日本に現在するコリー種の耳は何故つツ立つのか。
食餌の関係からか。風土の関係か。又は他に何か起因するものがあるのか。
筆者は機會ある毎に識者に質すのであるが、誰しも明解なる断定を下し得ず。現状に於ては、「多分風土の関係だらう」位な處に落着いてゐるのである。
そんなら何故、日本の風土がコリー種の耳をして斯くも立派に、シエパードのそれの如く屹立させるのか?
これは現在日本のコリー種のエキスパートでさへもが、これのみはハツキリと答えられないのだから、日本の風土に責任を転嫁さへして置けば、當分は日本のコリーフワンシアーもプリツクイアー(Prick ears)の儘で、一應は安心して、枕を高くして寝ることが出来るだらう。その中には誰かが、この難問題を解決して呉れるだらうから。
だが然し、わが愛すべきコリーの耳の屹してゐることは事實なのだ。
内國産は謂はずもがな、チヤンピオンペデイグリーの成犬を輸入してさへ、先づニ三年のうちには完全にプリツクイアーだ。
これがほとんど決定的なのだから憂鬱も亦甚だしい。
例へば、英國コリー倶楽部、米國コリー倶楽部のオフイツシヤル・スタンダードが恰もこの犬に依つて決定せられたやうな立派な體型の持主。
頭蓋は平たくて両耳間は適當に廣く、鼻梁に向つて徐々に狭まくストツプの陥込みはほとんどない位で、鼻端へ向つて素晴らしい線を描いて鼻鏡は黒く、丁度後頭部から眼までと鼻端までが半々に調和よく、頬も突出してゐない。
歯は幾分大きくて真白なのがズラリと凹凸なしに竝んで、顎の曲線も力強く、上から見ても横から見ても角度に差はあれ、真に形のいゝ楔型で、そしてオーバーシヨツトでない。
その眼は窪まず理智的で注意力深く、所謂眼は心の窓に相應はしく、特有の魅惑的な表情をしてゐる。
頸部の筋肉はよく発達して適度に長く、肋骨に張りがあつて胸は深く、腹部は締つてゐる。
肩は傾斜して後方に適度に廣く、腰部はガツシリと力強く自然に落ちるような形で、勿論四肢の前縁は垂直で躯幹全體としては稍々長い位である。
前肢は趾に至るまで真直で、前膞の筋肉よく発達して、繋はシツカリと弾力に富んでゐる。
後肢の腱もよく発達して、飛節から下は細く腱が見え、膝関節は適當に湾曲してゐる。尾は真直に後に垂れて、その尖端は稍上向き加減で長く地面とすれすれ位の長さをもつてゐる。
被毛はストレートで太く粗剛の感じで長く、顔面、耳の尖端、前肢の前側、後肢の飛節下及び趾は手触りよい短毛で、特に頸部から胸へかけて房々と豊富でカラーの抜けもよく、鼻梁、四肢、尾端に白色を持つて、飽くまで艶々としたセーブルのコリー種(ラフ)を見る時、誰しもこんなにもノーブルな犬族として美の権化絢爛の象徴とも感嘆せしめる。
然もその動作の軽快、怜悧、健康、敢てコリーフワンシアーたらずとも、嫉視の眼で見送るのも無理はないだらう。
然るに―然るにだ。
このオフイツシヤル・スタンダードのようなコリー種の耳が屹立してゐたなら果して何うだらう。
所謂「百日の説法何とか」で、耳のつツ立つのは風土の関係だ位でノホホンとして納まつてゐられるだらうか。この犬の總ゆる場合の条件が宜ければよい程、この耳の缺點がより擴大されて目立つものなのだ。
若しそれがエアデールテリア種の耳がつツ立つてゐたら何うだ。
シエパード成犬の耳がセツターの如く横に垂れてゐたとしたら何うだらう。
コリー種の耳はよい姿勢をとつた場合、頭蓋の上に間隔狭く直立して、その突端四分の一位の部分から前方へ垂れ下がつてゐるのが原則で、横にダラリと垂れてゐるのも、プリツクイヤーのそれもいけないのだ。
問題は犬の身體全體から云へば、その何十分の一或ひはその何百分の一かの耳の、然もその四分の一の尖端のみの問題なのだ。
それ丈けに軽視されやすく看過されやすいのだが、反面それ丈けにこの極小部分の問題が前項に謂ふが如き意味に於て、このコリー種の美的要素に及ぼす影響は重大で、コリー種の鑑賞上から謂ふもカラーの抜け云々等とは、その問題比すべくもないのである。
犬族の美の権化、絢熟の象徴その最高峰を行かんとするも、遂に日本の風土か将又何がこれを阻害するのであらうか。
A曰く
「コリー種の耳朶の尖端四分の一が何故前に垂れてゐなければいけないか。これが鑑賞上と謂ふならば兎も角、作業犬として、牧羊犬として、又日本コリー倶楽部は将来日本の警察犬として、この方面に大関心を持つと謂ふが、作業上その性能に大なる影響でもあると謂ふのか。
セツター種の様にダラリと横に垂れてゐてもいゝではないか。またプリツクイアーの何處に差支へがあるだらう。シエパードの耳がつツ立つてゐたからつて、シエパードはその能力に何等他犬種と比較して低下してゐるとは誰しも考えてゐないではないか」
B曰く
「愚問、愚問。そんなら何故シエパードの耳はつツ立つてゐなければならないのか。コリー種の歴史はシエパードよりもモツトモツト古いのだ」
これでこの質問は案外簡単に幕となつた。
兎に角この憂鬱なる耳をコリー種本来の耳型に、如何にすれば還元し得られるか。
吾が愛犬をして真にコリー種らしくとの切なる情は吾人のみには限るまい。茲にその方法の二、三を書いて参考に資すると共に、先輩諸兄の御指示をも得度いと思ふ。
尤もこの方法は他の犬種の場合にも一、二のものは應用して有効である。
コリー種の耳は前にも度々謂ふように、頭蓋の上に両耳が間隔狭く直立して、その突端約四分の一の部分から緩く前方へ垂れてゐるので、プリツクイアーのものもこの一から前へ折つて圧へてゐて放すと、暫くは折れた儘になつてゐるものである。
これはこの部分より折れるべき本来性と、その位置の顕著な痕跡と、その多分なる可能性とを表示してゐると謂つていゝのである。
唯、總ゆる幾多の方法を以てすると雖も、その如何にも気長に努力することが必要で、最後は全く根気の問題である。
飽きずに手當さへすれば、下手な人間の現代的疾患である神経衰弱症などは愛犬の耳と一緒に次第に癒るとすれば、コイツはうまい一挙両得の儲けものだ。
△マツサージはオリーブ油を耳に塗布して、垂れるべき適當の位置より折り曲げて、人指し指と拇指とて、少しく強く、或ひは弱くその筋肉を揉み和らげるのであるが、これは犬を愛撫する時に行ふと、そのためにのみ時間を浪費することが省けていゝ。これによつて耳の垂れるべき筋肉をそのように馴致させるのである。
△耳の内側の毛を鋏で剪りとり、ブラスターを一寸五分幅五分位に切り、耳の折れ目の部分を少し浮かし縦に貼り付けて、マツサージを行ひ、絆創膏の密着をよくする。
この場合絆創膏を折れ目の部分丈け一分位浮かして貼ることがコツなので、ベタ貼りでは耳の尖端を垂れた儘で保たせることが出来ないから何の効果もないことになる。絆創膏が脱落したら一両日の間を置いてまたこの方法を繰り返す。
絆創膏の貼り付けられた部分は空気に触れないので、皮膚を損傷する心配があるから絆創膏の處々に小さい気孔を穿けることも必要である。
△ブラスターを前同様の大きさのものをベタ貼りにしてよく密着し、細い針金で一寸二分横三分位の楕圓形を造り、もう一枚絆創膏を用意してこの楕圓形を中へ貼り込み、耳の折れ目の位置で針金を前へ曲げて、耳尖端の垂下を保持し馴致させるのである。
針金を耳の皮膚へ直接貼り込むでは直ぐに脱落するし、皮膚の為にもこれは避けねばならない。
△薄くて丈夫な布地で耳と同じ形で耳端四分の一だけを詰めた袋ようなものを造り、一尺二、三寸幅一寸位の布地へ両耳に當る位置に耳根の大きさの穴を穿けて、袋をこれに縫ひ付け、恰も冠を被つたやうに顎下にこれを結ぶのである。袋の前側になる下部へ直径六、七分の穴を穿けて置く。
△パラフインを溶解して耳朶の先端内側へ垂らして、これを凝結させるとその重味で尖端が前方へ垂下する方法であるが、これは仔犬の場合で垂下状態が退化しかけた場合等には奏功するが、プリツクイアーとなつたものには余り期待し難い。
△前述の方法と同じものでは、亜鉛の釣魚の「沈み」などを絆創膏で耳端に貼り付け、その重味で垂下させるのである。
△耳端を折り曲げチユーインガムの粘着力の利用方法もある。
繰返して謂ふが以上の諸方法とても完全なものではなく、差當りコリー種らしい耳を持ち度いと謂ふ欲求からの、苦しい一便法なので到底短時日ではその成功期し難い。
誠に心細い次第であるが、根気よく気長にマツサージその他の方法を屢々行ふ時は漸次に、その目的を達することが出来るだらう。
コリー種のブリーダーは何がコリーをしてその耳を屹立させるのか、この根本に触れてこれが原因を究明し、日本のコリー種には断じてプリツクイアーは一頭も存在しない、とその革進を期待仕度いと同時に、日本のコリーフアンシアーには大きな難問題が未解決の儘横たはつてゐることを記憶して頂き度い。
猶先輩諸兄のプリツクイアー矯正法に就いて御教示を賜らば、筆者また幸甚である。
野田兵一「コリー種のプリックイアー」より 昭和9年
耳を立てたり垂らしたり、パラフィンだの針金だの釣用オモリだのチューインガムだの、ショードッグの美容整形は昔から大変なんですねえ。
で、日本のコリーが立耳になる原因って解明されたの?
当時の絆創膏に通気孔がなかったり、釣りのオモリを「沈み」と呼んでいたりの発見もありましたが
それよりも何よりも、ドッグセラピーと同じ概念が戦前からあったとは驚きです。
単なる癒し効果レベルの認識かと思っていました。
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コリーの耳はなぜ立つか
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