拾年前洪水のあつたのは丁度八月の八日で、此の八日と云ふ日は毎月悪日だと老人は迷信から称へて八日にはなるべく家内中一同を外出させぬやうにして居るのだ。
老人の迷信でつまらぬ事だと思つて居る八日の夜に恐ろしい洪水に襲はれたのであつた。
「どゞゞ泥棒です」と怖ろしさうに女中の一人が父の居間へ告げた。
「何、泥棒だ」と父は日頃寝床の傍に置いてあるピストルを手にしながら飛び起きた。
「何處だ」と女中に問ふと、女中はブル〃身を凛はしながら、「御臺所の戸をこぢ開けやうとして居ます」と答へた。
「千禄々々」と父の大きな声が私の夢を破つた。
「泥棒ださうだ」と父は私に告げた。
「犬が居るのに吠へないぢやーありませんか」と私は不思議に想ひながら父に問ふと
「臺所の戸をこぢ開けて居るんだ」と父が云ふので、私は二連発の猟銃へ弾を込めて臺所へ行つた。
「ミリ〃」と云ふ音をさせて臺所の戸を成程こぢ開けやうとして居る。
「誰だ」と私は破れんばかりの大きな声を出した。
「ミリ〃」私の声に関せず、不相変こぢあけやうとして居る。
「先んずれば人を制す」とやら、私は勇気を出して戸の錠を外して猟銃を片手に戸を開けた。突、入り来れるは賊に非ず犬であつた、愛犬グリーであつた。
「御父さんグリーですよ」と私は少し安心したやうな声を出して父に告げた。
「何んだ馬鹿らしい」と一同が笑つた。
「あんまり雨が強いのでグリーが寝床が濡れたから、それで臺所へ入らうと思つたのだらう」と私が云はぬ内に臺所の土間へ、それは丁度船の底に穴が開いて水が入るやうに、音もなく水が入つて来るのであつた。
「おや」と叫んで居る内に臺所の土間は水が一杯になつた。
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「大水だ〃」と一同はあわてふためいた。それまでにも二、三度水に襲はれた事があるので三尺程の木製の臺も準備されてあつた。
犬を犬舎へ助けに行つた残りの者は、此の臺の上に畳を乗せて、其上へ箪笥や長持や総ての家財道具を運ぶのであつた。
私の家は其の頃往来から四尺程低く、丁度川の中に家が建てられてあつたやうなもので、助けた犬は向側の水に安全な家や、忠臣蔵で有名な寺坂吉右衛門の祭られてある曹渓寺の厚意で其處へ連れて行つた。
犬を運び出す、家財道具を高い所へ運ぶ、其の三十分間と云ふものは主人も奉公人も夢中だ。臺所の土間に水を見てから三十分間後には床上五寸迄水は増して来て居た。
「犬はみんな無事だつたので何よりだ」と父は喜んでニコ〃して居る。女達は床上に水が来たので岡崎と云ふ家へ避難をした。
跡に残つたのは父と私、夫れから近所から手傳ひに来て呉れた五名の人と、一名の書生とであつた。
「水は刻々と増して来る」「どんなに増したつて三尺の此の木脚の上へは来ないから大丈夫さ」と父が云ふ頃には床上二尺になつて、跡一尺で畳の乗せてある木製の臺も役をせぬわけだ。
「若し三尺以上出たら何から何迄水浸しになるが、外へ持つて出れば此の大雨で何にもならぬ。仕方がないから此の儘にして置くより手段はない」と私は心細い事を云ひ出した。
「大丈夫だよ」と父は口にこそ云つて居るが、喘息が持病の父の顔色は悪い。
「御父さんは岡崎の宅へ御出なさい。私がみんなと残つて居りますから」と私が云ふ頃は、雨の為に電線に故障が生じたのであらう。電燈が消へて真の暗になつた。
「提灯だ〃」と父は叫んだ。天井につるしてあつた提灯は無事であつたが、マツチはみんな濡つて居て、提灯に火を點ずる事も出来ない。真暗の中に血色の悪い人々の顔が水に影じて微に見へる。
「それぢやー俺は岡崎の家に行くが、おまへも跡から来なさい」と父は書生に背負つて貰つて往来に出やうと門を開けると拾疋程の犬が競ふて父と入れ違ひにザブ〃と泳ぎながら入つて来て、真暗な家の中をクン〃云ひながら右往左往する。
「馬鹿な!」おまへ達こんな所へ来ると死んで仕舞ふよ」と私が云つても犬に通ずるわけがない。寺へ繋いで置いた犬が鎖を離れて帰つて来たのだ。
水は段々と増して床上三尺位になつたから、木製の臺の上の畳へ水が浸潤して来た。犬も此の儘にして置けない。往来へ連れ出さうと云ふので、いやがる犬を一同で無理に往来の方へ連れて行く。
背の低い男などは床の下へ降りれば背が立たないから犬を泳ぎながら往来へ連れ出すのだ。往来も一尺位の深さの川と変つて居る。雨はいつまでも止みそうもない。
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「ミシリ〃」と實に凄い物音がしたかと思ふと、「萬歳々々」と云ふ叫び声とザブンと水中へ何か飛込む音が聞へる。
「染物屋の工場が遂々流れました」と手傳ひに来て居た近所の男の一人は云つた。染物屋の主人が工場の屋根に職人と共に上つて居つたが、愈々恐ろしい水の力で工場が流されたから、思はず萬歳と叫んで水中へ飛び込み避難したのであつた。
「萬歳々々」
喜びの時而巳に使はれる萬歳の声も、此の場合には悲哀が充分に含まれて居た。人間は負け惜しみの強いものだ。
水はいやが上にも増して来て、三枚四枚の畳も見へずなり、箪笥の下の引き出しもそろ〃水が浸つて居る。私は萬歳とは云はぬが、「もう仕方ない」と思つた。
鴨居の釘にかけてある写真器の入つた鞄は水面とすれ〃になつた。
「あの写真器へ水が届けば水が増すのだ」と私は云つた。こんなに水が増して来ても、今に少しでも減りはせぬか〃と云ふ気がある。
写真器は水の増減を計るべき器械になつた。写真器の鞄は半分水で蔽されて仕舞つた。
寒くはなるし、私も長く水中に我慢をして居られなくなつて、一同を促して岡崎の家に避難をした。
父や母は私を心配して居て「何故もつとはやく引き揚げて来ないのだ」と小言を云つた。斯様云ふ小言は嬉しく感ずるものだ。
其處の宅で御湯に入つて又私は家の傍へ見廻りに行つた。私の姿を見ると方々から犬が集まつて来て、クン〃云ひながら心配さうな顔つきをして居る。
「今頃はおまへ達の家も染物やの工場も共に流されたらう」と私は犬に向つて云つたが、犬は返事をするわけもない。
やがてピカリ〃と光つたかと思ふと、遠くの方で雷の響がする。そうして雨は小降りになつて来た。私は門の扉へ乗つて家の中を眺めた。
いつの間にか電気が點じて、家の中の混乱を私に見せて呉れる。
荷物は水の為に揉みに揉まれて家の中に満ちて居る。箪笥が傾いて船のやうに浮いて、其の上にポチと云ふテリヤ種の犬がいつの間に入つて居たのか、恐ろしさうに乗つて居る。犬の頭は天井に迄届いて居る程で、水は遠慮なく鴨居近く迄浸したと云ふ事も判つた。
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空がほんのりと明るくなつた頃、往来も人通りの出来るやうになつた頃、ポク〃と靴の音がする。
門の扉にボンヤリ家の中を眺めて居る私に靴の人は手帳を出して「皆さんは何處へ御立退になりましたか」と問ふから「岡崎と云ふ家へ参つて居ります」
「あの區會議員の岡崎さんの御宅ですか」と判り切つた事を云つて「犬は何處へ避難させましたか」とは聞いて呉れないのを私は不服に思つた。
「別段御怪我はありませんでしたか」と、未だ警官は其處に居た。
私は門の扉に馬乗りになりながら「犬も無事でした」と態々犬と云ふ事をこちらから云ひ出した。
「成程、御宅には犬が沢山で大変でしたらう。犬は幾匹か流されましたか」と此處ではじめて犬の安否は警官の口から問はれた。
「御かげで一匹も死にませんでした」と妙な處へ私は御かげを付けた。そうして今頃になつて、警官が御役目的に見舞つて呉れたつて何になる。あの騒ぎの最中、一匹の犬でも避難さして呉れたらと云ふ私の不満は確かにあつた。
「犬屋の犬が全部死んで仕舞つた」と誰云ふとなく傳はつたものだ。
其犬屋の不幸を見物すべく、集るは〃往来は御祭でもあるやうに、そうして其水害の状況を見物する人達は女なら白粉をコテ〃塗つて「犬は何處に死んで居るんですか」と圖々しくも門の扉の上に居る私に問ふたものだ。
「犬ですか。みんな流れて仕舞つたんです」と嘘の事を私は答へた。
「おや可愛想に」と此の女は云つたが、真實に犬を憐む心から此の言葉が出たのであらうか。
千禄「洪水と犬」より 大正9年
死者769名を出した関東大水害ですが、実際に起きたのは8月11日だそうです。
被災者宅につめかける野次馬とかイロイロ酷いですねえ。騒ぎにかこつけて千禄さん宅の犬を盗もうとした人までいたとか。
洪水の襲来を報せたグリーは水害から間もなくして病死。
染物工場を流された御主人はショックで心を病み、「工場の設計圖を毎日作って見ては笑ひながら遂に此世を去つた」と記されています。
あと、コレは明治時代のペット商に関する貴重な記録でもあります。
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関東大水害と犬・明治43年
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