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Channel: 帝國ノ犬達
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イノシシvs.猟犬シロ

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或る舊正月の中頃なりし。

余は朝寝より未だ床を出ざる中に戸を音なふ人あり。昨日猪に討込(矢付)たれば、今日もそれを狩りに行かんとす。共に至らざるやと誘ひに來れるなり(こは豫て手近き場所へ猪の來るともあれば報知しくれるやう頼み置きしが故なり)。

即ち直ちに家内を急立てゝ辨厨を拵へ、例の腰辨にて共に一里程なる村内字長谷川なる某山に至れば、他の猟者も既に來り、同勢五人にて昨野猪の走れる途を見るに、なる程點々「スリ(血)」を落して大いなる足跡を付けつゝ、嶺を越へ字伏羊なる山林中に遁入したる跡あり。

それより手分して此の山林中より外へ逃れ出でしにあらざるや否やを見定むべく、各々其の任に就きたり。

余は未經驗なるためシロ(犬の名、薄茶斑なりしもシロと稱せり)と共に見廻りて、後に集合する場所にて待居りたり。

凡そ一時間位にてフミ(蹈の意にて獸の足跡を云ふ)を見來るもあれば、二時間餘りも要せしもあり。

各集合地に來り山を脱け出たる形跡をみとめざりしことを報ず。

此より某は勢子に行くべく某等は何處の討場(猪の逃れ行く途にて射撃に適當なる場所)へと手分け方畧を定めて愈々狩り立つる事となれり。

 

余も或る討場を受持てり。三日程前の殘雪は點々として雪解けにぬかるめる土を藁鞋に蹈みしめつゝ其部所に就けり。

練れざる余は柴やや薄の間を通る時は、こゝらあたりより猪の跳り出づるにあらざるかなどコワゴワながら受持ちの「ウチ」に至り、先づ程よき所を選びて待つこと暫時。

イケー、〃の喊聲はるか彼方に勢子ホオーッの聴ゆれば、直に猪の飛出しくるにあらずやと思ふ。

木枯傳ふ風の音にも胸もどき〃。谷底の泉聲も雅人然たる琴の響き所ではなし種々の韻を傳へきたる。

是れ迄某が猪に掛けられたとか、何處の犬が咬まれたとかいふ話を度々耳にしたれば、何とはなく凄愴の感を催し來る。稍少時してシロのワン〃吼へ立つる聲ひゞき來れり。

銃聲轟然(之れ猪鹿を逐ひ出せし際「オイヌキ」とて犬の勢力援助と且つは猪を遠くへ走らせ討場へ逐ひ遣る爲なり)出たぞー、〃、勢子が大聲にて呼ばりたり。

「バリ〃」と柴を蹴破る音を立てつゝ前山の中腹以上の所を大いなる猪が駈出すを見る。其の所の討にかまへ待ち居る獵者の前に達するや「ズトーン」。

確かに何れかに命中の様子と見とめられたり。

 

然れども急所をはずれたるにや、煙の中を「ガサ〃〃」と走り行き、その次の林へ走り込みたるまゝ出ず。シロは直ちに跡を追ひ行きその林に入るや「ワン〃〃」咆へ立つること頻りなり。

それへ前に射撃したる人と勢子のの二人、山の尾と尾とにて挟み、犬に「イケー」と助勢しつゝ林に這入りこめば、猪は一方の尾の方へ木柴を折らむばかりの勢にて遁れ出んとす。

勢子も老練にはあらざりしが、猪の姿を見るや「ズドーン」一發を射ちしも、狙點を謬りたりと見ゑ、猪は又林に入りて犬と頻りに格鬪する有様なり。

而して猪の犬に吼へ立てられ居たゝまらずして元きたりし方向へ逃れんとすれば、一人又「ズドーン」。

右に逃れ行けば狙撃し、左に遁れんとすれば又狙撃すること三、四回。

第五回の狙撃と其時迅く猪は發砲者を目掛けて驀然突進せり(猪は煙の中へ衝き入るといふことを能く耳にしたりしが、今現前にこれを見る)。

 

アワヤと思み時、早くシロは止めの彈を撃ちたりと思ひたりしならん。突入る猪の喉元目がけて嚙付たり。

と見ゑしが、猪と束になり「キアン〃〃」と犬の鳴きたると同時、敵は大石をころばすごとく柴木の梢を揺かしつゝ谷底に逃げ下りたり。

シロは獵者の傍ら迄行き、うつ俯しながら悲鳴を續け居たり。余の場所よりは其の有様を目前に見たりしも、距離遠くして無論銃丸の達すべきにあらざれば如何ともする能はず。

且つは練れざる余の幾分怖れを抱きたると又逸走しつゝ的の何時迂回し來るやも計られずと思ひたれば、討場にて待ち居たり。

其時勢子等が一同を呼び集めたれば、共に相集まりて先づシロの負傷を檢するに、幸ひ後脚の股なりしかば、命に別條なく早速一同の手拭を集めて繃帶を施し出血を防ぎ、胴着を脱ぎて躰を巻き、治療手當をなすべく二人して代る〃背負ひ山を越ゑてシロの宅へ送り運べり。

シロを送りたる二人の戻り來る迄に敵の遠くへ遁げ行きたるや否やを見定むべく、余も二人に随ひて跡を見廻りたるに、程遠からざる林に入りたるまゝにて其所よりは遁れ出たる形跡なし。

 

而して犬をつれかへりたる二人の來るを待ちつゝ、捕獲の晝策を協議せり。既に夕べに垂んとする時、二人も戻り來り、シロの敵を討取るべく二人は敵を狩り出しに、余と他の二人は射手として更にウチへ至り、待つ事少時。

「ドーン」と一發。

「出たぞ……、〃」と叫べり。

次いで「向ふへ逃るぞ、ハヤク行け〃……」

敵の遁るを追ふて「ズドーン、ドーン」と討ちかけ逐ひつゝ進めり。

余もコワゴワながら敵の先道を擁せむと山を廻りて麓に至れば、敵は彼方へ逃れ、此方へ遁る又兩三發銃聲せる方へ馳せ行けば、敵は又他の林に遁げ入れり。

時に空既に暮れたれば、明朝を約し集合場所を定めて憾を呑んで歸途に就けり。(未完)

 

千林子『余の初めての猪獵(大正12年)』より


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