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Channel: 帝國ノ犬達
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アードロス・アンゼリン(通称ジュディー、愛玩犬)

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生年月日 不明
犬種 エアデールテリア
性別 牝
地域 東京府
飼主 中元銀弘
http://ameblo.jp/wa500/entry-11189873274.html

去る八月二十三日夜、ジユデー(アンゼリン)と散歩の帰途、宅から一町程離れた處まで帰つて来ました時、後から走つて来た自転車にジユデーが追突され、之れに驚いて脱兎の様に走り去り、夫れきり行方不明になりました。
其夜も遅く迄捜索しましたが見當りませんでした。
其翌朝は友人、出入商人、集金人、塵屋等に捜索依頼をし、又掲示板或は電柱等に捜索廣告を張り、一方警察の方は由井さんが伊豆から態々帰つて来られ種々と御盡力に預つて大森、蒲田、荏原、世駄ケ谷、目黒、品川等の各警察署あてに管内各駐在所迄に捜索願写しと写真を添へて極力此方からも捜して貰ひましたが、十五日経過しても何の効果もありませんので、最早や再び手に帰らないのではないかと思つて居ました。

處が十七日目の本月八日午前五時、無事で然も獨りで帰つて来ました。
此日、臺所の扉を開けますと、突然ジユデーが飛込んで来ましたそうで、「ジユデーが帰りました」と大きな声で呼ばるので飛起きて見ますと、尾を振り體を振へ嬉しそうに唸り乍ら顔や體を私共に擦り付け、如何にも嬉しい様な身振りをします。
私共は代る〃「よく帰つて来たね」「どこへ行つていたの」「どこから帰つて来たの」等と繰返し〃言つて頭や顔や體を撫でゝやりますと、草臥れたと見へ横になり、私共の顔を見守つて居る許りでした。
お腹が空いてゐる様でしたから軽い朝食をさえs、體を調べて見ましたが別に変つた所もありませんでしたが、前肢と首及び顔の毛が大部脱けて毛の光澤が大変悪るくなつて居りました。

暫くしてジユデーの家へ入れてやりますと、来る人〃に吠え声も変つて居りました。之等の點から考へて見ますと自転車に驚かされ飛出して後、平静に帰つた時私を捜す為め人さへ見れば近づき彼方此方を捜す内に運悪く誰かに捕へられ其儘何處かに連れ行かれ鎖にて繋がれてゐたものと想像されます。
其場所に私共の住居より相當隔たつて居たのでしよう。ジユデーの帰つた時に腹に泥が澤山付着して居り、又ジユデーを探す為めに附近一二哩位の邊は殆んど毎晩口笛を吹いて歩きましたが、彼女の声を聴きませんでしたから。
何れにしましても、此外から帰つて来たものと思はれます。
捕へた人に親切があれば畜犬票に依つて飼主に知らす事も出来るし、亦駐在所に引渡しても私の手許に帰るのでしたが、最初から盗む積りで捕へたに相違ないと思はれます。捕へた人も其内には馴れると思つて居たのでしようが、日夜吠え続けるので迚も見込がないので放したか、又は他に搬出する積りで居たが警察の手がすつかり廻り、身邊が危険になつたので放したものと思はれます。
兎に角十七日目に自分の家に来た時にどんなに嬉しかつた事でしよう。私も山で道に迷ひ、随分苦しい経験がある丈けにジユデーの気持がよく判ります。

私共はジユデーを家族の一人として考へてゐましたので、何とかして捜し出さなくてはならないと考へて居りました。お隣の方も大変心配して下さつて、御主人が占をなさるので見て戴くと、北の方の少し離れた所に連れて行かれ、四五日中に帰らないと命にかゝはるとの事でした。
丁度其朝に池野さんが来られまして、目黒に野犬狩があり十七頭捕えたとの事だから、三河島へ行つて見たら如何かと注意がありました。
三河島は丁度北に當り捕えて四日目には殺すのですから、占が丁度符合しますので翌朝早く行つて見ましたがそこにも見當りませんので随分落胆しました。
亦宅へ出入の犬屋がよく當る神様のお告げがあるからと強いて妻を連れ行きお告げを聞きますと、犬は巽の方に居り手許へは帰らぬとの事でしたが、犬屋は帰途妻に「占には裏があつて、巽の反對に居り直ぐ帰ると云ふ風にも判断が出来るから」と慰めて呉れたそうです。
犬屋と私は巽に當る蒲田、川崎方面へ出掛けて捜しました。又進藤さんが御出になつて友人から聞いた事だが「まつとし聞かば今帰り来ん」の上の句を書いて平素食べてゐた碗を其上へ覆せて置くと、必ず帰る。自分の犬も十五日目に帰つた例があると言われましたので其通りに致して置きました。
果せる哉、十七日目に無事に帰宅致しました。
占よりも慥かに有効であつた事を保証して進藤さんに厚く御禮申上ます。

十五日間に夫れらしい犬が居たと知らして下さつたのもが五頭ありました。
其内でも、進藤さんが宅を十時半頃お帰りになり暫くしてから大きな声で私を呼び「ジユデーが居ました」と叫ばれるので、隣の方迄寝巻の儘で飛出すと云ふ騒ぎでした。
見ますと、進藤さんが老犬タムの首環をしつかり掴んで居られましたのには一同大笑をしました。
ジユデーが無事に獨りで帰つた事をお知らせ致しますと、自分の犬が帰つてゞも来た様に喜んで下さいまして、其上ジユデーが大変お褒めの事がまでも頂戴致しました。
本當に皆様に御心配をかけた甲斐があつて無事に帰りました事を喜ぶと同時に、御高配に預りました事を厚く御禮申上げます。

一方、老犬タムも若い時分に連合(つれあい)の居なくなつた時等は一週間も捜して歩き、食餌も禄々とらずに居ましたが、今回は別に気にも止めず(一所に住んで居ても連合ではない為めか)平気な顔をしてゐます。
最近は年のせいですか耳が非常に遠くなり、歯も三四本脱け、白毛が随分増へて参りましたが幸い元気で薬一服飲まず至極壮健で居ります。

昭和十二年八月九日

中元生「愛犬便り」より


迷い犬に関するドタバタの詳細な記録。これはこれで貴重な記録です。
いやー、帰ってきてよかったです。読んでいるこっちまで安堵しました。
このブログにも明治時代の迷い犬広告を載せていますし、百閒先生の「ノラや」とか世良絹子の「あっちゆきだよヒャータ」とか、その手の文学作品もたくさんあります。
昔も今も、迷い犬や迷い猫を捜す気持ちやその方法は同じなんですねえ。犬を捜す為、周囲の協力やさまざまな迷信や神仏にすがるのもそう。
子供のころ読んだ本には「犬と書いた紙を、玄関先へ上下逆さに貼れば帰って来る」とかいうのもありました。モチロン気休めに過ぎないんですが、当人にとっては必死だったのでしょう。

中元さんの話では、野犬狩りに遭った犬が一定期間殺処分を保留されていたことも述べられています。
愛護団体の働きかけによって、街頭での野犬撲殺から捕獲・殺処分方式へ移行したのも戦前のこと。猶予期間中に飼主や里親が現れない犬は、研究機関(動物実験)や化成所(毛皮・肥料に加工)へ送られることとなりました。
戦後に炭酸ガスによる安楽死方式へ、そして現代では殺処分ゼロを目指して努力が続けられています。


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