一帯の桜も丁度見頃で、美しい春景色を呈してゐた。橋上から公園を見下すと、JSVと染め抜いた黄色の三角旗が和やかな春風に靡き、紅白の幕を張り廻らした會場からの犬の吠え立てる聲が聞えて來た。やがて橋から降りて會場に入つてみると、居るわ居るわずらりとシエパードがオリンピツクの選手の様に待機の姿勢でベンチの中に入つてゐた。
いちいち覗いて行くと、大人しく蹲つてゐる犬、隣り同志睨み合つてゐる犬、美味しさうに牛乳を呑んでゐる犬等々、将に犬百態!恐らく此のやうな機會でなければこんなに沢山のシエパード犬を見る事は、出來なかつただらうと、お花見以上の収穫だと思つた。
「何々……」と二度と言へないやうな六ケ敷い犬の名前を讀み乍ら會場を一廻りする頃には、シエパードに對する恐怖も大分薄らいで來た。
元來私は犬好きの方であるが、シエパード犬丈けはあの精悍な格好を見ても縮み上り、よく狭い道路でシエパードを連れた人に行き合つたりすると、後歸りして一目散に逃げ出し度くなる程だつたが、會場を廻る中には、いたづらさへしなければ、何もしないひ言ふ事が解つて來た。それでもこの百幾つかの犬が皆一斉に鎖を切つて飛び掛つて來たならば何うしようか知らと考へたりした。
犬の傍に就いてゐる人の中には、美しいお嬢さんも沢山居られたが、あの方達がシエパードを連れて散歩をして居られる風景が額縁に納めた油絵の様に、ふと頭に浮んで來て、何か仄々と愉しい思ひがした。
私が全部の犬を見終る頃には、暫らく休憩して居たらしい會場も愈々引き續いて審査が始まる事になつたのだらう。場内に備えつけられたラウドスピーカーが犬の呼び出しを始めた。
ハンドラーに連れられて現れる其の日の立役者、シエパードは至極悠然と構えてゐるのに引換えてハンドラーが紅潮した面持ちで緊張してゐるのは面白いと思つた。黒色、茶褐色、灰色、様々のシエパード犬が審査員の合圖に従つて歩いたり走つたりしてゐたが、審査員の選られる犬の良さが、全然犬に知識の無い私達にも略々解る様な氣がした。軽快な音楽に合せてゐる様な、リズミカルな走り方をした犬派ことらから見てゐても氣持が良い。
今まで私は、どのシエパードもまるで狼みたいに感じ、どれも同じ様に思つてゐたが、かうして二三十匹も集つてゐるのを見ると皆、それぞれ餘りにも異つてゐるのに今更乍ら驚いた。そして此の様に集つたシエパード犬を見てゐると、犬でも矢張り均整美と言ふことが如何に必要であるかが解り、等内に入る犬は、始めから私達の期待を懸けてゐる犬だつた。
折柄丁度此の公園へお花見に來合せてゐた人々も集つて来て大變な見物人であつたが、其の人達の口からも「あの茶色のが一等になりまつせ」「いや、黒い方が良ろしまつせ」と早くも御贔を定めてゐた。一般飛入りの見物人の興味もさること乍ら、シエパードを連れて來てゐる方の方々の熱心さは大變なものだつた。
食事を與へたり、出場前の犬に牛乳を飲ませたり、等内に入つた犬の頭を撫でゝやつたりして、見るからに愛犬家振りを發揮して居られる。
微笑ましい場面が其處彼處で展開されてゐるのだつた。
處が、次々に審査も終り、プログラムもお終ひに近づいて來た頃、折悪しく降り出した春の雨に大急ぎで閉場になつたのは惜しい事だつた。
會場付近で私達が雨宿りをしてゐると、シエパードに毛布を被せ、御自分は雨に濡れ乍らタクシーを待つて居られる方に出逢つたが、車が来ると真先に愛犬を乗せ、それからやつと御自分が乗られたが、美しい思ひ遣りのある一瞬の其の光景が、今も、私は忘れられない。
村上綾子『シエパード犬展覧會印象記』より 昭和15年4月20日