見渡す限り黄色い高粱畑と雑木林である。落葉の散亂する並木道は長蛇の如く續き、戰車の列が通過すると、濛々と捲き起る黄塵が過ぎ來し路面を蔽つてしまふ。
操縦席の傍に私と並んで蹲み込んでゐる新聞記者は、戰車の動揺が激しいので、彈藥箱に固くしがみついたままでゐる。
休憩の命が下ると、戰車は道路の左側にずらりと並んで停つた。すると記者子が「小便をしたいんですが…」と遠慮勝ちに云ふ。
「さアどうぞ。早くして來ないと置いてきぼりを食ひますよ」
記者は肩からリユツクサツクを下ろして戰車から抜け出した。
道端や付近の畑には、昨夜陽明堡を占領した歩兵隊が背嚢を枕に三々五々砂埃の漂ふ中に芋の子を轉がしたやうにごろ〃寝てゐる。溝の横に眠つてゐる一人の兵隊が、埃で白く染まつた髯に埋れてゐる唇をムニヤ〃動かしてゐるので、見ると、楊の木に繋いだ軍馬がジヤーとやらかす小便の飛沫が飛んでゐるのだつた。
鐵兜を胸に抱いてゆすぶつてゐるものもある。屹度故郷の妻子のことでも夢見てゐるのだらう。
昨夜徹宵で攻撃した疲勞そのまゝの寝相だ。
軈て戻つて來た記者が「こんなものが落ちてゐましたよ」と云つて、砲丸のやうな鐵塊を重さうに抱いてニコ〃戰車にはいつて來た。
三人がこれを見て一せいに聲をあげた。
「危い!地雷だ〃」
流石の我々も尻込みして手を振つた。狭い戰鬪室では逃げる場所もない。爆發でもしたらそれこそ四人は木っ端微塵だ。
「……どうしたらいゝんでせう?」
記者子は腰を抜かさんばかりに驚いたやうだが、どうすることも出來ないので、地雷を抱いたまゝ眞蒼になつて立ちすくんでゐる。
「どうしたもかうしたもありませんよ。いや、とんでもないものを持ち込まれちやつた。おい山田、早くどうか始末をつけてくれよ!爆發でもしたら俺達は全滅だ!」と私が哀願するやうに云ふと、山田の野郎平氣でそれを受取つて「一たい何處から持つて來たんです?」とにや〃笑ふ。
「直ぐ其處の粟畑の中です。小便をしてゐたら、土に埋まつててつぺんだけちよつぴり見えてゐたもんで、何だらうと思つて掘り出して來たんです」
「いやはや、こいつあ傑作だ。アツハ……」と山田の野郎、地雷を抱へたまゝ體をゆすつて笑ふので、私はハラ〃して、「おい〃嫌だね山田、をかしいどころの騒ぎぢやない。動かすと爆發するぢやないか。早く持つて行つてくれよ!」と操縦席に身を縮めて促した。
「なか〃重いもんだね!」と云ひながら、山田は出て行つた。
すると記者は肩を落としてほツとし、「あれが地雷といふもんでしたかね。僕は又、素晴しい骨董を發掘したと喜んで持つて來たんですのに―。なにしろ愕いた。しかし從軍記者が地雷を知らないなんて、ちよつと恥しいですね」と頭を掻く。
私も三井も腹を抱へて笑つた。
山田が戻つて來て、前方の部落で火葬が行はれて居ると話すと、記者は「それは××兵團でせう。何でも陽明堡の戰鬪で×名近くの犠牲者を出したと聞きましたから。……ぢや僕も、此の邊で皆様とさよならして、これから火葬場へ行きませう。どうも有難うございました」と云つてリユツクサツクを背負ひ、戰車から出て行つた。」
出發命令が下つて、戰車部隊は再び動き出した。
斯くて十月八日の夕方、私達は敵前八キロの啍北雲村といふ小部落に到着して、此處で明日の戰鬪準備をなしつゝ露營をすることになつたのである。
すでに前方には斥候が活躍してゐるらしく、ときたま銃聲が聞えて來る。
其處は並木道から二キロほど離れた小部落で、住民は悉く避難してしまひ、頑丈な土壁で圍繞された家々には、置いてきぼりにされた犬が、戰車に向つて吠えつく。
廃墟のやうな殺風景な部落だ。
設營係の案内で、私達の寝る家が指示された。その家の土壁に沿つた道の片端に戰車を並べて停め、燃料脂油の補給、簡單な故障の修理、社内の整理、銃砲の整備等を終へた後、附近から木の枝や高粱桿を擔いで來て、それを戰車に蔽せて擬装した。
段列(各隊毎にあるトラツク隊で、戰車と緊密な關係を持ち、輜重、修理、警備を任とする)の連中は、既に警戒の區署に配備された。
道傍の楊柳の梢から降る落葉を浴びて立つ歩哨の銃劔は鏡のやうに研ぎ澄され、足下には、弱々しい秋の夕陽が纏つてゐた。
私達は、露營に必要な品を戰車から持ち出して、土壁を繞らした大きな農家の頑丈な門を入つた。圍壁の中の廣い庭では氣の早い連中が、もう高粱桿を景氣よく焚いて談義を始めてゐる。
新京バス運転手(元陸軍戦車兵)小林實『干柿と戦車(康徳6年)』より