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8月20日の犬たち

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『東葛家畜病院亀戸分院『診察簿 大正十二年六月二十一日以降』より

大正12年8月20日診察 

 

帝犬大阪支部の盡力により、大阪府當局は帝犬登録犬で第四師團により軍用適犬と證明された犬に限り、免税方を今秋十一月の府議に上提するまでに漕付けたが、更に民間では柴田庄一氏を會長にする軍用適種犬免税並に一般畜犬税減税期成同盟會を組織し、事務所を大阪市北區野田町野田家畜病院に置き、八月二十日府廳に川崎議事課長を訪づれ陳情した。

犬界消息「大阪の免税運動」より  昭和10年

 

天津から最初の戰闘地濁流鎮に向ひましたのは八月二十日、それから私等の不眠不休の激戰が開始されました。
皆さんが私の睡眠不足の顔並にハラス號の雄姿の寫眞を御覧になつたのは、汽車にて濁流鎮より七里堡に向ふ途中、高粱畑に入つた時の写真で御座います。
ハラスも初めて殷々として砲聲の響の中に出た時は、恐さうに耳をそば立て居りましたが、一日二日と経つ内に元氣良く働き出しました。或時は高粱畑の中で、夜露に濡れて仮寝の夢をハラスと共に懐かしい故郷の空に走らせた事も有りました。又、或時は無情に降る雨を頭から浴び乍ら、寒さに震ふハラスを引寄せて、眠れぬ一夜を壕で明かした事もありました。
そうした戰闘を共に助け合ひ、静海県並に唐官屯の戰ひが終りました。
之よりハラスは○○部隊に行く事に成りました。今迄弟の様に思つて居たハラスと別れなければならぬ運命に陥つたのです。共に苦労した私とハラス、別れるのは嫌だつたのですが、ハラスの爲めには出世です。別れ度くない別れをしたのもハラスを思へばこそです。
然し御心配下さいますな、ハラスは○○部隊にて幸福に、毎日を北支の地で走り廻つて居ります。
彼は幸福そうです。何れ、ハラスも大功を立てる時もあると信じます。
焼野の雉子、夜の鶴、三千世界に子を持つ親の心は皆一つと昔から申されます。
皆様も永らく御育てになつたハラス、御心配は御無理も御座居ませんが、彼は必ず元気で再び故國に歸る事を信じます。
軍犬手中田福市一等兵より池田支部長への手紙 

帝國ノ犬達-犬 

軍犬ハラス號は、昭和12年9月24日に北支滄州で戦死しました。

 

病院屋内の障害に對する回避法は確實且つ安全である。上の障害物以外の障害物に對しては、充分なる安全感を持たせて呉れた(平田軍曹) 

陸軍省醫務局『戰盲勇士の誘導犬記』より 昭和14年8月20日

 

盲導犬・日本人には不適當 / 座敷に不向きな上経費が莫大にかゝる / むしろ妻帯が第一 
・澤田氏の發表
祖國に光明を捧げた失明勇士の手とも、足ともならうといふ盲導犬が果してわが勇士たちに適すかどうか…。薄幸な失明者更正教育観察のためアメリカ・ボストンのパーキンス盲學院で約一年間光明學を研究して去年末帰朝した東京盲學校教授澤田慶治氏(三九)は光明教育に注いだ真摯な研究から、『盲導犬は現在のところわが國に絶對不適當です』とわが國情と生活状態を無視していたづらに鵜呑みする外國模倣の非を警告してゐる。同氏は今厚生省、傷民保護院そのほか救盲諸團體の依嘱をうけて、尊い経験と研究の成果につき講演や座談會などを行つてゐるが、その都度“盲導犬不適當”の點にも言及してをり、早くからわが國に入つてきた盲導犬やセント・ダンスタンス式盲人集團生活等の可否について獨自の研究を發表してセンセーシヨンを起こしてゐる。
澤田氏の意見によると、犬は日本座敷に不向だから失明者の常住座敷に付添ふのに不適當なうへ、訓練の至難と相俟つてその経費は莫大なものとなる。アメリカでは富福な財政を得て、この飼育費にあてられてゐるから経済的にも成立してゐるが、根本的な経済状態が違ふわが國では極めて困難である等々、盲導犬の不適當な點を指摘し、むしろ失明者は直ちによき半身を得よと妻帯を强調してゐる。
以下小石川の自邸で熱心に語る氏の盲導犬不適當論である。
『大きな犬を必要とする盲導犬は日本家屋に不向きなことは看過出來ません。また四、五歳位からでないと使ひものにならないので、その寿命も至つて短いのです。そのうへ高價な犬ですから、さうたやすく買ふことは出來ないでせう。勇士達には極力妻帯をすゝめてゐます。
盲導犬に代るもの、これこそ躍進日本が創り上げなければならないものだと思つています』 

陸軍省医務局の失明軍人誘導犬に対する、讀賣新聞の批判記事より 昭和14年8月20日

 

八月二十日午前十時、突如として大洪水襲來。數時間にして庭園、犬舎は元より家屋の階下をも没する始末にて飼育三成犬を取敢ず家族と共に二階へ収容仕り候(弊宅は天津郊外に所在す)。
其後外界とは往來の方法なく、両日を過ぎずして一家は食糧難に襲れ、妊娠犬を始め他の二牡犬も食料は勿論のこと飲料水に事缺く次第と相成候(洪水の水質は日を経るに従ひ溝水の如くなり、不潔、悪臭絶へ難きものあり)。
従つて分娩日間近き妊娠犬の衰弱は刻々目立ち、胎兒の發育よりも母体の栄養と生命の保持を案ずるの困窮状態に立至り候。
之の間、戸板窓枠等にて作りたる筏に棹さしては町々を廻り、食料の買出しに努めたるも牛缶一個も見當らず、八月末日頃には飢餓に迫れる家族と三頭育犬の内一頭たりとも(アヤツクス)引連れ、英佛日各租界を横断して停車場付近へ避難せんと決意仕候(汽車は不通ながら停車場前方埠頭より避難船出帆の由を風聞す)。
然れ共、一方胎兒を抱きて飢んて苦しむ妊娠犬を見捨てんことは愛犬良心の許す所に非ず。尚又分娩も一両日の内なれば、出産を見届けたる上、避難せんと家族の意見一致。待つこと三日の九月二日午前牡二牝四(内牡一死産)を辛じて苦難致候。
されど産仔の發育不良は言ふに及ばず。母体は五頭は愚か一頭を哺乳すべき餘力もなき程衰弱致居り、牛乳や粉ミルクの入手は望みなく、乳母犬などは夢にも發見不能の水地獄の一軒家。
如何せんと數時間頭を抱へて考慮の末、一には母体を救ふ爲、一には何れ旬日にて斃れるであらう産仔の苦しみを省かん爲、心を鬼にして全産仔を殺除致候。
その後、十日を経たる今日、遂に犬の爲に避難もせずガンバリ通した甲斐ありてか、水勢は次第に低減し、食料も不足ながら入手可能と相成り、成犬牡二頭を始めヴヰーネも漸く生活力を回復しつゝ有之候故、此段御安諸給り度候。

右不取敢「全産仔殺除」理由御報告申上候
九月十三日
水野虎男
昭和14年の天津大水害にて


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