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Channel: 帝國ノ犬達
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ロビーと島(軍犬)

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生年月日 ロビー 昭和11年、 島 昭和13年
犬種 エアデールテリア
性別 ロビーが牝、島が牝

「○○部隊のマスコツトと言へば、あゝあの軍犬かと言はれる程人気者、エアデール・テリア種のロビー號と島號。
彼等の出生地は日本の東と西。ロビー號は當時三歳の牡犬、島號は同一歳半の牝犬でやんちや盛りである。
昭和十四年七月召されて同じ戦線に御奉公する様に成つたのであつた。
彼等は人間と同じ様に赤タスキを掛けて征途に就き、七月○日○○地に上陸、○○部隊に軍犬としての第一歩を踏み出したのであつた。
それからは毎日々々雨の日も風の日も尚又百数十度の炎天下も前戦進出を目標に教練が始められたのであつた。當時はまだ犬舎と言つても充分でなく、同じ犬舎 に二頭乃至三頭が入れられたのだつた。したがつてロビー號島號は犬種が同一である為め言ふまでも無く同じ犬舎に暮らす事となつた。それで又担任者も同じの 渡邊一等兵である。
彼は軍犬に取つては日浅い兵隊であつたが、やさしい理解ある人間だつた。
併し教練と成ると自分が充分知らない為め相當無理な要求をした。自分の訓練技術が上達するにつれて無理な要求も次第に少くなつて来た。
与餌の時などは他の軍犬より上等なのを食べて居た彼等は入隊と同時に部隊の人気者に成つて居た為め、担任者以外の者まで彼等の為めに色々な物を与へて呉れる事が多かつた。
或時なぞ、部隊長殿までロビー號島號の為めに肉類を求めて来られる事さへあつた。
数ヶ月して彼等軍犬等にも前戦進出の命は下つた。他の軍犬等はそれ〃任務に就いたが、なぜかロビー號島號には前戦進出の命が下らなかつた。
それは可愛いマスコツトを前線に出すにしのびず、留守隊に残した部隊長殿のやさしい親心からだつた。
しかし担当者の渡邊一等兵は言ふに及ばず、ロビー號島號に取つては實に残念な事だつた」
「帰還軍犬兵記」より 昭和16年

むかしエアデール編にて取り上げたロビーと島。
彼等のようにマスコット扱いされていた軍犬がいた、という話はよく目にします。
上記のように所属部隊の指揮官が愛犬家だったり、または軍務には使い物にならなかったり、その理由は様々だったのでしょう。
前線への投入を避けられてきたロビーと島ですが、悲しい別れが待っていました。
検閲で伏字にしていた部隊名とかバレバレですが、2頭の後日談をどうぞ。

「各戦線に従軍した記者は、砲煙弾雨の中を傳令や偵察にかけめぐり兵隊さんに劣らぬ勲を立ててゐる軍用犬の話はよくきいたが、これは昨年、記者が南京で實際に見た軍用犬の美はしい話である。
南京城内にゐた辻井部隊では沢山の軍用犬が訓練され、作戦の度に傳令や偵察に使用されてゐたが、この中に昨年五月、東京市赤坂區丹後町渡邊正一郎氏が愛育したエアデル・テリヤ種のロビー號といふのがゐた。
ロビー號は當時四歳の優秀犬で、昨年六月現地へきてから、同じころ牛込の陸軍冨山学校から應召してきたエアデル・テリヤ種の島號とコンビとなり、偵察や傳令に使用され、いつも素晴らしい活躍をしてゐた。
二頭はとても仲よしで担當の渡邊義男一等兵が、朝食事を運んできてもどちらか一頭が寝てゐる際は食べないで、起きるまで待つて二頭揃つて食べる等のこまやかな愛情を捧げ合つて担任の兵隊さんをスツカリ感激させてゐた。
ところが昨年八月高淳作戦に参加したとき、三歳の島號が病気となり後送され治療をうけてゐたが、獣医官の手當の効ひなく九月卅日心臓犬糸状蟲症で死んでしまつた。
今まで自分の子供の如く可愛いがつてゐた渡邊一等兵はがつかりしてゐたが、奮起して営庭の一隅に島號の墓を立て、大陸の野に咲き乱れてゐる桃の片花を供へて、懇に弔つてやつた。
十月作戦が終へて我が陣地へ帰り、庭の一隅で戦友島號の墓をふとみてかなぜか急に元気がなくなつた、渡邊一等兵が毎朝食を犬舎にもつて行くと、ロビー號の姿が見えないので、犬舎内をさがして見ると、島號の墓前にシヨンボリと、たたずんでゐる。
そら戦友の墓詣りをしてゐるのだ、それが雨の日も風の日も墓のそばを去らうとしない。
このいぢらしい姿には、髯の勇士達もホロリとさせられてゐた。
人間愛にまさる有様をみた記者もホロリとしたのであつた」

東京日日新聞社従軍記者 西元利盛「軍馬軍犬美談」より 昭和15年






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