日本で近代的盲導犬の研究がスタートしたのは昭和4年頃からですが、あくまで書籍や欧州旅行者から得た情報に過ぎませんでした。
我が国に本物の盲導犬が上陸したのは昭和13年のこと。
世界旅行中のアメリカ人盲学生ゴルドン氏が盲導犬オルティと共に日本へ立ち寄ったのです。帝国ホテルで犬の宿泊を一旦断られて途方に暮れたものの、盲導犬への対策不備報道は瞬く間に各方面へ伝播。おかげで関西方面のホテルは盲導犬宿泊歓迎となりました。
オルティを取材した福祉関係者と畜犬団体はその能力に目を見張り、国産盲導犬の作出を真剣に検討し始めます。
しかし盲導犬への無理解、誘導を阻む野犬や放し飼いの横行、土足を禁じた日本式家屋など問題は山積状態。
米国盲導犬団体「シーイング・アイ」から陸軍省医務局への伝言を携えたゴールドン氏は、失明軍人の社会復帰事業支援を約束して帰国しました。
結局のところ、日本陸軍は関係が悪化したアメリカではなくドイツからの盲導犬輸入を選定。翌14年に4頭の盲導犬を輸入し、東京第一陸軍病院での運用に着手しています。
残念ながら、陸軍省自体は戦地へ投入するシェパードが優先。省内で盲導犬推進派の医務局は劣勢となり、日本シェパード犬協会(JSV)に事業丸投げをはかります。「盲導犬事業は日本国家が責任をもつ」というドイツ側との約束を反故にされたJSVは激怒し、事業から撤退。盲導犬事業から外されていた帝国軍用犬協会も不貞腐れた態度に終始し、戦時盲導犬計画は先細りとなったまま戦局悪化を迎えました。
いっぽう帰国したオルティは病死、次の盲導犬シスも前肢切断の事故にあう不幸に見舞われました。ゴールドン氏は太平洋戦争中も日本盲導犬事業の行く末を案じており、日本敗戦から7年後に犬界関係者へ激励の手紙を出しています。
今回は、オルティが日米親善に役立ったというお話(真珠湾攻撃の3年前です)。
ゴールドン氏とオルティと西郷さんとツン(昭和14年)
今一つ、失明青年ゴルドン君とその盲導犬のことである。新聞雑誌を通じて彼等の動静は充分御承知のことゝ思ふが、一旦神戸まで行つた彼等が、彼等に寄せられた東都愛犬家有志の厚情に感激の餘り、再び東京に引き返し、その厚意に感謝し、更めて横濱から乗船歸國の途についたことである。
愛犬家有志の彼等に示された友情こそは、私に言はしめれば犬界第一のヒツトである。如何に派手な催しもどれ程優秀な名犬の渡來産出にもまして、遥に有意義なものであると思ふ。
彼ゴルドン君は、日本に上陸前日本内地で犬と一緒の生活が如何に窮屈なものであるかを聴かされて憂鬱になつてゐた處、案に相違の好條件にすつかり朗らかになつたと云ふことであるが、暗黑の世界に生きる人だけに、その喜びも感謝の念もまた切實なものがあつたに違ひない。
何々博士、何々議員と云つた方方の國民使節や、一夜數千金を振舞ふ儀禮的大夜宴もさることながら、帝犬、JSV其他有志の方々がたつた一人の盲人と、彼れのベターハーフなる盲導犬に寄せられた友情好意こそは、國民親善外交の第一級に位するものである。
相手が盲人と動物である丈けに、國際親善に寄與する處また絶大なものがあるに相違ないと思ふ。
彼ゴルドン君が我々に盲導犬の實際を見せて呉れたことに感謝すると共に、彼等が日本に於ける、よき印象を回顧しつゝ、恙なき船路に終始せんことを祈つてやまない。
伊東善吉『犬界雑記帳(昭和13年)』より