余の知人にて、先年八王子附近へ雉子猟に出掛けたる帰り道に見事な一頭のポインターが其辺をうろつき居るを見て、定めて主人を見失ひし犬ならんと思ひ、附近の子供に聞きたるに機屋の番犬と云ふことが解り、早速其の主人に面會して其犬を譲り受けたり。
其時の談に商用にて横濱へ行きし時、路傍に一頭の小犬うろつき居りて、機屋の主人の跡を慕ひ停車場迄来りし故、愛らしく思ひ泥だらけの穢なき犬なりしも連れ来り今日迄育てたり。
別に犬の事は知らざる故何も仕込まず番犬として家の廻りに置きしのみとのことなりし、友人は之を貰ひ受け翌日又々出猟せしに、鶉を發見し之を射落せしに其犬は他の犬と共に飛び行き他の犬の噛へ来るを見て共に其傍に付き来れり。
其より数分間を経て又一羽射落せしに、此度は其犬が持ち来れり。
其日午後河の側にて小鴨を射落せしに其の犬は直ちに水中へ飛び込み噛へ来れり。而して此犬は家庭教育なきが故、何物を投じても決して噛へ来ることなく只獲物に限りて咥ひ来るは頗る変妙にて、これ純粋種の先天的に猟を知れる貴重なる價値のある點なり。
今これに反對の一例を挙げんに、先年余は某官省に使ふる一友人より保証付きにて純粋種の仔犬を買ひ受けたることあり。
直に猟師に托し一年間充分に訓練せしも少しも猟を覚えず、不思議に思ひ良く探如せしに、野犬の仔なるを発見せり。現に其姿勢顔貌少しも猟犬らしき所なく、此の如く其性質になきものは如何に専門家が努力するも猟犬とはなし得られざるものなり。
故に良種を選定するは狩猟家に取つては最も必要なる事にして、如何なる手腕家も犬が悪劣なれば、到底獲物は無きものと覚悟せざる可らず。
渡邊秋造「良種猟犬の價値」より 大正14年
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猟犬たる性質
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