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犬の飼い方☆江戸時代編

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「帝國ノ犬達」は近代日本の話を対象としておりますが、ネタ切れの時はその限りではございません。

そういう訳で、今回の犬本は近世が対象です。
明治中期以降、犬の飼育マニュアルは数多く出版されてきました。
明治20年代は猟犬訓練、後期には海外の犬本を邦訳したものが現れます。
昭和に入って続々と登場した愛犬雑誌や畜犬団体の会報は、戦後になって更に発展。
現在では、インターネットの登場によって誰もが最新の飼育知識を得られるようになりました。

では、「それ以前」はどうだったのでしょうか?

帝國ノ犬達-神前
神前での犬の繋ぎ方にも決まりがありました。徳川時代の史料より


日本畜犬界の中心は東京だと誰もが思う筈。
しかし、かつての日本犬界には「関東犬界」と「関西犬界」という二つの勢力が存在し、独自の発展を遂げてきました。
それぞれ国際港の横濱と神戸を有し、愛犬家の人口も多いという共通点はあります。
両者を決定的に分けてしまったのが、大正12年に発生した関東大震災。
これによって関東犬界は壊滅し、日本犬界の中心は関西へと移ります。
以降、神戸港には続々と名犬が上陸し「関東の人間が審査し、関西の犬が受賞する」と揶揄される状況へと至ったのです。

さて、江戸時代はどうだったのかというと、やはり東西それぞれの畜犬界があった様です。
多数の藩に分れていた時代ですから、東西で区切るのが適切かどうかはよく分かりません。

取敢えず江戸から。
当時の江戸の人々は犬を食用にしていたとの記述が「落穂集」に書かれてあるそうですし、「頭書増補訓蒙圖彙大成 」の解説でも、唐犬やムク犬と違って和犬は食用動物扱い。
生類憐令という極端な動物愛護運動もありましたが、その揺り戻しも大きかった様です。
あまり楽しそうな話は見つかりませんね。

江戸に対して上方はどのような状況だったのか。
幸いにも、大阪には多くの犬物語を記した人物がいました。
それが、戯作者にして浮世絵師の暁鐘成です。

江戸時代にも犬を飼う人はいましたから、犬の飼育指南書がありました。
有名なのが狆の飼育本。その他、武家の鷹飼部屋では鷹狩犬を飼う作法や飼育用具などが図解入りでマニュアル化されていました。

勿論、一般庶民向けの犬本も存在します。
それが、暁鐘成の著した「犬狗養畜傳」。
現存する江戸期唯一の犬の飼育本です。

帝國ノ犬達-犬狗養畜傳


犬狗養畜傳
浪華の戯作者暁鐘成の著、天保年間の版行と推定される。
今日の所謂犬の飼ひ方、病気手當の方法を述べたもので、表紙は奈良の法華寺の犬守りの圖に「見も知らぬ人にもなるる犬の子に、なぜか佛の心なからん」と村上潔雄の歌をのせて居る。
見返しには徒然草の生き物憐みの文をのせ、口絵には母犬に戯ふる仔犬を畫き、「主しらぬ岡部の里を来てとへば こたへぬ先に犬ぞとがむる」の京極の歌がのせてある。
序文には和漢今古の文を引いて犬狗 養慈悲を施す可きをのべ、本書を著すの意を記し、本文には中毒、皮膚病、負傷等の手當から平常の食事、寝床、犬殺しへ の諸注意に至るまで事細かに書き、奥書として瘈狗良方、犬の病を治す薬、病気診断の法、大阪心斎橋通博労町清水谷滄海堂精製の犬薬、瘈犬快生散、猘犬潤和 散、閉犬速開散、柔狗強壮散、瘈犬唆傷救愈散等の売薬の廣告をのせて居る。
著者暁鐘成は又の名鶏鳴舎晴翁、性は木村氏、通称彌四郎、諱の明啓、著述は諸國の圖會や、芝居に関したもの、其他有名な雲錦随筆、蒹葭堂雑録等五十種にあまり、犬を愛すること類なく、他にも古今和漢の忠犬義犬談を編集した「犬の草紙」、別名古今霊獣談奇六巻の著がある。
齋藤弘「犬の古文書」より 昭和8年

さて。
飼育専門の指南本ではありませんが、江戸期の飼育マニュアルは他にもあります。
それが、上記で取り上げられた愛犬物語「犬の草紙」第6巻(の付録)。
作者は「犬狗養畜傳」と同じ暁鐘成です。

獣医薬の宣伝を兼ねていた犬狗養畜傳とは違い、こちらは春夏秋冬の飼育法を主体としたもの。内容の一部は重複していますけどね。
解説されているのも「清潔を保ち、新鮮な餌と清浄な水を与える事」という基本的なことばかり。

「犬の草紙」では、唐土や日本に伝わる忠犬・義犬談、愛犬物語、犬にまつわる奇譚や怪談、動物虐待への戒めといった話が集められています。
これだけ多様な犬物語が江戸時代の日本に存在したという事は、当時の人々が犬について大きな関心を持っていた証。
少なくとも、この種の本に需要がある位には愛犬家の数も揃っていたのでしょう。

「犬の草紙」の中で最も胸を打ったのは、鐘成自身が建立した愛犬「皓(しろ)」の慰霊碑 のお話でした。
鐘成さんはどのようにしてシロを飼っていたのか。
それを知る手がかりが、第六巻の付録に記されています。

帝國ノ犬達-暁鐘成

犬狗をやしなひ育つる慈愛の心得

〇犬馬銭(まちん)の毒に中(あた)るときハ、急に冷たる水を呑ましむべし。其毒を解す。又平生に冷たる茶を飲ませをけバ、毒の中り少しといふ。
予が知人餘りて捨べき茶を日毎に食にかけて喰せり。いまだ試みざれども、茶ハ冷すものなれバ、腹中の熱をさまして、最も彼には薬なるべし。
〇狗病を発する時ハ桃の木の葉を搗爛し、其皮毛にすりつけ、少時して是をあらひ去るべし。斯のごとく数回すれバ終には治するなり。
〇癬疥を生ずるときハ好(よき)茶を煎じ、一夜冷して後是を洗ふべし。
〇創(きず)を受る時ハ、急に小豆を煮て喰しむべし。多くハ粒を嫌ふものなれバ、能すりつぶして喰しむべし。
若きらひて喰ざれバ、魚の汁などをかけて喰すべし。且灼傷(やけど)打傷等にもよし。
凡そ小疵ハ自ら舐りて癒ゆるといへども、所によりてハ舌とどかずして舐ることあたハざることあり。
何れにもあれ、創をうけなバいそぎ小豆を煮て食せしめ、早く痛苦を救ふべし。
〇凡そ犬の煩ふにハ、小豆を煮て喰しむれバ大概ハ治する者なり。若治し難き時ハ唐の烏薬(※漢方薬。乾燥したテンダイウヤクの根です)を細末し食用の物に交ゆるか、又ハ米粉の團子などに和し、丸薬の如く製へ、魚類の汁などに漬し服しむべし。
予年來用ひて其験(しるし)を識れり。
〇壁虱(ダニ)皮に入て血を吸ふこと常にあり。多くハ指の股に喰つく故に、必ず脚をかゞむる事あり。
其歩むに珍跛のごとくなるハ怪我にあらざれば、指の股を穿鑿して、是をとりて助くべし。
又耳の中耳のふちなどにも喰つきをれば、時〃見て遣すべし。
其余(そのほか)蚤虱をも取るべし。
〇狗蠅は多く老たる狗にわくものにして、凡そ頸のひとりに群り、毛の中を潜りて血を吸ふものなり。狗蠅ハたばこの脂を禁ふゆゑに、何れも煙草のぢくを編みて、首環に作り掛るあり。此趣向もつともよし。
又燈油を総身の皮毛にぬり付れば、忽ち蠅さり死するなり。
蚤の多くわくことハ豫て知るところなれども、虱の多くわきたると知ざりしが、近年予が愛せし牝犬の子ども産みて後煩ひたりしが、種〃に心を盡し遣しかども、畜齢の盡る所にや、産後二十日ばかりにして死せり。
さる程にいまだ乳の放れざる児なれバ、白粥を煮て魚の味噌汁に和し、掌に盛りて行手(かたて)にて抱きかゝへて養ひしが、食する事をよく覚へし程に、世話なる事ハ言ふばかりも有ざれども、育つるにハ難からず見えたり。
然るに何の故もなく、二三疋も続きて死するにより、其病根を試みれども更に知れず。
屡〃を惜しみて抱きつゝ撫さすりたるに、豈料らんや身体一面に虱を生ぜり。背のみかハ眼のふち鼻の際、聊にても毛のある所にハ悉くわきて、見るに身毛もよだつばかりなり。
按るに是ハ正しく母犬の病によりてわきたるを、晝夜身辺にありて傳りしなるべし。
さる程に何の故もなく前に死したるハ、此蟲ゆゑに死せしなり。甚不便(不憫)の事どもにこそ。
其虱の形人に生する者と異にして、丸く色白く足多く大きさ芥子或は粟のごとし。
壁虱といへるものとハ別なり。
斯て生残るもの既に二疋に及べり。

帝國ノ犬達-犬の草紙
仔犬の世話をする鐘成さん夫婦。

夫よりして即時に煙草のぢくを求めて煎じ出し程よき湯加減となして、全身及び面までも、眼の中に湯の入らざる様に浴ミさせ、頓(やが)て浴衣に包みて暫時蒸し、其後よく拭ひ櫛にてすき取るに、狗児も心よげに、吾〃が膝の上にて、前後もしらず熟睡たり。
二疋なれバ一ハ妻なるものいだきて斯の如くし、一疋ハ予が膝に置きて介抱す。
斯て日毎に浴みさせ、凡そ半月ばかり怠る事なく手を盡せしが、終に親虱は勿論、蟲子といへる卵までも殺し盡し、二児とも壮健に成長しけるぞ歓ばしかりし。
斯る事ハ思ひよらざる事ゆへ、彼が痛苦を知ずして終にハ死に及べるを、不便なる事なり。
慈愛のある人〃ハよく心得たまひて、若これらの如き事あらバ、右の通りにはからひ得させたまへかし。
尤(もっとも)犬の大小にハ拘るべからず。
彼成長の犬に蠅の多くわきたるにも、右にひとしく浴ミさせなバ、可ならんと覚ゆ。
〇生餅の和(やはら)かなるを喰はすべからず。口中に粘著き、あるひハ咽喉に詰て苦しむ者なり。又堅く乾びたるハ、咬砕きて食するゆゑ苦しからず。
〇河蝦(えび)海蝦ともに喰はすべからず。蝦類を食すれバ、脚かゞミて弱くなりて、腰抜の如く成るものなり。堅く禁(いむ)べし。
若誤つて蝦を喰ひ、其毒に中らバ黒豆の煮汁を冷して多く飲ましむべし。又鯡(にしん)を喰すもよし。
〇咽喉に魚の骨などたてゝ苦しむにハ、飯の塊を喰すべし。
〇総じて辛き物ハ熱物多し、與ふべからず。又酒の糟など宜しからず。
〇凡そ犬の諸病にハ唐の烏薬を末にして、食物にまぜ飲すべし。是に過ぎたる薬なし。然れども薬の香気するゆゑ、嫌ひて喰ざるものなり。
鰹の粉にまぜ飲すもよし、又鰹の末にまぜて丸薬の如くして飲すもよし。此烏薬は猫の病気にも用ひてよし。
〇常に臥(ふす)所にハ、莚、藁薦(わらごも)、明俵の類を敷て寝さすべし。犬ハ至つて湿気を嫌ふものなれバ、心をつけて得さすべし。止事を得ずして常に湿気の地に眠る時ハ、必らず病を生ずる事あり。
春秋冬ハ米の明俵、夏ハ炭の明俵をしきてよし。

帝國ノ犬達-犬の草紙

〇狗ハ腹中常に熱するもの故に、暑さの頃に至れバ舌を出して喘ぎ苦しめり。然れども是ハ病にあらず。暑に苦むなれバ鉢などに冷たる水をたゝへおきて飲しむべし。
尤四時ともに水を絶さず、鉢にたゝへ置くべし。
魚類を食せし跡にてハ、冬にても水をのむものなり。必らず喉をかわかしむることなかれ。
市中に於てハ暑に至れバ軒に施水を出す事専らなり。然れども犬の施水をなす者ハなし。
故に暑に堪かね溝の泥水をのみ、霤(あまだれ)の腐水をのみ事最(もっとも)いたまし。
苦しきこと楽しきこと、人畜なんぞ其隔あらん哉。
苦しみハ救ひ、楽みハ与へたき者にこそ。
〇犬ハ畜るゝ家の四壁のあひだに糞をする事を慎む、故に時によりてハ夜中外面に出んと、頻に戸などを掻くこと有。
市中に於てハ夜中外面に出せバ狗賊(犬盗り)の難あり。
裏廣き所あれバ其所に出し遣るべし。尤も斯る事ハ稀なり。
〇秋より末に至り雨日などにハ、能馴たる犬ハ、兎角席上(たたみのうへ)に上らんと為す事あり。是狗ハ湿気を嫌ふがゆゑに、床の上に居らんとするなれバ、此時は湿気のなき筵をしきて與ふれバ、其上に臥すなり。
必ず怪しミ禁むることなかれ。
〇常に食物の器を洗ひて更(あらた)むべし。夏ハ殊更のことなり。腐しものゝある上に、又痛ミかゝりし物を入て與ふるゆゑ、忽ち共に腐りていかなる犬も食しがたく成行くものなり。
斯れバあたら食物を空しく費すなれバ、其人の冥加もよろしからず。少しの心得にて腐りし食の、彌が上にならざる様に成るものなり。
然れバ犬も食して喜び、食物も廃らず、是則ち天地への勤と思ふべし。
〇人過て彼が尾を踏み、又ハ罪なきに打として却つて咬まれ創を被ふるハ、人の悪しきにて犬に科はあらず。
然るを咬狗よ病犬よと罵しるハ非なり。たとへ聊の科ありとも打擲すべきにあらず。
人ハ万物の長たり。上たる者下を憐むハ人倫の道なり。
我意にほこりて無慈悲に痛めくるしむるハ、畜生残害の類にして人とハ言べからず。
若罪あらば杖を掲て打つさまをすべし。
何ぞ厳く打擲して幾許の益かあらん。所謂無益の殺生なり。
唐土の聖代にハ罪人を打鞭を蒲にて作り、打擲けども音のミして、身を痛めずとぞ。斯る仁心深き君なりし程に、國民感じ服して悪事をなさず、益〃泰平にして、彼刑罰の蒲の鞭さへも打べき罪人もあらざりしかバ、終にハ朽たりしとなん。
故に刑鞭蒲朽て蛍となると詩にも作れり。
仁道にハ人さへも斯のごとし、況や愚痴なる畜生に於てをや、寛宥の計らひ有ずんバあるべからず。
〇都(すべ)て主なき犬ハ、終夜路頭に臥すゆゑ、夜氣風寒に冒され、時候の外邪に感じ、病を発することあり。
且狗賊の為に悉く害せらるれバ、若主なくして臥所定めぬ狗あらバ、慈悲を加へて夜は晩刻より内に入れて、庭の隅にも臥しめ、朝ハ心をつけて遅く出して、狗賊の難を救ふべし。
居家必用云、生を貪り死を畏る事、人と物と同じ。親属を憂へ恋ふこと人と物と同じ、殺戮に當つて痛苦すること、人と物と同じ。

帝國ノ犬達-夢

〇犬睡るとき夢を見ておそはるゝ事常にあり。是なん人に打たゝかれ、怖しき目にあひしを忘れずして、夢に見ておそはれるなるべし。斯る思ひ聊も人にかはる事なし。是等の事を想像りて、必らず打擲きすべからず。



江戸時代の動物愛護精神とは、生類憐令のように極端なモノばかりではありません。
鐘成さんが記しているような、「普通の動物愛護」だって在ったのです。
エライ人の動物愛護と庶民の動物愛護。
動物愛護にもイロイロな形があったのは面白いですね。

そういえば、鐘成さんの本でも小豆が大活躍しています。
この小豆療法、獣医師がいなかった山間部やアイヌ民族の間では、明治以降も主要な犬の治療法でした。
笑うのは勝手ですが、当時の愛犬家たちは必死の思いでアズキに頼っていました。
西洋式の獣医学が普及するまでは、このような民間療法で愛犬を治療する他なかったのです。


投獄の果ての死という、不幸な晩年を迎えた暁鐘成。
しかし、彼が遺した2冊の本と愛犬の慰霊碑は、21世紀の現在も犬へ想いを伝え続けているのです。


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