神戸軍犬学校畫劇部
原作 福島宇治郎
脚本 山北清次
絵画 木島武雄
製作 第一畫劇社
昭和18年
私たちが
かうして平和に
楽しく毎日毎日を送つてゐる時にも
大陸では
夜を日についで
兵隊さん達は山に海に聖戦をつづけられて居られるのであります。
南支那のある前線部隊の中に
勝村上等兵といふ兵隊さんが居られました。
(静かに抜きながら)
ある日!
その勝村上等兵のもとに
故郷神戸から手紙が参りました。
1
それは勝村上等兵の息子さんの健吉君からの手紙でした。
「お父さん
お元気ですか。
僕達家の者は
おばあさんもお母さんも妹も僕も元気ですから御安心下さい。
それからお父さん
今日は嬉しい事をお知らせ致します。
それはお父さんが何時も可愛がつて居られた「菊水號」が応召致しました」
強く「えつ。菊水號が―」
「菊水號は昨日勇んで入隊しました。
僕が見送ってやりました。
きつと
菊水號も戦地へ参ることでせう。
ヒヨツとすると
お父さんと
あふ時があるかも知れませんね。
では、又お便り致します。
健吉より
お父さんへ
(抜く)※「次の場面へ移る」の意味。改行が変なのは、読み上げる時の文章句切り指定に従っている為です。
2枚目欠損。
溺れる子供を救う図案でした。3
「そうか
菊水號がお国のお役に立つやうになつたか」
間
「あの菊水號がな!菊水號はいゝやつだつたな。
たくさん飼つてゐた犬を全部売つて
お国のお役に立つ軍用犬を飼ふことにして、シエパードの子供を買つて来たんだつた。
そうだ。
あの時の仔犬が菊水號だつたのだ。
……賢こい犬だつた―」
間
丁度、五年程前の夏だつたな……わしが菊水號をつれて散歩に行つて
川の端を通つた時
近所の子供が川で水遊びをしてゐて、一人の子供が深い處へはまつたのだ。
皆が騒いでゐた時、サブンと水へ飛びこんで行つたのが菊水號だつた―。
そして子供を救つてくれたのだ。
あの時は菊水號も近所の褒められ者になつたな……。
(抜きながら)
「そうか、あの菊水號が愈々お国の役に立つ様になつてくれたのか……」
帝国軍用犬協會報
4
一方、応召された「菊水號」は入隊して、しばらくの間沢山な軍用犬と共にはげしい訓練を受けました。
戦場に出て、立派に役立つ軍用犬としての力を養ふために訓練をうけるのでした。
命令のまゝに敏速に動く、警戒をする。伝令に出る。それはなかなかの訓練ではありましたが
「菊水號」は元気にこの訓練を受けました。
(抜きながら)
やがて「菊水號」は大陸の戦地に出陣することになりました……。
5
「菊水號」は大陸の戦地に渡つてからも、益々勇敢に働きました。
昼は、伝令の務を果し、夜は歩哨の兵隊さんと共に歩哨に立つて、あの鋭い眼をらん〃と輝し、敵兵一人も見逃すまじと自分の務めを果すのでありました。
(ぬきながら)
或る時のことです……。
6
「菊水號」の属してゐる部隊が前進部隊となつて、我軍の真先を進んで、山又山のけはしい道を歩きつづけてゐました。
人も、犬も
馬もかんかん照りつける太陽の暑さとこのけはしい山道にはとても苦労をしましたが
前進部隊の任務を遂行する為に、全員ハリキツて行軍をつづけてゐました。
(抜きながら)
ところが……突然、四方の山の上から敵の弾丸がヒユツ、ヒユツと飛んで来ました。
7
その時!
部隊は直に防御の構へをとりました。處が場所が谷間で、敵は山の上から撃つて来るのです。
その上……、敵の数は味方の五六倍もありました。
我日本の兵隊さん達は、決死の覚悟で一発、一発、正確に撃つてゐました。
しかし……味方の兵力や弾丸は少ない。
もし、此の儘
長時間戦ふとすると全滅してしまうのです。
間
そこで部隊長は傳令を後の本隊へ出して、連絡しようと考へられました。
一人の伝令が重大な任務をもつて走り出しました。
(抜きながら)
しかし……。
8
「あつ!」
伝令の兵はバツタリと倒れてしまひました。
まだ僅か100米も行かぬ先に残念にも倒れてしまつたのです。
かう四方をとりかこまれては、傳令を出すことも
無理なことでした。
そうしてゐる間にも
味方の兵隊さん達の中には……「無念ツ」敵の弾丸にあたつて傷つく者が、だんだん出来て来ました。
部隊長はこの有様を見ると、何んとかして
早く本隊に傳えなくてはと、お思ひになるのでした。
(抜きながら)
9
「ワン!」「ワン!」
と大きくないたものがあります。菊水号です。菊水號が耳を立て、目をパツチリとあけて
部隊長を見つめていゐのです。
「うむ、さうだ。菊號号を傳令として出そう」
部隊長はすぐ付添の兵隊に命令を通信紙に書かせて、いよいよ菊水號を傳令に出すことになりました。
(抜く)
10
菊水號の首にある筒に通信紙が入れられました。付添の兵隊は、菊水號に最後の水を、水筒の中から飲ませました。
「菊水號、しつかりやつて呉れ、走るんだぞ。お前も日本の軍犬だ!頑張つてくれ……」
と頬づりをしてやりました。
間
菊水號は死にものぐるひで走り出しました。
「ピユツ」「ピユツ」「ピユツ」
敵の弾丸は菊水號めがけて飛んで来ます。
「ダーン」菊水號の近くで爆発するのです。
(サツと抜きながら)
菊水號は矢の如く走りつづけました―。
11
菊水號は敵弾をさける為めに草むらに體を伏せ、又すきを見て走り出します。
木の陰、草むらをうまくつかひつゝ、敵から逃れようと頑張りました。
やつと谷間を抜け出ると、後方の本隊へ向かつて、矢の如く突進して行きました。
(短い間)
かうして……やつと菊水號は敵の弾丸の中を抜けて本隊に到着しました。
菊水號のかうした勇敢なる働きによつて部隊は救はれ、敵を打破ることが出来ました。
菊水號は部隊長からも、兵隊さんからも大変に褒められたのでした。
それから……部隊は更に進んで、或部落を守つてゐる頑強な敵にぶつかりました。
本隊の命令によつて、速かにこの部落を占領しなければならないのです。
敵兵は我軍少数と見るや、むやみに抵抗して攻勢にさへ進んで来るのでした!
(抜く)
12
この時
我が軍は肉弾をもつて突撃することに決しました。決死隊十数名と「神戸號」「神港號」「菊水號」の三頭の肉弾三勇犬をつのつて
いよいよ肉弾突撃をする事になりました。
(短い間)
「突撃!進めツ」
命令一下、兵も犬も一かたまりになって、敵陣目がけて突つ込みました。三頭の軍用犬も兵隊さんに負けてなるものかと吾勝ちに先を争つて、敵陣地に飛び込むなり、敵隊長
中隊長と思はれる大将方の首筋や手足
所かまはず咬みついてあばれ廻りました。
中でも「菊水號」の働きは目指しい(※原文ママ)ものがありました。
敵軍は我が軍の活躍のもの凄いのに恐れて浮足立ちました。
(抜く)
13
「こゝぞ」とばかり電撃的に全軍が進んで来て、さんざん浮足立つた敵陣地に突撃しました。
敵は何も彼もふりすてて総退却してしまひました。
萬歳!萬歳!萬歳!
天地もわれんばかりの声がとどろき渡りました。
日の丸の旗が美しく輝いてゐました。
(静かに抜きながら)
戦ひすんで、後で負傷者達を調べることになりました。
14
處が!此の戦ひの殊勲者とも言ふべき三勇犬のうち「神戸號」「神港號」は数ケ所、敵弾をうけて戦死して居りました。
(短い間)
「菊水號」は腰に負傷して倒れてゐました。
そこで
部隊長は「菊水號」を野戦病院に送つて手當を受ける様にして下さいました。
それから数ヶ月たつて、菊水號は又もとの元気にかへつて、第一線に立つ様になりました。
(静かに抜く)
15
菊水號の主人である勝村上等兵の部隊も、又第一線で活躍して居りました。
……或日のことでした。敵の大群と向ひ合つた儘、勝村上等兵の部隊は夜を迎へました。
敵の頑強な守備陣地は昼間はナカナカ陥落させることが出来ぬので、夜襲を決行することになりました。
兵隊さん達は目じるしの白だすきをかけて
敵陣地に迫つて行きました。
勝村上等兵も外の兵隊さんと共に、無言の儘
敵に向かつて、ぶつかつて行きました。それと知つてか、敵からの弾丸は一層はげしくなりました。
真暗闇の中の激戦になりました。
あくる朝になつてさしもの頑敵もとうとう退却してしまひました。
(抜きながら)
16
戦が一時おさまつて仕舞ふと
戦死をしたり、負傷をしたりした兵隊さんを捜索することになりました。
その捜索隊の中には軍用犬もまじつて働いておりました。
菊水號も、この捜索隊の中に加へられて、小山を越え、谷を越えて、元気に活躍してゐました。
(間)
突然!
菊水號は何を見つけたのか「ワン、ワン、ワン、ワン」とはげしく吠えつゞけました。
その声に驚いて、二三人の衛生兵が急いで、菊水号のそばへ走つていきました。
菊水號のそばには一人の兵隊の体が横たはつてゐました。
(静かに抜く)
17
菊水号はその戦死者の体をしきりになめながら
悲しそうにクン、クンなきつづけてゐます。
「どうした、菊水號、あつ、勝村上等兵だ、おい!おい!勝村、勝村」
そこに倒れてゐたのは菊水號の主人である勝村上等兵でした。
良くしらべてみると、勝村上等兵は右手と右足とに貫通銃傷を受け、出血多量の為め、人事不省になってゐましたが……。
衛生兵が抱き上げた時
ふつと気がつきました。
「あツ、おれは!」と勝村上等兵は立ち上がろうとしました。
とたん……
「ワン、ワン、ワン」主人が気がついてくれたのに喜んだのでせう。
菊水號が大きく吠えました。
「あツ、菊水號!」勝村上等兵は我を忘れて菊水號の首を抱きしめました。
菊水號はとても嬉しそうに尾を振り〃、身体を勝村上等兵にすりつけるのでした。
菊水號の喜び、又勝村上等兵も可愛がつた愛犬のさつそうたる姿を見て、涙を流して喜びました。
(抜く)
18
それから間もなく、勝村上等兵は野戦病院で手當を受けて、○月○○日、丈夫になつて内地に帰還されました。菊水號も又後から帰還することになりました。
勝村上等兵はその日、神戸の駅まで迎ひに出られたのであります。
(長い間)
主人に、しつかり抱かれた菊水號の首輪には皇軍の勇士の殊勲甲にもあたるべき甲號功章が燦然と輝いてゐました。
(静かに抜きながら)
もの言はぬ犬でも、よく教へられた事を忘れず御国の為めに立派な手柄を立てました。
物言はぬ戦士
馬や鳩にも心からの感謝を捧げませう。
(間)
皇国の為めに戦傷せられた兵隊さんに
感謝の敬禮を致しませう。
では、皆さん
御一緒に唱へませう。心から。
国を護つた 傷兵まもれ
国を護つた 傷兵まもれ
(第三篇 終り)