警察犬ネリー號(獨逸番羊犬)、依託管理中八月二十一日午前五時より午後八時迄の間に於て牡牝五頭(内三頭死産)の仔犬を分娩せり。
陸軍歩兵学校・第二期軍用犬研究レポートより 大正9年
濱綏線一面坡小嶺站(駅)付近を根城に付近の部落を荒しまはつてゐた五侠匪が最近再び蠢動しはじめ村民を苦しめてゐるので、小嶺の村民が小嶺站警務段分所員と協議のうへ、去る八月二十日密偵をして五侠に帰順を勧告せしめた。五侠は部下數名を率ひ翌二十一日午前四時ごろ武器を携へ指定の場所に現れたので、村民が直に站嶺分所に急報、同分所では時を移さず吉村巡査が満人四名と鐵道警備犬エルツ、ガンスの両犬を従へ指定の場所に近づくと、五侠匪は矢庭に警務團員に發砲しはじめた。同巡査長は直に攻撃命令を発し、交戰約二十分ののち之を撃退した。吉村巡査は後を追はんとしたが、鐵道警備員は鐵道線路から遠く離れることを禁じられてゐるので、前記エルツ、ガンスの両犬に追撃せしめると、五十米餘も走つたと思はれるころしきりに両犬が吠えるので現場に駆けつけると、馬に乗つた匪賊を両犬が協力して襲撃してゐるところで、匪賊は危険と見てか銃器を放置したまま何れへか逃走した。吉村巡査は更に両犬に両犬に追撃を命ずると、しばらくして再び吠え出したので今度は吉村氏以下四名の警務團員が包囲隊形をとつて進むと、一丈餘もある鬱蒼たる草原の中に一名の匪賊が吉村氏等が發砲した弾丸を身に受け、更に両犬から所構はず喰ひつかれその儘死んでゐるのを發見。一行は死體の上衣のポケツトから五侠と記した名詞三十餘枚、その他の証拠品を押収して意氣揚々と引きあげた。
次で翌朝村民が草のなかに匪賊らしいものが死んでゐると知らせて來たので吉村巡査が急遽首実検すると、この死體は匪賊五侠であること判明、エルツ、ガンスの両犬から猛烈な襲撃をうけたものの如く全身を血に染めてゐたが、警備犬が匪賊の潜伏場所をかぎつけたり逃走の方向を探し當てたことは今日まで珍しくないが、警備員と協力匪賊と戰ひ、馬で逃げる匪賊を勇敢に追跡して猛烈な肉弾戰を演じた末、匪賊の頚部に喰ひさがつて一命を奪ひ、容易に壊滅できなかつた五侠匪を遂に地下に眠らせた殊勲は満州警備犬史上に特筆すべき勲功とされてゐる」
『騎馬匪を襲撃し、警備犬の死闘』より 昭和11年
八月二十一日巡邏班に属する趙監視員はレツキ號を同伴し班員と共に午前五時五分安東着、貨車飛降り密輸者検挙の爲庁構内の各要所に潜伏し、該列車の進入を 待ち居たるに、軈て警笛一聲驀進し來れる列車が同構内に差掛らんとするや、果然右列車の後部より密輸者三名飛降り、境界線鐡条網を乗り越え一目散に市内に遁走せんとす。
依て猶予なくレツキ號を放ちて之を追はしめ、難なく犯則者全員を検挙し左記物品を押収するを得たり。
人絹布十一疋
滿洲國税関監視犬月報より 昭和11年
本犬は性質温順且悍威を有し、運動軽捷にして軍犬として活躍すること一年十ヶ月、此の間克く軍犬兵の教育に従ひ、時々行はれる大規模なる演習に於ては傳令犬として奮闘し、怜悧なるを以て他犬に比して優秀なる成果を挙げ、完全に其任務を達成してゐた。
昭和十二年八月二十一日応急派兵によつて永嘉堡へ前進の爲め長途の輸送に引續き天鎮付近の戰闘に参加した。
○隊は同年九月六日午後七時元営東北方高地敵陣地に對し薄暮を利用攻撃、激戰の後該高地を占領し、○隊は機を失せず退却する敵を天鎮水桶寺を経て鎮宏堡に向急追した。通信班主力は構成せる有線網の撤収終了を待つて午後十時五十分○隊に急追の爲め行動を起すや、時将に咫尺を弁じない暗夜、加之前進路は山岳峨々たる生地で班長以下の困苦は其の極に達した。
茲に於て軍犬トミー號は平素訓練の精到振りを發揮し、終始部隊の先頭に立ちて之が誘導に任じ、通信班をして翌七日午前三時完全に○隊の位置に誘導追及せしめる事が出来た。
歩兵○○部隊通信班
「事変最初の軍犬表彰」より 昭和14年
昭和十四年八月二十一日
愛犬ト撮影