昭和三年十一月二日、群馬縣藤岡町原徳人氏、堤百川氏等同地愛犬家の招待を受け、本會より高久兵四郎氏、齋藤弘氏参り大いに犬談致しました。
同三日より原氏と齋藤、同道信州、上野、武蔵の國境の群馬県多野郡上野村字中の澤部落方面に入り、柴犬を研究し(※「翌四日」追加)やゝ純血に近いもの牡六才一頭を黒川村に於て見出し連れ歸りました(※「十號と改名」追加)。現在、齋藤飼養中、今年夏、再び信州に入り牝を見出すつもりであります。
本年二月一日、本會顧問高久兵四郎氏の上京を機とし、齋藤宅に於て愛犬家を會し大いに日本犬の特質を論じ、又高久氏の犬相の話を傾聴しました。來會者十三名。
日本犬保存会雑報草稿集より 昭和4年2月14日
御通信有難く拝誦、愈々御健祥の趣大慶に存じ奉候。JSVの大會の模様も先日愚息より番組を送り來りしを見て脾肉の嘆に堪えず、來春の會には是非共出場致し度存居候。
當地も十日程以前迄は氣持の悪い程暖い上天氣が續き、阪神の氣候等は比較にならぬ暖氣を感じ候も、二日間小雨あり、遂に小雪を見て後は、一昨々日よりお天氣はよけれど、急に相當厚い氷を見るに至り候。
然し之れとても平緩線方面に活躍の前線部隊に比すれば物の數に無之と存候。
最近前線部隊の者にて餘り前線の状況を悲惨なるものの如く誇張して内地に通信するものあり。又前線後方を問はず軍の行動等に関して機密事項を通信するもの等ありて、目下郵便物は厳重に査問を受ける事となり、それが爲め郵便物の延着又は不着多き爲め、餘り詳細なる現地の報道は致し兼ね候。何れ無事凱旋の節は色々とお話出來得る事と存候。
復員の豫想も區々にて、私共の考では既に上海を完全に占領されたる今日、経済封鎖は殆んど完全に行はれ、支那軍の此の上の抵抗は単に口先きの強がりに過ぎざるべく、餘り無理に交戰を續くるに於ては内乱の恐れもあるかと思はれ候。
山東方面の戰況も大局は既に決したると思しく、其他北支方面は既に黄河の線へは出たるも同じ位に戰況は進展致し居るらしく、山西の共産軍の如きが、時々後方を脅かすとの報あるも、何れも敗殘兵の寒氣に向つての悪あがきに過ぎず、年内には日本に有利に停戰協定が成立するに非ざるやと被存候。
然し乍ら今後の警備については相當の兵力を要すべく、どの位の兵力を残置するかは窺知し得ざるも、復員の始まるのは來春早々の事には非ざるかと被存候。
尤も此處一ヶ年位はとても凱旋の望なしと云ふ向きもあれど、警備に殘る部隊にありては來春櫻の花は内地に於て見られる事かと期待致し居候。
出征の爲めに蕃殖も二回飛ばし候次第、クレタ(愛犬)も追々と年をとる事故氣が氣でなく、來春は是非共一回蕃殖致し度く存居候。唯今回の會にて、牝仔アスラが二席に入賞せしがせめてもの慰めに御座候。
内地の面白き状況有之候はば御通信願上候。内地も追々と寒氣酷しく相成る折柄、御自愛専一に祈上候。
十一月二日朝
豊台にて 奥村良一
河南高鷲霜雪園主人『戰場だより』より 昭和13年
昭和十六年十一月二日、似島に於て、海港検疫の爲錦衣帰國の寸前に於て検疫の貴き犠牲となりたる軍馬、其の他軍用動物及之が實験に供せられたる小動物の慰霊祭を施行す。當日快晴小春日和にして、打寄する小波も心なしてか騒がず。
船舶輸送司令官、臨時陸軍検疫所長兼陸軍運輸部長代理渡邊参謀長及船舶輸送各部長、高橋似島支部長以下在島将兵全員参列の上、十時三十分委員開會の辞を宣す。
折柄在港港船舶長笛一声之に和し、全島厳粛の氣満ち正午諸事滞りなく終了せり。
當日の祭詞次の如し。
祭詞
本日茲に臨時陸軍検疫所似島支部主催の下に、事変下第三回検疫犠牲軍用動物慰霊祭を施行せらる。惟ふに汝等軍用動物は選ばれて戰士となり、支那各地を転戰し、困苦幾年炎熱酷寒泥濘飢渇等、戦場百般の艱難を克服し、聖戰遂行の大任を果し、錦國の寸前に疫癘の為遂に此の地に斃る。洵に遺憾の極みなり。
然れども汝等の活躍犠牲は興亜聖業の達成に、又防疫學術の貴重なる礎石と成り、其の有形無形の功績や實に偉大なるものなり。
即ち茲に暦年の遺髪を聚めて馬魂の碑となし例祭を行ふ。群霊以て瞑すべきなり。盛儀に臨み一言蕪辞を以て祭辞となす。
昭和十六年十一月二日
船舶輸送司令官・臨時陸軍検疫所長・陸軍運輸部長 佐伯次郎
祭詞
本日茲に壇を設け恭しく第三回慰霊祭竝に新たに軍馬七十七頭、小動物千八百六十五頭の新霊を併祀するに當り、親しく群霊に告ぐ。
惟ふに日支事變勃發するや軍用動物は選ばれて勇躍征途に就き、苟くも皇軍の進む所蹄跡を印せざるなく、以て皇威を中外に宣揚したり。是所より皇軍将兵の忠勇 義烈に因ると雖も、亦砲煙弾雨の間極寒酷暑を冒して黙々として聖戰に従ひ、以て皇軍の行動を容易ならしめたる汝等忠馬の勲績大なりと謂ふべし。
然るに聖戰の大任を果し、赫々たる武勲を樹て帰國するに方り、其の上陸を待たで偶ゝ疫癘の犯す所となり、天寿を全ふし得ずして遂に此地に斃る。洵に断腸の念禁ずる能はず。
又海港検疫の爲試験動物として貴重なる生命を捧げたる、汝等小動物は其の功績戰場に於て斃れたる武勲にも比すべく、學界に燦として光彩を輝かし、其犠牲は斃馬と共に馬匹防疫の方策上貴重なる資となり、延ては皇軍の活力を更に大ならしむるものあり。汝等亦以て瞑すべきなり。茲に新霊を併祀し饌を供へて之を祭る。冀くば群霊彷彿として來り餐けよ。
昭和十六年十一月二日
臨時陸軍検疫所似島支部長 高橋金一
同驛東方七百米の地點で『興亜』號は立止まり、砂石に鼻をすり附けて離れないので、不審を抱いた警備兵が早速附近を捜索した結果、同所を距る五十米の地點に地雷點火装置があるのを發見した。一方興亜號はなほも前の場所を離れやうとしないので、其處を掘り返せば果して何んと三十糎ダイナマイト二百九十五個が發見された。時正に列車通過の二十分前であつた。興亜號のお蔭で危く列車は事無きを得た譯だが、これに感激した○○部隊長は早速興亜號の功績上申の手續きをとつた。
『鐡道爆破・陰謀の地雷を發見 天晴れ軍用犬興亜號』より 昭和17年11月2日