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犬と音楽(明治38年)

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帝國ノ犬達-音楽犬 

こちらは音楽を聴き分ける学者犬トミー2号(本文とは関係ありません)

彼女が家の父上兄上達、いみじう狩獵を好まれければ、犬を愛でいつくしみ給ひて、絶えず二頭三頭づゝ飼ひ置き給ひける。
それが中の曾比(そび)と云へる牡は、天さがる鄙のならひとて、かの一文飴屋といふ翁の來りて、里の髫髪子らに、飴買へと草笛吹鳴らせて、昨日の狩くらに、いみじく疲れて、たゆげに四肢打伸べ、鼾高らかにかきつゝ寝たる折だも、つと起上りて、そが竹笛の音いろにならふ事折々にてありき。
次いで養へる以智(いち)とよべる、やまと種と外國種(とつくにだね)との雑りたる牝は、性質粗暴(あらあら)しく、わきてもえのころ(仔犬)持たる時など、心ねじけて、我人の差別(けじめ)もならず、咬み付きなどすれば、かゝる折は、詮術なさに、鐵の鎖もて、かたくなにつなぎ置くを例としけるに、ある日すぐれて堪能なりける、行脚の虚無僧の、柴の庵に音のふて、鶴の巣籠りの曲の尺ほがらに吹すさめば、彼の荒びたる心根も、春のごとにや和(な)ぎけん。
えのころにふくめたる乳房ふりはなして、むくむくと起上り、耳を垂れ、尾を揺り、御僧が笛の歌口見入りて、羨しげに細く永き異やゐなる聲音(こわね)を立てけり。
今飼ふ與津(よづ)と云へる、是も雑り種のいと小柄なる牡は、此上なう性質怜悧(さがさか)しければ、よくも主の吩咐(いいつけ)を聞分け、人の心をも推測(おしはか)り、けしきをさへ見所(みと)る事など、婢らの愚かなるものよりは、一と際すぐるゝばかりにおぼゆるなるが、彼は軍隊の行軍あるは、學校生徒の運動會すとて、隊伍とゝのへ、喇叭吹奏(ふきかな)であるは、種々(くさぐさ)の廣告すとて音樂隊の曲譜演奏しつゝ來し時はもとより、暇ある折節、家の兄弟姉妹達が、和琴、風琴、月琴かなで、かつは清笛、銀笛など吹すさめば、何處に伏せりたる折も、矢庭に走り來て、そが音譜に合せて、歌うたひ出づるを常となすなり。
實に古今集の序に、花になくうぐひす、水にすむ蛙の聲を聞けば、生とし生けるもの、いづれかうたをよまざりける。
力をも入れずして、天地をうごかし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲を和らげ、たけきものゝふの心をもなぐさむるはうた(歌)なり。
云々と貫之の朝臣が書き付け置かれたる、言わざなど思ひ合され、妙なる音律(ねいろ)、勝れたる曲調(ふし)にははしたなき、獣 の身も感に打れて、そが良心(まごころ)をうごかすとぞおぼゆめる。
噫(ああ)是を思えば、よろづのものゝ長とたゝ(ただ)をらるゝ人にして、うたうたはず、音 楽このまぬ輩は、誠に犬にも劣りぬる心とや言はんかし、あなかしこ。

 

駿河 うらは子『狗の謡』より


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