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Channel: 帝國ノ犬達
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大正時代の犬の検疫

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我が国では、明治4年から牛疫豫防法による輸入家畜の検疫が始まります。
明治19年には獣類伝染病予防規則が制定され、
入港する外国船の消毒も行われていました。
明治24年の横濱では、消毒を拒否する英独船と日本側の小競り合いが発生。長崎では、英国船に立ち入り検査した日本側の検疫官が暴力を振るわれる事件まで起きています。
で、この年には香港から輸入された小豆に混じってペスト鼠が侵入、大騒ぎに発展しました。だから検疫に例外を認める訳にはいかないのです。
明治29年には牛疫検疫規則を制定。明治35年に大蔵省が港湾部を新設した際には、海港検疫規則の発布および主要港へ海港検疫所が設置されました。

明治38年には、日露戦争から凱旋帰国してくる軍馬の為に臨時軍馬検疫規則が発令されています。
日中戦争でも出征軍馬への防疫措置は取られますが、日露戦争と違って大部分の軍馬は帰国できませんでした。負け戦でしたからね。

コレだけ厳重だったからには、日本に輸入される犬の検疫体制も昔から整備されていたのだろうと想像はしていました。
しかし、戦前の外国犬輸入記録を見ても検疫については触れられていないんですよね。狂犬病が根絶される前だから、その辺はルーズだったのでしょうか?

などと思っていたら、ちゃんと検疫体制があったことを示す記録を発見。
これで長年の悩みが解決しました。気長に調べて見るもんですねえ。



内地の雉猟は多く六號五號弾を使用していましたが、鮮地では飛翔強き為め又かくれ場所少き為早立ちするか、四號三號弾の方が好結果を得ました。
犬もやはり内地の優良犬は彼地に於ても優良犬であります。
只困りましたのは釜山蔚山に紙ケース及無煙火薬無く、獨逸製の有煙火薬に真鍮ケースを使用し、而かもエジエクター付の銃は一度一度ケースを拾ひ取りたる事、宿の不潔な事は想像以上でした。

それと彼地に狂犬病流行の為め、内地に連れ帰る犬は下関検疫所に止め置くよし、幸ひ釜山銃砲火薬株式會社取締小林氏の来翰もありました故、内地で狂犬病の豫防注射はしていましたが、證明書持参を忘れました故、犬丈宮村氏方に預け、帰宅後警察獣医の證明を得て彼地に送りました。

帰宅後もパリ號、エー號の事が念頭を去りません。
然し此所十日もすれば證明もつき、自然下関検疫もパスする事と思ひます。

私達の如き柄にもない繁忙の身を持ち乍ら朝鮮猟と洒落ましたのも、丁度酒造も七分通り終りまして、所謂忙中の閑を利用して出掛けましたので、箇中又特別な趣味があります。
青二才が黄い口嘴を持ち乍ら出鱈目を書きました。
過言乗筆は幾重にも御断り致します。

筑前HA生「海を越えて蔚山へ」より 大正12年








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