生年月日 不明
犬種 エアデールテリア
性別 不明
地域 東京府
飼主 荒木芳蔵・警視庁犬の相談所主任
当ブログでもお馴染み、警視庁の荒木獣医が飼っていた愛犬たちのお話し。
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本年(※昭和13年)の一月九日の夜十一時頃、隣家の空家から出火して遂に自分の家まで全燒した。
丁度妻は病氣で寝てをり、文字通り着のみ着のまゝで一物も出せず(實は下駄箱を出した)に終つたが、火事の最中に愛犬のエアデール、テリーを救ひ出したのは、私としては大手柄と思つてゐる。
何しろ火に蔽はれた中で犬が咆えてゐる。
裏木戸は締つてゐる。
内から廻つて鍵をはづすことも出來ない。頑丈にこさえてをつた裏木戸を蹴破つて漸く犬を避難させた。
テリア種である故、鋭敏且氣が強く、他人を見れば必ず嚙みつく位の性質であつたのが、この火災には餘程驚かされたと見え、私の傍を決して離れなかつた。
そして澤山の人が出入りして、大騒ぎしてゐるのに咆えつきどころか、只私を見遁さないことのみしか念頭にない有様は、誠に可憐な、痛々しいものだつた。
犬を飼育してゐて火災に遭遇した場合、犬を避難させるには、犬箱の設備、場所その他について方法をよく考へてをかなければ、或は高價な愛犬を見殺しにすることもあることと痛切に感じた。
かやうに犬は漸くにして救ひ出すことは出來たが、可愛想に猫のタマのみは救ひ出すことが出來なかつたのを遺憾としてゐる。
このタマは生後一ヶ月足らずで、虎毛の牝。却々可愛かつた。
この猫の由來は、實は他の人から貰つて呉れと頼まれてゐて、方々に口をかけてゐたところ、同時に二匹の仔猫が手にはいり、一匹を私が飼養することになつたものである。
火災のあつた時には、仔猫のことでもあり炬燵の中にでも入つてゐたものか、私の眼には觸れなかつた。
一方、妻や子供を避難させることに一杯であつた爲め猫には氣付かなかつた。後になつて氣付いて見ると猫が見えぬ。さては燒殺したか、私達も漸く避難し得た状態で猫に氣付かなかつた様な始末を、猫も災難だと思つて成佛して呉れ、と自分で自分を慰めた。
翌朝になつて何氣なしに、塀の側にある野菜籠を見ると、その藁の中に偶然にもタマがゐた。愕いてよく見るとぬれ鼠の状態となつて凍死してゐた。
想像するに、火事の最中に外に逃げ出し、籠の中に避難したところを、ポンプの水にかけられ、酷寒の候とて、仔猫でもある故、逃げる術もなく、遂に凍死したものと思はれる。誠に可愛想でならなかつた。
早速寺に葬つて、懇に供養してやつたが今以て心殘りである。
『愛犬漫談(昭和13年)』より