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11月13日の犬たち

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全陸軍の父と仰がれ、雷爺として全陸軍を震駁した上原元帥の馬好きは有名なものであるが、同時に大の犬好きであつた。
回顧すれば古い話だ。
明治四十二年―今から二十四年前、元帥が北海道旭川の第七師團長として雷爺の異名をそのまゝに、はち切れさうな元氣な時であつた。
將軍の隼のやうな炯眼は、聯隊を検閲されるときなど、どんな小さな欠點でも、丁度明鏡に物の映るやうに、すぐ見つかつてしまひ、その神通眼の鋭さには、全師團の将率は恐れ慄いてゐる位であつた。
それで師團長の検閲となると、緊張そのもので、検閲當日の朝などは、早くから吾々は威儀を正して―むしろ堅くなつて営門の前に列んで師團長の來るのを待ち受けるのであつた。
やがて數名の幕僚を随へた將軍は、先頭に立つて威風堂々としてやつて來られるのであつた。
處が、此の一行の露拂となつて、半町も一町も前に威勢よく聯隊指してやつて來るものがある。それは誰れならん、何物ならん、將軍の寵愛措く能はずといつた御愛犬である。
師團長の犬といへばポインターかセツターの綺麗な犬かと思へば、何事ぞ、黒、四ツ目のアイヌの小型の、當時で言へばヤクザな犬であつた。それも一匹や二匹ならまだしも四、五匹群をなして一行の先頭を承はつてやつて來るから、對象のあまりによいのに驚かざるを得なかつた。
師團長は営門の前に来られると、劉喨たる喇叭は吹奏され、吾々は堅くなつて敬禮をする。將軍は受禮の後、例の小さな北海道土産の愛馬から下りられるのであつた。
さうすると犬共は、別當の牽いて行く馬の方に行つてしまうのが例になつてゐるが、時には馬が、聯隊の營内に引き込まれるやうなことがあつた。四、五匹の犬共は是れから氣分の新たな營内に這入るとでも思ふのであらう。
申し合はしたやうに、歩哨が銅像のやうに立つてゐる前の歩哨小屋や、営兵控所前のポスト……などのあつちこつちに、卑陋な話しだが、股を上げて一斉射撃を開始するのであつた。
凍り付いたやうな厳粛な場面に此の有様、―噴き出すわけにも行かず、皆な苦蟲を潰したやうな顔をして只だ見守るばかりであつた。
今言つたやうに、上原師團長の犬は揃ひも揃つて妙な犬ばかりであつたが、一匹トヨといふて、黒色のテリアの雑種で、毛の長い足の短かい小さな犬が居つた。このトヨと名づけたのは、將軍が、樺太の豊原から連れて來られたから豊と名づけられたので、仲々藝を澤山上手にやる犬であつた。この豊のことに付いて面白いことがあるから一寸お話しよう。
吾々が日曜に師團長を訪問して話を承はりに行つたときなど、將軍はよい氣分になつて色々な藝をさせて喜ばれてゐたが、その中將軍の面影を偲ぶ一つの藝がある。
それは「土嚢運べ」といふ藝である。
話は一寸横道に這入るが當時は、日露戰役後間もない露西亜の復讐戰があるといふので、新らしい戰雲は漂ひかけてゐた頃であつた。
明日の戰争を準備せよといふ勢ひで、日露戰争の時苦労した塹壕の攻撃の演習をよくやつたものだ。
その中に土嚢運搬といふ一つの課目があつた。
それは兵卒が、敵の鐡條網の前で、小銃彈や機關銃の射撃をよけながら、仰向けになつて寝たまゝ、後ろから前に寝てゐる兵隊にその土嚢を順々に前線に送つてやつて鐡條網の前に土嚢の陣地を築く演習であつた。
それで將軍が、トヨに向つて「土嚢運べ」の號令をかけると、トヨは矢張り仰向けになつて手足を前掻きして、丁度兵隊が土嚢を前線に送るやうな格好をするのであつた。とても面白可笑しな藝當であつたが、是れなどは犬好きな將軍の面目の中にも、その真骨頂が現はれてゐて感慨に堪えない。
この野趣萬々たる犬共は、豪勢にも宇都宮から華の都の東京へまでも乗り込んで來て、將軍に永く可愛がられたさうである。
十一月十三日
上原元帥葬儀當日、将軍の冥福を祈りつゝ認む。
陸軍少将大場彌平「犬好きであつた上原元帥」より 昭和8年

 

小野秀易「石崎さん、獣の獵區はどうですか?」
石崎芳太郎「最近雑誌に出てゐたが、岐阜縣では大垣の在で鹿が殖えたから獵區を設定したと云ふ事です」
植月浅雄「垂井から一寸在に入つた所です」
木村文蔵「鹿は東京から二時間程行くと四五十居る所があります。富山獵區ですが。所が其處にしゝが居り、年々四五人でしゝ撃ちに行きますがもう鹿は富山獵區から大分減つて來てゐます」
三和以宇壽「あすこは猪は多いが鹿は少なかつたですね」
木村「猪を追ひに行つても四五頭は出ます」
石崎「崖崩れの所ですか?」
木村「アヲネの間の川に山続きの所か南向の暖かい所に多く出ます。上村君、關君と三人で鹿を獲るつもりで行つたが雪に降られて歸つて來ました。東京から其處まで自動車で六圓で行きます。頼んで自動車を呼んでも七圓位で歸れるから、行き易い所ですね」
小野「鳥谷の獵區も犬さへ行けば鹿も取れます」
石崎「天城では犬を使はせるが日光では使はせないのでどういふ譯でせうか」
木村「日光はきれいな為に、此の次にやる場所も犬に追はれてしまふので犬を使わせないのです。二月の下旬になると人を見ると鹿は出て來ません。鹿といふものは彈がどこにでも當れば獲れます」
石崎「日光に入ると鹿を獲るよりも犬を獲つた方がいゝですよ」
三和「野犬ですか?」
木村「山犬です」
葛精一「うちの方にも鹿は外すが犬は外さんといふ名人が居ります」
記者「それでは今日はこの辺で終ります。有難うございました」
場所 丸ノ内 中央亭
開催日 十一月十三日
「雉子山鳥の獵を聴く會」より 昭和9年

 

平林家畜病院『狂犬病予防注射控簿 昭和十三年十月廿七日以降』より

昭和18年11月13日診察 


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