大正九年、保存法實施の劈頭に於て、多大の期待を以て渡瀬博士は、大舘町へ出張されました。悲しいかな、恵まれざる秋田犬は、最衰退期に當り、「秋田犬とはこんなものか?!」と失望され、爾來秋田犬の保存は立消の状態になりました。しかし博士の激励により、當地の愛犬家に秋田犬保存の氣運をもたらし得た事は忘るべからざる事實で、泉氏等の率先奮起となつたものであります。
大正十三年牛込の博士のお宅で、當時の模様を拝聴する事を得、次いで博士の御指導により、昭和二年、拙著「自然の國寶と日本人」に「トチ一號」を紹介し、いさゝか愚見を述べる機會を得ました。昭和四年に博士の逝去されたことは、國家學界のためにも、保存事業のためにも、殊には秋田犬保存指定を見るを得ず誠に痛惜い堪えなかつた次第であります。
次いで一斑秋田犬が指定を見ました。越えて八月十九日、大館停車場構内で、優良犬八頭、澄殿下の御臺覧を仰ぎました。
小野進『犬の町大舘の犬風景を語る』より
警視廳捜査一課田多羅課長以下係長各主任は、八月十九日午前赤羽の軍用犬養成所に本廳防犯課御自慢の警察犬の訓練を視察したが、去る四月以來、警視廳の捜査陣容に科學的動員の一役をかつてお目見得してから連日の猛訓練の結果、最近では非常に向上し、なほ日本における初の試みとして待望されてゐた日本犬の使用が實現され、目下秋田犬の白が日本犬保存會にて訓練されつゝあるが、いよ〃九月下旬から捜査線上の第一線に立つて現場捜査を行ふこととなつた。
昭和12年
祖國のヒットラー・ユーゲントを迎へるイラーさん(八月十九日、山中湖畔にて)
昭和13年
八月十九日購買犬出征に附、岡山驛頭に於いて歓送式を挙行した。午前十時集合、池田支部長の健康検査を終り、輸送宰領者陸軍省宮下雇員に引渡し、第一プラツトホームにて積込を終り、井上幹事の發聲にて出征軍犬の萬歳を三唱し午前十一時二十分大阪、神戸、姫路等の軍犬と共に出發した。
軍犬慰問、歓送式後岡山縣児島群井上其子女史は出征軍犬へ寸志として金一封を差出し、又特に氏名を明かさずして某婦人より軍犬に冷き飲料でも與へて呉れとて同情の涙を流して金一封を寄贈せる篤志婦人あり。井上女史は「兵隊ばあさん」として名のある銃後熱烈の篤志婦人である。
帝國軍用犬協會「岡山支部軍犬購買實施」より